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「タイムマシンのレシピ」第3話

夕暮れの商店街。
寂れたブティックから出てくる美玲。手には紙袋を携えている。
美玲、そのまま河川敷へ向かって歩いていく。
「おじさーん…」
「ここだ」
と、土手の茂みからぬっと顔を出す濱田。
びくっと身を強張らせる美玲。
「…はい。これ」
と、面倒そうに紙袋を手渡す美玲。
「助かる。さすがに血の付いた服だと目立つからな」
濱田、紙袋を受け取り、中から服を取り出す。
替えの服はプレゼント用の包装で包まれている。
「……なんだ、この包装は」
「お父さんへのプレゼントっていうテイ。私が男の人の服を買うのおかしいでしょ」
と、口を尖らせる美玲。
「まあ、そうか」
と、濱田、頭を掻く。
「ありがたく受け取るよ」
「…ん。どういたしまして」
と、そっぽを向く美玲。
「それより早く行こ。あの人たちが帰ってきちゃう」
と、振り向き、家に向けて歩き出す。

夕暮れの商店街。
寂れたアーケードを歩く濱田と美玲。
濱田は白いYシャツに濃い灰色のスラックスの装い。
「君の家は…近いのか?」
「うん。世田高の近く…って言ってもわからないか」
と、美玲、微苦笑する。
「いや、わかる。僕の出身校だ」
「へえ…おじさん、ここが地元なんだ」
と、目を見開く美玲。
「ああ、まあな」
「……どうしたの?」
「いや、この通りはなにも変わらないなと思ってな」
と、濱田、視線を横に向ける。
ふたりは寂れた質屋の前を歩き過ぎていく。
「懐かしむとか、まじでおじさんっぽいよ」
と、くくくっと肩を揺らす美玲。
「ほうっておいてくれ。これは郷愁じゃなく知的好奇心だ」
と、眼鏡を直す濱田。
「強がっちゃって。でも良かったね。偶然私に見つからなかったらさ、この商店街は歩かなかったかもよ」
と、得意気に口の端をあげる美玲。
「…いや、そうでもないさ」
と、濱田、前を向く。
白線を踏み、横断歩道を渡っていく。
「この世で観測し得る出来事に、偶然なんてないんだ」
そのまま横断歩道を渡り切る。
信号はちょうど赤に変わっている。

瀟洒な住宅街。
二階建ての大きな一軒家の前に立つ、濱田と美玲。
門扉の横には『及川』の表札がかかっている。
「……この立地でこの大きさか」
と、二階を睨んで呟く濱田。
「まあね。言ったでしょ。私、ボンボンだって」
と、門扉を潜る美玲。
「自分でボンボンと言うのか…?」
「自虐。それくらいわかって」
と、美玲、言いつつ玄関扉に鍵を挿し込む。
薄暗い廊下を歩く濱田と美玲。右手の壁に風景画。左手に二階へ続く階段がある。
リビングに着き、美玲が照明をつける。
L字型のカウチソファ。大きなテレビとテレビ台。
室内後方にはキッチンとダイニングテーブルがある。
ダイニングテーブルには海外の大学のパンフレットが積まれている。
「両親はいないのか」
と、室内を見渡して言う濱田。
「あの人たちは忙しいから」
と、キッチンへ向かう美玲。
「そうか」
と、濱田、ちらりと視線を動かす。リビングの壁に飾られた一枚の写真が目に入る。
複数名の大人がホームパーティーをやっている様子。場所は及川家のリビング。美玲は写真の端に所在なく立っており、花柄の包装紙に包まれた箱を持っている。写真には『及川隆雄先生 誕生会』の記載がある。
「……それは好都合だ」
と、濱田、目を細める。
「なんか飲む?あの人たち、当分帰ってこないし、私はキャッシュカード探さなきゃだし」
「いただこう。コーヒーはあるか?」
と、濱田もキッチンへ向かう。
リビングの隅に置かれたゴミ箱には、花柄の包装紙に包まれた箱が捨てられている。

