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アフリカ・ニジェールの医療に尽くした信州大学卒の医師谷垣雄三さんの足跡が本に

  アフリカ西部・ニジェールの医療に力を尽くした信州大学医学部卒の医師谷垣雄三さん(故人)の足跡をまとめた本「ニジェールのドクター・タニ 外科医谷垣雄三物語」が国際開発ジャーナル社から出版されました。

「ニジェールのドクター・タニ 外科医谷垣雄三物語」

 筆者は谷垣さんが所属したワンダーフォーゲル部で一緒に活動した信大文理学部出身で元全国紙記者川本晴夫さん(79)=千葉県=です。
 谷垣さんは京都府出身で1967年に信大医学部を卒業。1976年に会社の嘱託医としてニジェールに赴任しています。帰国後、国際協力機構(JICA)の医療専門家として1982年に再びニジェールに赴きました。首都ニアメにある国立病院と国立大学医学部を拠点にして、静子さんとともに外科医療の向上に務めました。
 着任後、二人は日本の3倍もある国土を四輪駆動車で駆け巡り、貧しい人々の医療体制を整えるために12カ所の外科施設をつくるようにニジェール政府に提言しました。雄三さんは先導役となって、首都から770キロ離れたテッサワに私財を投げうって「パイロットセンター」と名付けた医療施設をつくりました。
 静子さんは1999年に現地で死去。雄三さんはJICAの派遣任期終了後も現地で活動を続け、2017年に75歳で亡くなりました。
 現在、信大出身者らによる「谷垣雄三・静子夫妻記念事業実行委員会」が、全国各地で医療の実績や静子さんが現地で描いた絵画などを展示する企画展を開催しています。
 名古屋市中村区のJICA中部で2021年4月、「ニジェールの外科医 谷垣雄三氏と静子夫人を知る企画展」が開かれ、多くの感動を呼びました。このときの様子はnoteでも紹介させていただきました。(https://note.com/aratamakimihide/n/nece9e2946960)
 執筆した川本さんは、同期の谷垣さんについて広く知ってもらいたいと、谷垣さんからの手紙や有志の追悼文集を読み進め、2018年から執筆を続けてきました。
 川本さんとは面識がありませんが、同じ全国紙で働いていた私の大先輩です。新聞記者の先輩のなかには、会社を卒業した後もコツコツと取材を続け、本を出される人が結構います。会社に定年があっても、記者という仕事には定年がないからです。
 川本さんの出版の話を知り、私もコツコツと取材を続ける気力がみなぎってきました。
 入社1年目は記者(汽車)と認めてもらえず、「トロッコ」といわれるのが、かつての新聞社でした。取材手帳と鉛筆、公衆電話用の十円玉を持って、肩からフィルムカメラをかけて、革靴の底をすり減らしていた時代です。
 今は、スマートフォンなどの通信技術が格段に進歩しています。フィルムカメラと比べると、デジタルカメラのなんと軽いことよ。取材する環境は良くなったのですが、「志ひとつ」の気概は当時と比べてどうでしょうか。
 あらためて谷垣雄三、静子夫妻の話を読むと、過酷な環境の中にありながら、ニジェールという貧しい国でも対応できる医療技術を広めた足跡に感銘を受けるのです。
 環境が厳しければ、それに合った工夫をしていく。医療も現場での取材も通じるものがありそうです。
 「ニジェールのドクター・タニ 外科医谷垣雄三物語」の表紙には、静子さんの絵画を載せています。四六判265ページ。税込み1980円。ネット書店や通販でも購入できます。
(2022年6月2日)
 

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