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「月面ホームレス」第2話

バーのカウンターに座る宙。
「けっ…なにが居場所だ」
と、ビールを呷っていると、
「いいじゃねえか」と背後から声。
「一緒に飲もうぜ」
ナンパ男が女性に絡んでいる。
「ちっ…0.8Gだからって浮かれやがって」
と、宙、貧乏ゆすり。
「もちろん奢る。渋る理由なんて天の川銀河中を探してもないだろ?」
「私、天文学者じゃないから」
女性、微笑んであしらう。
「じゃあ今夜特等席で天の川を見せてやるよ。なぁに心配しなくていい。俺ぁ金はあるんだ」
「ねえのは品だけってか」
と、宙、空のジョッキで机を叩く。
「あぁ?なんだてめえ」
と、凄むナンパ男。
「人類の最前線で恥ずかしいことしてんじゃねえよ。バズ・オルドリンが泣いてるぜ」
と、席を立つ宙。
「喧嘩なら買うぞ」
と、ナンパ男。
「ただでくれてやるよ」
睨む宙。
次の瞬間、同時に殴り掛かる。
野次馬が囃し立てる。
「拍子抜けだな。アジア人ならケンポーの一つや二つ使ってみろよ」
と、ナンパ男。
「その偏見に乗ってやらぁ」
宙は不敵に笑い、
「必殺!忍法!」
と、カウンターに飛び乗る。
野次馬が「忍法⁉」と目を輝かせる。
「0.8Gニーキック!」
と、跳躍する宙。
ナンパ男の顔に膝頭が当たり、吹き飛ぶ。
「バカめ!見るからに宇宙痩せしてるやつに俺が負けるか!1Gで鍛えた筋肉なめんじゃねー!」
と、中指を立てる宙。
野次馬が「スペースニンジャ!」と声を上げる。
「怪我はない!?」
と、女性が宙に近づく。
「ああ、怪我はねえが。喉が渇いた」
「なら、口直しにどう?」
と、女性、乾杯の仕草。
「いや、でも…」
と、宙、手首をちらり。
「安心して。私、お金はあるの」
と、女性、ウィンク。

カウンターに並んで座る二人。
「へえ、ホァンさんは日本にも住んでたんだ」
と、宙、ウィスキーグラスを傾ける。
「短いけどね。というか香織カオリでいいわよ」
と、香織、指先で丸氷をくるり。
「それより宙くんは普段は何をしてるの?本当にニンジャって訳じゃないでしょ?」
「今は特に…というか地球したに居る頃から漁業、配管工、接客まで多岐に渡るというか…」
と、宙、後頭部を掻く。
「ふぅん。じゃあ月には何をしに?」
と、頬杖をつく香織。
「夢を叶えに来た」
と、グラスを傾ける宙。
「夢?」
「ああ、俺はミュージシャンになる。そんで宇宙に散らばった人類百億人を俺の歌で感動させる」
「へえ…ミュージックロイド全盛の時代にすごい覚悟ね」
香織が優しく微笑む。
「失敗してもいいさ。独りで死ぬ覚悟はできてる」
「…あなた、酔ってる?」
「まだ酔っちゃいない」
と、宙、酒を飲み干す。
「ところで香織さんこそ何を?お金はあるとか…」
「私は」
と、香織が言うと同時に、
「火星人!やっぱりここにいたか。明日はどうす…」
と、アルチョムが威勢よく入店してくる。
「ありゃ?嫦娥チャンウーじゃねえですか。なんで宙と」
「久しぶり。アルチョム」
と、手を振る香織。
「知り合いなのか?」
と、宙、二人の間で視線を泳がせる。
「知り合いっておめえ、嫦娥は月面の…」
「アルチョム」
と、香織、言葉の先を制する。
「おっと、こりゃ失敬」
肩を竦ませるアルチョム。
「それよりいいところに来たわ」
微笑む香織。
首を傾げる宙とアルチョム。

