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「転生なんて、しないから」第1話

とあるビルの屋上。下には御茶ノ水のビル群が広がっている。
「死んだら、異世界に行けるらしい〈モノローグ〉」
落下防止柵の際に立つ沢木さわき佳澄かすみの姿。
肩にかかる長さの黒髪。薄手の灰色パーカー。
濃紺のジーンズ。白のキャンバススニーカー。
佳澄、下を覗き込む。髪がビル風になびく。
アスファルトの地面が遠い。ぐっと目を瞑る。
「…大丈夫。きっとアニメとか漫画みたいに転生できる」
と、佳澄、ぼそりと呟く。長い髪が垂れ、その横顔は窺えない。
佳澄の視点、アスファルトを映した視界が恐怖にぶれる。
「もう…こんな退屈な世界――」
と、佳澄、ぎゅっと唇を噛み締める。
「ねえ、なにしてんの」
と、佳澄の背後から誰かの声。
「――え?」
と、佳澄、驚きながら振り返る。
「そんなとこにずっと居るのってさ」
と、呟く謎の女(渡会わたらい恭子きょうこ)。
屋上へ続く階段付近に立ち、缶コーヒー片手に立っている。
赤いメッシュの入ったショートカット。カーキのブルゾン。黒いインナーシャツ。黒いパンツ。ブラウンのブーツ。
「嫌じゃない?」
と、恭子、目尻をくしゃりと歪めながら缶コーヒーをひとくち啜り、
「風強いし」と、一言添える。
 「ああ、うん。そうだ――〈モノローグ〉」
と、佳澄、目尻を哀しげに下げる。髪は風でぼさぼさに乱れている。
 「ずっと、嫌だった〈モノローグ〉」
と、佳澄の手、落下防止柵から離れる。
それを見る恭子、ハッと目を見開き、缶コーヒーを投げ捨てて駆け出す。
佳澄の身体、屋上からゆらりと落ちていく。

【佳澄の回想IN】
「要領が良くないとダメな世界〈モノローグ〉」
小学生時代の佳澄。
算数の授業。黒板に問題を書く教師。
隣の席の女子生徒含め、皆が手を挙げるなか、佳澄だけが俯いている。

「可愛くないと笑われる世界〈モノローグ〉」
中学生時代の佳澄。
俯きがちに廊下を歩く。重たい前髪が揺れる。
三人組の男子が追い越していく。
ちらりと振り返り、「はずれー」と笑う。
佳澄、前髪をひっぱり、顔をさらに隠す。

「努力だけじゃどうにもならない世界〈モノローグ〉」
高校生時代の佳澄。
美術部の活動で絵を描いている。
顧問が寄って来て、あれこれダメ出しをする。
佳澄、俯いたまま膝の上で拳をきゅっと握る。

「ただ一人でいるだけなのに、それだけなのに、それをおかしいと笑うやつらがいる世界〈モノローグ〉」
大学に入学した佳澄。
学食でひとり、うどんを啜っている。
だぼついた灰色のパーカー。地味目のジーンズ。
ふと、笑い声がして、声の方へ視線を送る。
男女のグループに笑われている気配。
佳澄、向き直り、うどんを控えめに啜る。

「頑張って向き合おうともした〈モノローグ〉」
佳澄、緊張した面持ちで、スマホを見る。
画面には「美術サークルBrush新歓コンパのお知らせ」と大きく書いてあり、その下には店の場所や参加費が書いてある。
街角で立ち止まり、路面店のガラスで身なりを整える佳澄。
梳いて軽くなった髪。ボーダーのカットソー。グレーのフレアスカート。デニムのジャケット。
「よし」と鼻息荒く、意気込む佳澄。
しかし、スカートにサイズシールが貼ってあることに気付き、慌てて剥がす。

場面転換。居酒屋の座敷席。新歓コンパの光景。
 「でも――〈モノローグ〉」
佳澄、男子の先輩と女子の先輩を前にし、なにかを熱弁している。
酒の影響で顔がほのかに赤い。手元には飲みかけのカシスオレンジ。
「ちょっと」
と言い、席を立つ佳澄。
会話に手ごたえを感じており、表情が明るい。
その背後、男子と女子の先輩がやれやれといった様子で肩をすくめている。(佳澄は気が付いていない)

