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【新宿区】新宿イーストサイドのその昔

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東京メトロ東新宿駅直結の地上96mの高層ビル、イーストサイドスクエアと高級マンション コンフォリア新宿イーストサイドタワー

イーストサイドスクエアにはスクエアエニックスや東急ハンズをはじめ有名企業が入っています。(2021年現在)

今日はここから東京時層地図をみてみます。

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Wikipediaによると新宿イーストサイドの開発地は50%を空き地として40%を緑化、緑地帯はそれぞれ花が咲くじきをずらした樹木で構成しているようです。

敷地は周辺とはかけ離れた開放的な空間はある種贅沢といえます。素晴らしいです。さすが近代建築。公園とビルが一体化していますね。

アプリ大江戸今昔巡りによると、江戸時代末期1860年代ごろには半分くらいは

出雲広瀬藩 松平佐渡守直諒(まつだいら なおあき(なおよし)) 3万石

の領地。藩主の座につくと国元に戻って産業と文化を奨励して名君として知られたようです。もう半分くらいが給地手作場 開墾地っていうことでしょうか


明治初期(明治9ー19年)(18761886年)

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畑、田んぼ、そして川ですね。今の新宿文化センター通りは川だったということがわかります。のちに川沿いに路面電車が走り、それが現在の道となったようです。


明治後期 (明治39ー42年) (19061909年) 前田邸出現 

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加賀百万石の前田家。前田邸といえば 本郷の東京大学の敷地(東大の赤門はもともと前田家の赤門)と、現在の目黒区の駒場公園(昭和初期にできた洋館と和館がある)が有名ですが、新宿にも前田家のお屋敷があったようです。

本郷の前田邸 (前田 利為 まえだ としなり 明治43年 1910年 25歳 貴族議員議員 同年前田侯爵邸に明治天皇の行幸あり)

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駒場公園の前田邸

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前田家からは華族が5家でているので、その誰かなんじゃないかなとかとも思ったりもしましたが、前田宗家は明治後期富豪ランキング上位だったようなので、邸宅がたくさんあっても不思議じゃないですね。


大正時代(大正5-10年 1916-1921年)

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地図でみると本郷→新宿→駒場東大と前田邸は変遷をしています。

1926年 大正15年 本郷の土地を東大へ受け渡し、駒場へ移動。

1929年 昭和4年 駒場東大で洋館和館を建てる。

1926年(大正15年・昭和元年)に本郷の本宅を東大と交換し、本宅は駒場へ移動となりますが、この時期の新宿にも前田邸はあります。前田裏という名前もついていますね。

都電が走り始めました。都電13系統。

昭和戦前(昭和3-11年 1928-1936年)

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すでに駒場に前田邸は建てられているのですが、新宿の前田邸はあります。

前田家当主の前田利為(としなり)氏は1942年にボルネオ島沖で消息不明となり戦死してしまいます。

ここまでやんごとなきお方なら自ら戦地に赴くことは回避できたとおもうのですが、そこはサムライ、加賀百万石宗家の負うべき義務というところなのでしょう。

都電の車庫ができていますね。

高度成長期前夜 (昭和30-35年 1955年-1960年)

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前田家は戦後のGHQにより急速に縮小し、財産は10%ほどになり使用人も10分の1になったということでした。

という流れで、新宿前田邸跡は戦後、帝国石油会社になっています。

帝国石油会社は国策会社で戦後民営化され、この時期は華やかなりし時だったのでしょうね。現在は株式会社INPEXという大企業です。


バブル期(昭和59年‐平成2年 1984-1990年)

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1972年に日本テレビゴルフガーデンに。

いつのまにか日本テレビの用地に。

もともと高さ500mの正力タワーを建設予定だったのが、1969年正力松太郎の死亡によって計画が変更され、ゴルフガーデンになったようです。

正力松太郎は元官僚、警視庁警務部長、読売新聞社長、A級戦犯、日本テレビ社長、原子力委員会長、読売テレビ放送会長、国務大臣、CIA協力者。

国会図書館デジタルでみると正力松太郎は大正時代は警視として登場し、戦前は新聞社社長、戦後は政治家として登場します。

警察とマスコミと原発と政治に影響力をもつ、昭和が生んだドンオブドン。まるでマンガみたいな人生というか、80年代マンガの典型的ドンは正力松太郎がモデルなんでしょうね。

ゴルフガーデンは2000年に閉鎖、2007年跡地を三菱地所が落札して再開発し、現在の姿に。


北側に回ってみました。ちょうど明治時代に前田邸のあったところに建物が建っています。アーチ状の丘になっていたり不思議な造りです。

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高低差があります。前田邸はビルのあるあたりにあった様子。

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こちらは前田邸東側の池の部分。さらに低地になって埋め立てられていますが池の形になっています。

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こちらは都電車庫跡の新宿文化センター。この道路にも都電が走っていたんですね。

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普段行く機会のない場所ですが、東京時層地図をみて前田邸があることがわかり行ってみました。古地図の醍醐味ですね。

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