映画感想(ゴジラ-1.0)

作品名:ゴジラ -1.0
監督:山崎貴
総合評価:A
 
さて、落ち着いたところでゴジラ-1.0の感想。
ゴジラ映画の‐1.0時系列ってことだが、他のシリーズ作品を観ていなくても、この映画単体で楽しめる作品だと思う。
ネットで見かけた、説明のくどさなどは一切感じなかった。
また、これもネットで見かけたゴジラの出番が少ない、ってのも、全く。
むしろ、ゴジラの存在を中心に、敷島がなぜそう思うに至ったかを丁寧に描いているため、心情に共感しやすい。
また、取り巻く登場人物も存在が自然であり、余計なヘイトを稼ぐ人物はいなかった。
比較はあまりすべきではないかもしれないが、シンにおける異物レベルのいわゆる変なキャラクターはいないため、広く受け入れられやすい。
全体的に、素直に観ていられる。逆に、登場人物に強烈に惹きつけられるか、というとゲ謎の時のような、湧き上がる何か、というのはそこまで強くもない。尊くはあるのだけれど。
そして、そちらが少し抑え気味であるからこそ、ひときわ強烈に印象に残るのはゴジラの怖ろしさ、脅威である。そういった意味で、これは正しく「ゴジラ」なんだな、と。
また比較をしてしまうが、シンでずれたゴジラ観を、この映画で元に引き戻した感がある。本来の――かどうかはわからないが、正統派ゴジラ。そんな印象を自分は持った。

自分が観た感じ、なぜ国内より国外の方が人気が高いのか、というあたり、完全に想像だが理屈はわかるような気がする。この時代背景で、この描写、古くから日本人やってる人間は、余計なことを考えてしまうのだ。
まあ、本来ゴジラの誕生由来からすれば、裏にその余計な事がたんまりあるっていう話ではあるのだけれど、自分が今回言っているのはそこではなく。
つまるところ、昭和~平成あたりの世代が、終戦前後系エンタメから受けた刷り込みイメージと本作との齟齬による違和感、の話である。
間違ってはいけない。現実の当時との齟齬、ではない。
要は、あの時代の人たちはこういう人たちなんだ、というのを他の映画やらなんやらで学習してきたがため、時代の移り変わりによるセリフ回しの変化にわずかに違和感を覚えるのだ。もちろん、元になってる判定基準も創作物から学んできた勝手な視聴者側のイメージでしかないので、今作が間違っているわけではない。
例えば、大河ドラマで平安時代をやる際に「当時の言葉」でセリフを書くわけにはいかない。絶対意味が通じない。なので現代語訳をするわけなのだが、時代の移り変わりにより、この現代語も変化している。昭和で書いた現代語訳と令和で書いた現代語訳は違うのだ。
さて、では海外に行ったとき、これがどうなるか。
そう、元々日本語圏ではないので、その言葉の違和感はなくなるのである。
なんだったら、言葉以外の時代背景についても。
だから、今作は国外人気の方が高くなった、と自分は見ている。
もちろん、これは国内と国外比較の話であり、賞を取るほどの評価を受けたのは、ひとえに映画の出来が素晴らしかったからだ。
自分はどうしてもシンと比較してしまうのだが、今作の方がシンより好きである。なんというか、素直に楽しんでいいんだ感というか、エンディングの後の希望感というか。いや、シンもあれはあれでそれなりに面白かったのだけれども。こうやって正統派と比べるとあっちはかなり歪みが目立つなぁとか。

これから、この映画を観る人にアドバイス。身構えず、余計なこと考えないで観た方が、この映画は楽しいぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?