場面転換。居酒屋の廊下。女子化粧室前。
「なんかさー」
と、化粧室から声。佳澄、思わず立ち止まる。
「端っこにいたあの子さー、無理してない?」
と、鏡で化粧を直す同級生A。
佳澄、さっと壁の影に身を隠す。
「沢木さんでしょ。わかる。テンションおかしいよね」
と、同様に化粧を直す同級生B。
「ね。服もダサいしさー」
「まあでも真面目そうだし。インスタだけ聞いとこ。仲良くしとけばテスト前とか――……」
と、化粧を直しながら話すふたり。
壁に隠れたままの佳澄、動悸のする胸に手を当てる。
ふと、先ほどの先輩たちとの会話を思い出す。
聞いていたふたりの顔が引きつっていた気がする。
「傷つくだけだった〈モノローグ〉」
佳澄、化粧室前の壁にもたれ、立ち尽くす。

場面転換。佳澄の一人暮らしの部屋。
本棚に大量の漫画。ゲームソフトやアニメのDVDもある。
「息継ぎをするように、ネットの海に潜った〈モノローグ〉」
佳澄、暗い部屋の中、ベッドに寝転がりながらスマホを眺めている。
アニメキャラのアイコンが並ぶSNSのタイムライン。『森野先生の新作、よすぎた』という投稿が一番上に流れている。
佳澄は、”花炭かすみ”というアカウントで投稿文を作り始める
『森野先生の新作、私も昨日見たんだよな。めちゃくちゃ良いよね(語彙力)尊いというか、ふたりの関係性がいいというか…あ、個人の感想です』
一息で打ちきり、佳澄は投稿ボタンを押す。
「いろいろと言い訳をつけないと、大好きな作品の感想すら言えないけれど〈モノローグ〉」
と、佳澄、息を吐き、天井をぼうっと見つめている。
「ここがなくなったら、日陰暮らしの私に居場所はない〈モノローグ〉」
スマホの画面をちらりと流し見る。
”花炭”の投稿はすでに流れ、アカウントに通知や反応は一件もない。
他のアカウントが返信を送り合っている様子がうかがえる。
佳澄は「はあ」とため息を吐き、SNSのアプリを切り替える。
切り替わった画面を見て、急に唇を噛み締める。
「大嫌いだ。人生が充実しているくせに陰キャを自称するやつらとか〈モノローグ〉」
同級生Aの投稿。「やばい笑。ホント陰キャ笑」と、同級生Bと漫画喫茶の個室で寝そべる様子がアップされている。フォロワーからの反応がたくさん見受けられる。
佳澄は目を細め、ミュートのボタンを押そうとして、やっぱりやめる。
「自己肯定感が高くて、明るくて、騒がしくて、そのくせ要領もいいやつらとか〈モノローグ〉」
佳澄、ベッドに寝転がったまま腕を投げ出す。
右手に握り締められたスマホの画面には、楽しそうなSNSの投稿がたくさん流れている。
「この世界の全員が大嫌いなのに。なのに…〈モノローグ〉」
佳澄、左前腕で目を隠し、唇を噛み締める。
「本当はずっと、“誰か”になりたかった〈モノローグ〉」

「あの子みたいに頭が良くて〈モノローグ〉」
小学生時代の回想再び。算数の授業。
隣の女子生徒が当てられ、黒板の前に立つ。
見事正解し、先生やみんなに褒められる。
佳澄はそっと顔を上げ、彼女の誇らしげな笑みを見つめている。

「あの子みたいに見た目が良くて〈モノローグ〉」
中学生時代の回想再び。廊下を歩く佳澄。
引っ張り下ろした前髪の隙間から、教科書を運ぶ女子生徒の姿が見える。
その子が教科書を重たそうに持ち直す。
さっき佳澄を笑っていた男子生徒たちが駆け寄り、手を貸す。
「ありがとう」
と笑う女子生徒の横顔が眩しい。
佳澄はその横顔を見つめ、立ちつくす。

