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【江東区】豊洲ぐるり公園周辺

2月頃に急に休みになったので平日昼間に豊洲ぐるり公園に釣りにきてみました。
岸からの釣りは2月と3月が釣れなくなるということを実感した日でもありました。
6月の今、ボコボコ釣れているらしいですがそういうときに限って全く行けていません。
YouTubeで釣り動画をみて無聊を慰めているのみです。でもやっぱり足りないです。あの匂い、あの風、あの空気が。

子連れで釣り歩くスタイルだと釣りあげるまでの十分な時間の確保が難しいので難易度が高いです。
たまたまが積み重なれば釣れるかもというところでしょうか。手前勝手な個人的願望ですが子供の前で大物を釣り上げたい。

さて、今回の場所は豊洲ぐるり公園。

豊洲市場をぐるりと囲む形のぐるり公園は広大で長辺が2kmくらいあります。近隣の方の散歩やジョギングにピッタリの場所。自然災害が怖いけれどお住まいの方うらやましいなぁ。

一説によると人間は「水辺の猿説」もあるみたいで、たしかに水辺にたつとなんだか元気がでるような気がするんですよね。特に海。

まあ釣りができる前提の話なので釣り出来なかったら興味はなくなりますが。

ぐるり公園のこの場所は芝生に寝転がってお仕事休憩中の方などもおり、各々のお気に入りの場所として使われているのだなと思いました。

いい場所ですね。

地理的に風通しもよく、周りになにがあるというわけでない(豊洲市場と商業施設はあります)ので、ぐるり公園のこちら側は知る人ぞ知るスポットになっているのではないでしょうか。

テレビCMでも見かけるようになったこの場所から、今回は東京時層地図を開いてみたいとおもいます。

対岸は有明。こちら側から左は釣り禁止で対岸も全面釣り禁止。この魚のすくない時期でもボラがいましたので生命感があって楽しくなりました。万一掛かったとしても、ボラはヘドロ食べてるので匂いが強烈なんです。でも釣れなかったらボラでもいいから釣りたいとなります。基本ボラは食性が違うので釣れません。
場所的に東京タワー方面をみた図です。釣り人も一人しかいませんでした。これだけ広々としているのは東京では珍しい場所だとおもいます。圧倒的な解放感でイイ感じしかしない場所です。雲も龍が昇っているようにみえます。遮るものがないため夏は暑そう。
レインボーブリッジを望んで。奥にかすかに第六砲台跡がみえます。見切れていますが手前の第三砲台跡は都立台場公園となっています。台場公園は歴史があって、ペリー来航に慌てふためいた江戸幕府が品川の御殿山を切り崩して砲台を作り、その砲台跡が公園となったのは、昭和3年 1928年の事。100年近く前の話です。当時は陸路では繋がっていないという難易度高めの公園でした。今は陸続きなので気軽にいけます。

現在の地図

○ 現在地付近で主だった施設は豊洲市場です。
豊洲市場は築地市場より2018年に移転。
2024年に飲食施設の千客万来が開場し連日大変な賑わいとか。
(混雑が苦手なので行ったことはありません。)
豊洲市場に入荷される魚は陸路だけでなく水路にも対応。

↓こちらが船着き場になっています。↓

この船着き場の桟橋は釣りのねらい目ですね。

○ 南にいくと有明、お台場があります。
お台場のフジテレビは1993年開場 私は1996年あたりにレインボーブリッジを通ってよくバイクでお台場にいっていました。
当時最先端の場所だと思っていたので行けばなにかいいことあるかなという考えでした。結局なにも考えずにお台場いったって、なにもいいことは無かったです。

考えると20代って目まぐるしかったな。
モラトリアムを求めて逃げ回っているだけでしたが。

思い起こすと「もう」という言葉が常について回ったなとおもいます。
「もう21だから(将来のことを考えなければならない)」
「もう23歳だから(新しいことを始めるには遅い)」
「もう25歳だから(いいかげんヤバいよと同世代にマウント取られる)」「もう30歳だから(実家に帰らないといけないかもしれない)」
「もう36だから(年齢的に正社員雇用は難しい)」
「もう40だから(肉体が衰えてくる)」
「もう50だから(やることを減らして身辺整理を考えなければいけない)」

なんだかんだでやらない事の言い訳だったのかなぁ。まあ、たまにはしょうがないですね。
「もう」を「まだ」に変えると元気が出る気がしますね。というより自分自身で年齢制限を考えないほうが良いかなと。隙あらば自分語りはこのくらいにしましょう。


明治9~19年 1876~1886年

現在地の西にある第七砲台は今は姿形もありませんが、現在地から南西の方角にあるようです。砲台というよりも陸地を作っている感じなんですね。

明治39~42年 1906年~1909年

消えかかっている第七砲台跡
もしかすると今でもこの辺りは若干浅瀬になっているかもしれません。
遠投禁止ですが、磯竿でぶん投げたら第七砲台跡のかけあがりまで届く・・・とどかないな(笑)

関東大震災直前 大正5~10年 1916年~1921年

第三砲台跡の台場公園ですが、堤防に関東大震災でなくなった方がたくさん流れ着いたという慰霊碑があるのですが、地図でみると関東大震災で流れ着いた方は堤防は当時はなさそうなので、関東大震災でご遺体が流れ着いたのは第三砲台跡なのかなと思いました。

昭和初期戦前 昭和3~10年 1928年~1935年 

○ 第三堤防跡は昭和3年 1928年に都立公園に。史跡公園の表記がみえます。公園になっても行けるのは船のみ。

○ 南側は有明ですが、昭和6年 1931年から埋め立て開始。埋め立てる場所の枠を作ってから埋め立てていく様子がわかります。

○豊洲ぐるり公園の南側を延々とあるいていたときに運河の間にある堤防ってなんだろうなとおもっていたのですが、昭和初期のものだったとは。偶然に写真を撮っておいてよかった。東京湾旧防波堤というようです。

おそらく空襲で流れ着いたご遺体はこちらの堤防に流れ着いていたと思われます。だから台場公園に続く堤防の慰霊碑は関東大震災・東京大空襲犠牲者慰霊碑となっているんだ。

この堤防って木が生い茂っているので明治神宮のようにある程度自然のままになっているような気がします。(お台場側は旧防波堤桜プロジェクトで桜が植えられているようです。)もはや堤防の役割はありませんが海に緑があるなんてワクワクします。旧防波堤上陸ツアーなんかあったらよいかも。

東京湾旧防波堤



高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

○ 有明の住居表示ができたのが昭和43年 1968年 豊洲の埋め立ても徐々に進んできた時期。
その過渡期の地図です。
台場公園も陸続きではないから、船で行き来できるようにしていたのでしょうね。


バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

豊洲は東京ガスの工場。
有明はスポーツセンター。
お台場は広大な運動広場。

フジテレビの新社屋が完成、運用されるのが1997年でまだ着工もしていない時期。台場公園といつごろから陸続きになったのかはちょっと調べきれませんでした。

豊洲ぐるり公園は広々としているし、公園自体は人も少ないので一度行ってみる価値はあるとおもいます。
いっそのこと豊洲駅で降りて、ぐるり公園をぐるり一周するとそれだけで4km以上歩けます。脱離したくなったら、上に上がって豊洲市場駅で電車に乗れます。



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