月面都市・郊外。
ローバーに乗る宙とアルチョム。
「あの人、何者なんだよ」
「おまえより酔狂な人だ。詳しくは言えんがな」
「はぐらかしやがって」
と、席に身を持たれながら、毒づく宙。
「いいさ。どうせ俺ははみ出し者だしな」
「拗ねるなよ。おまえもそのうち月面の一員になれるさ」
「ふん。誰がなるか。月まで来て仲良しごっこなんて嘘っぱちだぜ」
と、宙、鼻を鳴らす。
「つうか、なんで俺を巻き込む。せっかく気分よく飲んでたのに」
「それが嫦娥の依頼だ。散歩だと思えばいい」
「酔い醒ましのつもりか?俺はまだ酔っちゃいねえがな。とはいえ、酒飲んだ人間を基地の外に連れ出したのも事実だ。飲酒歩行の幇助は大罪だぜ?」
「それで言ったらロシア人は一生宇宙に出れねえわな」
と、アルチョムは大笑する。
「でも出てきた。宇宙開発の正しさなんてまだわからなかった時代に、ツィオルコフスキーもコロリョフもウォッカ片手にここを目指した」
月面に空のウォッカ瓶が刺さっている。
「彼らは酔っていたんだ」
ローバーが空き瓶の横を駆ける。
「俺はそういう話をしてるんじゃ…」
「いや、そういう話だ」
と、遮るアルチョム。
「ここは本来そういう場所だ。人生に酔ってる奴らが集うのさ――あれを見てみろ」
そのまま前方を指さす。
「なんだあれ」
と、宙も身を乗り出す。
「アームストロング記念碑がある静かの海行きのモービルだ」
遠くに超大型旅客モービルが見える。
「でけえ…あんなのが月面に」
と、目を見開く宙。
「たかが観光用だぜ?酔狂としか言えねえだろ」
アルチョム、くくっと笑い、
「こんな噂は知ってるか?」
と続ける。
「NASAは人類最初の一歩を風化させないために記念碑を建てることにした。だが建造途中、作業員がしくじって足跡を消しちまったらしい」
「は?じゃあ今あるのは…」
と、眉をひそめる宙。
「ミスを隠蔽した作業員の足跡…あくまで噂だがな」
アルチョムが口端を上げる。
 「そう考えるとおかしいだろ。偽物かもしれない足跡を見に行くのに往復一週間と数千ドル」
旅客モービルが遠ざかっていく。
「だけどな、あの足跡が本物だとか嘘っぱちとか、そんな冷めた話をする奴ぁここにゃいねえ。誰もが酔いの回った目ぇ輝かせて、たった11インチの凹みを拝むのさ」
と、アルチョム。宙は「ふんっ」とそっぽを向く。
「なんだ。じじいの長話に今度こそ酔いが醒めたか!?」
「いや、残念ながら」
と、宙、月面を進むモービルを見て、
「さっき飲んだ酒が少し回ってきちまったみたいだ」
と、舌を鳴らす。

農業プラント。
「でけぇが…これで二十万人を養えるのか?」
と、廊下を歩く宙。
「ここは民間に払い下げられた初期プラントだ。マリウス丘に最新のがある」
「はー…これで旧式か」
「それでもまだ地球産の野菜に頼らなきゃやってけねえがな」
と、笑うアルチョム。
遠くから「おーい」と声がする。
「ん?ありゃあ…」
と、宙、目を細める。