「あの子みたいに才能があったら――〈モノローグ〉」
高校生時代の回想再び。美術部の活動。
佳澄、俯いたまま膝上で拳を握っている。
ダメ出しをしてきた顧問、佳澄に基礎練習の本を渡し、立ち去っていく。
それを受け取った佳澄、そっと横を見る。
隣で作業をする冴えない男子生徒が顧問にほめられている。
男子生徒、気恥ずかしそうに笑う。
顧問は彼に美大のパンフレットを渡している。
男子生徒、驚きつつもパンフレットを受け取る。
佳澄、基礎練習の本をぎゅっと握り締める。

場面転換。佳澄の一人暮らしの部屋再び。
 「苦しい〈モノローグ〉」
左前腕で押さえていた目元から涙が零れる。
「いたいとか、つらいとか、そういうのは慣れる〈モノローグ〉」
佳澄、自室でひとり、嗚咽する。
「心を閉ざして、目を瞑れば平気になる〈モノローグ〉」
佳澄、暗い水の底に沈んでいく錯覚に陥る。
「でも、息苦しさだけは堪えられない〈モノローグ〉」
佳澄、暗い水の中、ごぼっと息を吐く。
「人が死ぬのには足りない理由かもしれない。でも、私が生き続けるのを辞めるには、充分な理屈〈モノローグ〉」
佳澄、縋るように手を伸ばしたまま、暗い水底へ沈んでいく。
「だから私は、ここから、この世界から――〈モノローグ〉」
【佳澄の回想OUT】

場面転換。佳澄が柵から手を離したシーンへ戻る。
落ちていく佳澄の身体が空中でぱしっと止まる。
「え…?」
と、瞠目する佳澄。目元は涙に濡れている。
「あー、いや、えっと…」
と、恭子、左手で柵を掴み、伸ばした右手で佳澄を掴んでいる。
「その…落ちて死ぬのって、結構痛いらしいよ」
と、佳澄を見つめたまま、曖昧に笑う。
「…は?」
と、虚を突かれた表情の佳澄。
「だから、めっちゃ痛いんだって。私、ばかだし、勉強もできないけどさ、それだけは知ってるんだ」
と、頬に汗を流しつつ、気丈な笑みで力説する恭子。
佳澄、その様子に呆気にとられ、言葉を失う。
「ね?だからやめない?」
と、額に汗を浮かべたまま、佳澄を引き止める恭子。
「えっと…」
「なに、この人…〈モノローグ〉」
と、佳澄、目を丸くする。
「ほら、私も結構、腕しんどくなってきたしさ」
と、顎先に汗がしたたるなか、苦し紛れに笑う恭子。
「私のことなんかなにも知らないくせに、どうせ明日には忘れてるくせに〈モノローグ〉」
と、佳澄、唇をわずかに噛み締める。
「やめようって…なんであんたにそんなこと言われなきゃ…〈モノローグ〉」
と、佳澄、奥歯を噛み締める。
「私だって、覚悟してここに――っ〈モノローグ〉」
と、佳澄、ぐっと顔を俯ける。
「わかってる。なにも知らないくせにって思ってるよね」
と、汗ばみながら笑う恭子。
「…いや、そんなことは」
と、慌てて顔を上げ、取り繕う佳澄。
「思いなよっ!」
と、恭子が突然吐き出すように言う。
佳澄、びくりと身体を強張らせる。
「悔しがりなよ!勝手な口利きやがってって、私のことなんてなんも知らないくせにって!」
と、恭子、真剣な面持ちで吐き出す。
「そんでここまで登ってきてさ、私の頬のひとつでも叩いてみなよ!」
佳澄、恭子の言葉に瞠目する。
「この期に及んで他人に気を遣うなよ!死にたいくらい辛いことあったんでしょ!?それくらい大変だったんでしょ!?」
と、恭子。
佳澄はその顔を呆然と見上げている。
「相応の覚悟をして、こうして飛び降りたんでしょ!?じゃあ、私の苦しさを勝手に理解するなって怒りなよ!」
と、恭子。
佳澄、目尻と口元が情けなく歪む。
「本当は怒ってんでしょ!?いろんなことに!自分自身に!だったらなおさらっ!」
と、恭子、顔をしかめながら、佳澄を引っ張り上げようと力を込める。
それ怒りを抱えたまま死ぬなよ!」
と、恭子、ビル風に負けないくらい声高に叫ぶ。
「勝手な物差しであんたの価値を計ったやつがいる!あんたを下に見たまま、のうのうと生きてるやつがいる!そいつらに委縮して、下を向いて歩いてきたあんたがいる!」
と、恭子、佳澄を引き上げるために歯を食いしばる。
「悔しいじゃないか!楽しく生きて、ざまあみろ!って言ってやろうよ!」
佳澄、見上げたまま、恭子の姿に呆気にとられている。
「上っ面しか見てこない男どもをひっぱたいてさ、訳知り顔で同情してくる女たちに蹴り入れてさ、卑屈だった自分に頭突き決めてさ、私たちの人生、好きに生きようよ!」
と、恭子、絞り出すように叫ぶ。
「死ぬくらいの度胸があるんでしょ!?そいつら全員見返すだけ人生楽しむなんてわけないよ!」
と、恭子、佳澄の手をさらにきつく握る。
「なんで…〈モノローグ〉」
と、佳澄、恭子を見上げたまま思う。
「私のことなんか…ひとつも知らないくせに…〈モノローグ〉」
と、佳澄、静かに唇を引き結ぶ。
恭子の汗まみれの顔が佳澄の瞳に映る。
「どうしてか、彼女の言葉に涙が出た〈モノローグ〉」
佳澄、口を引き結んだまま、嗚咽する。
「どうするの!?あんた、どうしたいの!」
と、恭子、歯を食いしばって訊ねる。
佳澄の手を握った恭子の腕、ぷるぷると震えている。
「わた…私…はっ」
と、答えようとする佳澄。
これまでの嫌な記憶がフラッシュバックする。

