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【中央区】浜離宮庭園と伝説の横綱

築地市場跡の隣にある浜離宮庭園に行ってきました。

看板に書いてある沿革には

この地は将軍家鷹狩りの場所で、承応年間1652~55年に3代将軍徳川家光の三男、綱重の別邸となり、6代将軍徳川家宣が浜御殿と改称し、改修と景観を整えた。幕末には石造り洋館、延遼館を建設。

明治維新後は皇室宴遊の地にあてられ、浜離宮と改められ、諸外国貴賓来訪の際は迎賓館にあてられ明治12年、米国前大統領のグラント将軍が我が国を訪問した際には、本庭園の茶屋において引見せられた。

とあります。

グラント大統領は戸山公園にあった競馬場、上野不忍池の競馬場にも訪問しているんですよね。上野公園に訪問を記念するレリーフがあります。

明治20年で自分の名前が書けるかという自署率の地域差が大きく(商人が多い地域では90%、農村では10%)これから富国強兵、近代国家の仲間入りを果たすべく動き出している所での前大統領訪問ですから、当時の一大国賓だったことが想像できます。

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今回はこの東屋から東京時層地図をみてみましょう。

この時は梅雨特有の強い雨がふったりやんだり、そんな中でも雨風を余裕をもってしのげ、周りの芝生からはマダラスズの鳴き声が聞こえていました。

デートにおすすめというかデートしている人しかいませんでした。知る人ぞ知るスポットですね。

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江戸時代はこの東屋の近くに象舎があり象が飼育されていたそうです。

現在の地図。

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文明開化期(明治9~19年)(1876~1886年)の地図。

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まず今と庭園がほとんど変わっていないっていうことに驚きました。

隣の築地市場跡は大名屋敷、海軍学校、築地市場、更地と変遷を繰り返しています。一般人が立ち入れる場所でここまで変わっていないのは珍しいです。

明治期の地図をみると「延遼館」がありますね。外国人来賓をもてなす迎賓館の役割を果たしていました。

この写真は北側から撮っていますね。影が長くて、葉っぱがあまりない感じから冬の午前中でしょうか。

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明治2年につくられ明治12年に改修。鹿鳴館の完成にともなって1889年、明治22年に取り壊されました。

明治17年にここで天覧相撲が行われたとの記録もありました。

(明治大帝・大正1年出版)によると

延遼館前に玉座を設け、相撲は梅ケ谷(のちの15代横綱)が大関若島(若嶌 久三郎)をはたきこみ、続く大達(のちの大関 大達羽左エ門)とは勝負がつかず、これを機に横綱を張るようになったのだとか。

梅ケ谷は西南戦争にも参加していてそれが錦絵にもなっています

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梅ケ谷は筑前国上座郡志波村梅ヶ谷出身、梅ヶ枝という名前でしたが、のちに梅ケ谷と改名。江戸~昭和にかけての力士10傑に選ばれるほどの有名力士です。

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靖国神社臨時大祭写真帖. 明39年5月 横綱梅ケ谷土俵入り

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ミドリガメが歩いていたり、周りは川に囲まれているのに猫がいたり

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大手門口から入って左側にある三百年の松 名物となっているようですが古地図では明治大正昭和を通して表記がありませんでした。

宮内省管轄という特殊な場所だったのと、樹が林立しているので、単独の針葉樹とみなされなかったのかもしれません。

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長い歴史がありますので浜離宮内のちょっとした樹でも太い樹が多いですね。今回は茶屋にはいかずに終わりましたので、また行きたいと思います。

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