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連合愛知のメーデーはなぜ5月1日ではないの~式典を最初にずらした1996年の記事から

 「大規模メーデー4年ぶり開催 連合愛知」の記事が30日の読売新聞愛知県版に載っています。労働者の祭典といわれるメーデーは本来、5月1日のはずです。
 実は大型連休(GW)期間中の5月1日を避けたのは、1996年の連合愛知が最初でした。読売新聞の1996年4月12日社会面に「5・1だと連休つぶれる…」として堤稿したことを思い出します。
 1996年のGWは、4月27日(土)から5月6日(月)の振替休日まで最長で10日間となります。連合愛知はそれまで5月1日に全国のメーデー統一行動に合わせて式典を開催。
 一方で労組離れを食い止めるため、連休初めに歌謡ショーなど家族向けフェスティバルを企画し、硬軟分離とする「愛知方式」が定着。全国各地の連合の3分の1が採用していました。 
 1988年のメーデーを取材したときには、すでにデモ行進の距離を短くして、式典時間も例年より20分短縮していました。デモに登場する14単組の張りぼてのデコレーションのコンテストを実施して優秀賞を選抜。その際、投票を1票10円で募り、集まった募金約6万5000円を福祉施設に寄付しています。知多半島の常滑地域では親子向けの映画上映会を開き、デモ行進はありませんでした。
 そして96年。ついに連合愛知は加盟53団体から役員が出席する式典も連休初めの4月28日(日)に日程変更したのです。当時の連合本部は「元日をずらすようなもの」と戸惑っていたことを思い出します。
 このときの連合愛知の会長は、トヨタ労組の出身者。記者に「家族サービスを重視するなど組合員の意識も変わっててきているから」と説明していました。
 メーデーは労働者が抱える課題を広く訴える場でもあります。しかし、日本では連休のど真ん中で、参加者に負担をかけてきた一面もありました。
 連合愛知が先取りした試みが今も続いているのは、組合員の要望に沿い続けていたからでしょう。
 一方で、かつての「メーデーを祝日に」の声が、しぼんできたことも気がかりです。
(2023年4月30日)

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