小学生の授業中。皆が手を挙げる中、佳澄だけが俯いている。
中学生の移動教室。前髪をひっぱり、顔を隠して歩いた廊下。
高校生の部活動。キャンバスを前になにも描けない佳澄。
大学生の新歓コンパ。トイレの前で身を隠して過ごした時間。

「私は…っ!」
と、佳澄、顔を上げ、言いかける。
汗で手がずるりと滑り、佳澄、ふわりと落下する。
「ああ、なんだ〈モノローグ〉」
と、佳澄、力なく手を伸ばしたまま落ちていく。
「やっぱり。慣れないことしちゃ、だめなのかなぁ…〈モノローグ〉」
と、佳澄、自嘲して、目を瞑る。
伸ばした手が、再度握られる。
佳澄、思わず目を見開く。
「あっ…ぶなかったぁ」
と、恭子、柵から身を乗り出し、寸でのところで佳澄を手を掴んでいる。
「ちょっと、勝手に行かないでよ。まだ答えきいてないんだから」
と、微笑む恭子。
佳澄、恭子の微笑みを見て、「私…」と、唇を噛み締め、ついに涙を流す。
「私も、ざまあみろって、言ってやりたい…っ!」
と、涙に濡れた顔で強く叫ぶ。
「ばかにしてきたやつらにも、なにもできなかった自分にも、引け目を感じたまま死にたくないっ!」
と、続けて叫ぶ。
「一発殴って、蹴り入れて、なめんなって言ってやりたい!」
と、佳澄、涙をこぼしながら空に向かって叫ぶ。
「あなたみたいに!強く生きたい!」
落ちた涙滴がはるか遠く、地上に落下していく。
「うん――悪くない答え!」
と、恭子、満身に力を込め、佳澄の身体をぐっと引き上げる。
佳澄の身体、ふわりと起き上がる。
空中に飛びあがった佳澄、束の間、恭子、見つめ合う。
「うわっ」
と、屋上の縁に着地した佳澄、ふらふらとまた落ちそうになる。
揺れる腰元に、恭子の腕が伸びる。
「あ…どうも…」
と、腰を抱かれた佳澄、ちらりと上目遣いで前を見る。
目の前には恭子の顔。
柵を挟んだまま、恭子と佳澄は額が触れ合うほどの距離で見つめ合っている。恭子は佳澄の腰に右手を回し、しっかりと身体を固定している。
「とりあえず、私も一発殴っておく?勝手な口利いたし」
「……へ?あ、いえ、命の恩人にそんなことは…」
と、至近距離で首を振る佳澄。
「そう?ならよかった。私、殴られるの結構嫌なんだよね」
と、恭子、わざとらしく胸をなでおろして口の端を上げる。
佳澄、なにを言っていいかわからず、視線を泳がせる。
「…ねえ、そうだ。いいこと思いついた」
「いいこと?」
と、佳澄、混乱したまま訊ねる。
「どうせ捨てるつもりだったならさ、その命、私に預けてみない?」
と、恭子、佳澄を見つめたまま言う。
「…へ?」
と、突然のことに口をひしゃげる佳澄。