ガラス張りの廊下。
ガラスを隔てて一面の畑。
「まさか知り合いだったとはな」
と、アルチョム。
「泉さんは以前、弊ホテルにご宿泊頂いてたんです」
と、竹取物語のイーラム。
「世間話はいい。で、依頼はなんだよ」
と、口を尖らせる宙。
「散水装置が動かなくて困ってるんです。配管の故障だとは思うんですが、メンテ用のロボが出払っていて…」
と、イーラム、生産室のドアを開ける。
 「で、嫦娥に泣きついたら俺たちが送られてきたわけだ」
と、アルチョム。
 「そういうことです。まいりました…このままだと枯れてしまう」
「月面都市もあちこちガタがきてるなぁ」
と、ぼやくアルチョム。
 「さ、火星人。早く直してやってくれ」
「は?俺がやるのかよ」
と、虚を衝かれる宙。
「ん?おまえができるから声がかかったんじゃないのか?」
「俺はそんなこと一言も…あっ」
と、宙。バーでの香織との会話を思い出す。
「しゃあねぇ…見るだけ見るか」
と、宙、渋々前へ。
後ろでアルチョムが肩を揺らす。

「詰まってるな」
と、配管を覗き込む宙。
「レゴリスは細けぇからな。このクラックから入ったんだろ。エアーダスターと樹脂パテあるか?」
宙、配管のひび割れを指先で叩く。
「すぐに持ってきます!」
と、イーラム。
「ほお…たいしたもんだ」
と、感心するアルチョム。

黙々と作業する宙。
横で話すアルチョムとイーラム。
「ここでは何を?」
「小松菜です。育成推奨作物でして」
「ほー。では補助金が」
「ええ。栄養価も高いですしスムージーにして売ろうかと」
一方の宙、額の汗を拭う。
「っし。できた!」

散水管を見つめる一同。
ぷしゃっと急に散水され、同時に驚く。
「まあ、ざっとこんなもんよ」
と、胸を張る宙。
「助かりました。ありがとうございます」
と、オーナーに手を取られ、「大袈裟だな」と驚く。
「いえ。月では些細な問題が命とりになります。泉さんがいてくれてよかった」
「そ、そうか…?」
「ええ。月面都市は未だ発展途上。私みたいに困っている人は多くいます」
「良かったな。てめえがふらふら歩いてきたのも、ここでは一つの価値になるらしい」
と、にやつくアルチョム。
「…そうか」
と、宙、視線を落とす。
土に汚れた掌が映る。

翌日、宙は再び屑鉄拾いへ。
屑鉄とともに廃材も拾う。
エアロックで廃材を洗浄していると、
「なにしてるんだ?」
と、ジュードが絡んでくる。
「立身出世の準備」
と、淡白に答える宙。

「うしっ」
と、大通りに立つ宙。
廃材製の立て看板には『月のなんでも屋』の文字。
「さて、記念すべき客第一号はどこのどいつだ⁉」
と、往来を睨む宙。
「そこのあんた!困ってる顔だ!」
スーツの男を指さすが、
「ひっ!」
と、逃げられる。
「そこのあんたも!」
「きゃっ!」
と、同じく逃げていく婦人。

気が付けば、宙を避けるように人が流れる。
「なぜだ…なぜ客がこねぇ…現代人は星の数ほどの悩みを抱えてるだろ…」
呪詛を吐く宙。
「ねえ、お兄さん」
と、視界外から声。
「?」と下を向く宙。
ゴールデンレトリバーを連れた少年が視界に入る。
「お兄さんは本当になんでもできるの?」
「ガキの依頼以外はな。ほれ、角のおもちゃ屋に寄って帰りな」
と、雑にあしらう宙。
「ねえ、お兄さん」
「んだようるせえな。ここは資本主義社会だ。金のねえガキは帰んな」
と、眉根を寄せる。
少年、無言で手首の端末を見せる。多額の残高が表示されている。
「おまっ…これ…」
「足りる?」
「足りる?じゃねえ。こんな大金を人に見せちゃ危な――っ」
と、慌てて少年の端末を覆い隠す宙だが、不意に袖を引っ張られる。
「お願い。お金ならいくらでも払う!だから、僕を地球に帰らせないで!」
少年が切実な顔で訴える。
「…へ?」
と、宙は面食らう。

〈了〉

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