ソファに座る濱田。マグカップのコーヒーを啜っている。
たったった、と廊下から歩く音がする。
「あった」
と、美玲が廊下から現れる。手にはキャッシュカードとクレジットカードが握られている。
「助かる」
と、立ち上がり、すっと手を伸ばす濱田。
逃げるように、さっと身をよじる美玲。
「取引、でしょ」
と、濱田をじとりと睨む
「まず答えて。おじさんのタイムマシンはどこにあるの?」
「あいにく、この時代には存在しない」
と、濱田、再度ソファに腰掛け、頭を掻く。
「はあ!?なにそれ!!」
と、目を丸くする美玲。
「今から材料を集めて作るんだ。心配しなくていい。レシピはこの中に入ってる」
と、濱田、人差し指で自身のこめかみを指す。
「さすがに、馬鹿げてる…」
「一見して馬鹿げていないアイデアは見込みがない。byアインシュタイン」
と、濱田、マグカップに手を伸ばす。
「順を追って話そう。まず、僕が考案したタイムマシンの原理についてだ。重力レンズ効果は知ってるか?強い重力があると時空が曲り、光も曲がるというものだ」
と、濱田、マグカップを持ち上げる。
「…うん」
と、弱弱しく顎を引く美玲。
「光には質量こそ無いがエネルギーはある。そのエネルギーを積み上げていけば逆の作用で時空を歪めることができて…」
と、濱田、コーヒーを優雅にひと啜り。
「この歪んだ時空境界面に沿って情報をのせた粒子を投入すれば情報を未来から過去へ送信することができるようになる。これが土台にある」
「へぇ…それで?」
と、美玲、眉をひそめる。
「簡単に言えば、強力なレーザー光線をループ状にした鏡の中に照射し、何度も反射させる。そして”閉じた時間曲線”を作るんだ。これがCTCと呼ばれるものなんだが――……」
と、濱田、滔々と語り続ける。
美玲、唇を噛む。
身体の横で、手をぎゅっと握り締める。
この間、濱田は喋り続けている。
「…――というわけだ。莫大なエネルギーさえあれば、他の時空間座標に自分を出現させることができる。もちろん、飛び先には条件や制約はあるが」
「…ふぅん」
と、美玲、口の端を無理に上げるが、表情は強張っている。
「…できる限り噛み砕いたが、もしわからないのなら――」
と、濱田、美玲の様子に目を細める。
「わからなくない!」
と、美玲、声を荒げる。
「そうムキになるな。わからないことは悪いことじゃない」
「…悪いことよ」
と、美玲、拳を握り、身を強張らせる。その背後にはダイニングテーブル。大学のパンフレットの山が崩れかかっている。
「わからないのは、悪いことなの」
と、美玲、目を伏せ、口を引き結ぶ。
はあ、と濱田。ため息を吐く。
「私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である」
「…は?」
「アインシュタインの言葉だ。君がどんな教育を受けてきたか知らないが、僕に言わせれば、その思想こそが悪いことだ」
と、濱田、美玲をまっすぐ見つめる。
「無知を恥じるな。無知に胡坐をかき、知を拒むことこそが悪なんだ。覚えておくと良い」
と、頭を掻く濱田。
「…なにそれ、偉そうに。おじさん、絶対友達いないでしょ」
と美玲、無理に口の端を上げる。
「いないね。だいたい必要性を感じていない。君は違うのか?」
と、濱田、またコーヒーを啜る。
美玲、俯いてなにも言えない。
「…話が逸れたな。もう一度聞くが、訊いておきたいことがあれば今訊いてくれ。僕は同じ話をするのが苦手だ」
と、濱田、マグカップを揺らす。
「…じゃ、じゃあ訊くけど…タイムマシンを動かすのに必要なエネルギーって、一体どこから持ってくるつもりなの?」
と、美玲、顔を上げて訊ねる。
「良い質問だ」
濱田、マグカップを置く。
美玲、わずかに頬を染め、照れる。
「太陽を盗む」
「…太陽?太陽って、あの?」
「もちろん比喩だ。ここでいう太陽とは原子力発電を指す」
「…は?原子力…?」
「さきほど条件があるといったが、これがそのひとつだ。タイムマシンが飛べるのは原子力発電が一般化した時代と地域だけ」
と、語る濱田。
美玲はぽかんとしている。
「まあ帰路を考えなければ千年前の南極にだって飛べるんだが、それは観測結果の報告ができないので良くない」
と、濱田、頭を掻く。
「本来であれば、この時代の為政者とコンタクトをとり、穏便にエネルギーを拝借するのがベターなんだが…今回は急に来たうえ、早急に帰らないといけないから盗むしかない」
「なんで急ぐの?」
「僕のほかに、少なくとももうひとりタイムトラベラーがいる」
と、眼鏡を直す濱田。
美玲、瞠目する。
「もしそいつが先にエネルギーを盗めば、この時代の警備体制は強化され、僕がタイムマシンを再起動することは難しくなる」
と、濱田、腰を上げ、
「さて、説明は以上だ。準備をしよう」
と、美玲を見下ろす。
「目的地は茨城の那珂市。そこで太陽を盗み、時を超える」
「ちょっと待って。今、茨城って言った…?」
と、美玲が眉間に皺を寄せる。
「ああ。ここから北へ130キロほど…在来線を使っても3時間もあれば着く」
「……なに言ってんの。未来から来たんなら、おじさんだって知ってるでしょ?」
「要領を得ない会話は嫌いだ。はっきり言ってくれ」
「だって…茨城は”あの事件”のせいで今は立ち入りが制限されて……」
「……あの事件?なにを言って…」
と、今度は濱田が眉根を寄せる。
美玲、急いでダイニングテーブルに駆け寄り、
「これ見て」
と、タブレットを抱えて戻ってくる。
「なんだ、これは…」
と、タブレットを受け取り、画面を見た濱田は瞠目する。
「たとえおじさんが未来人でも、”この時代に生きてた事実”があるなら忘れるはずがない」
と、美玲、眉尻を下げる。
「だって、こんなに大きな事件なんだもの」
タブレットの画面にはニュース記事が表示されている。
『巨大な人工衛星が霞ケ浦に落下』の見出し。
大きなクレーターの写真が並び、『製造年月日、製造国も不明』『交通機関の麻痺未だ回復せず』の記載が続く。
その下に地図も載ってる。埼玉県我孫子市、柏市付近の県境が赤く染まっている。上野東京ライン、常磐線の沿線にもバツ印が多数。
茨城へ北進するアクセス経路がほとんど絶たれている。
「ほんとに、知らないの…?」
と、美玲、訝し気に濱田を見上げる。
「ああ…信じがたいが…」
と、濱田は口元を手で覆い、
「どうやら神は、サイコロを振るらしい」
呟き、呆然と立ち尽くす。
リビングには二人の濃い影が伸びている。

〈了〉

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