「実は――」
と、空いた左手で上着をごそごそ漁る恭子。
「知り合いがドタキャンして困ってるんだよね」
と、恭子、佳澄の眼前に二枚の航空券を突きつけ、口の端を上げる。(羽田発バンコク行きのチケット)
「どうせ死ぬなら、一緒に行こうよ、異世界海の向こう
と、恭子、佳澄を見つめたまま言い放つ。
「この時、私は、なにかを期待したのだと思う〈モノローグ〉」
「………えっと…バンコク行って、帰るだけですか?」
「だから思わず、訊いていたんだ〈モノローグ〉」
佳澄、一瞬の沈黙を挟んでから訊ねる。
 「なに言ってんの? ちがうちがう」
と、恭子が笑いながら、首を横に振る。
「でも、彼女は笑って否定した〈モノローグ〉」
「目的地は…そうだね。現実の嫌なことなんか全部全部わすれちゃうくらい、遠くて、綺麗で、すごくて、最高な場所」
と、恭子、二枚の航空券をぶらぶらと揺らしながら、挑戦的な瞳で佳澄を見つめる。
「返って来たのは、もっとキラキラしたものだった〈モノローグ〉」
「それって、具体的にはどこに…?」
と、佳澄、恭子の勢いに気圧され、のけぞる。
「それを見つけに行くの」
と、目元を和らげ、からっと笑う恭子。
「鞄ひとつで世界中を歩いてさ、この目で見つけるの」
それを聞いた佳澄、沈黙する。
脳内に世界の絶景がカットインする。
霧が漂うアンコールワット。砂漠の星空とラクダの影。エスニックな露店通り。真っ青な海とイルカの群れ。夕焼けを反射するウユニ塩湖。白銀の世界の上で弾けるオーロラ。
「私――」
と、佳澄、言葉を言いかける。
 「私は、いつも踏み出さずにいた〈モノローグ〉」

【佳澄の回想IN】
小学生の佳澄、宿題を途中でやめ、ぐしゃぐしゃと落書きをしてしまう。
中学生の佳澄、ため息を吐き、ファッション雑誌をゴミ箱に捨ててしまう。
「言い訳ばかりで。変わることをやけに恐れて。意固地になって――〈モノローグ〉」
高校生の佳澄。教師から借りた基礎練習本を机に置き、ベッドに寝転がって漫画を読みふける。
大学生の佳澄。サークルのグループライン、「退出」は選べず、「ミュート」を押す。
「私、本当はどんな生き方したかったんだっけ〈モノローグ〉」

保育園時代の佳澄。画用紙に絵を描ている。
若い保育士が「佳澄ちゃん、なに描いてるの?」と優しく問う。
「ん! 未来の私!」
と、幼い佳澄、画用紙を胸の前に掲げる。
画用紙には、たくさんのキラキラ星で飾られ、地球の上で明るく笑う大きな佳澄が描かれている。
その絵を掲げる幼稚園時代の佳澄は、自然な笑みを浮かべている。
足元には白紙の紙が数枚と、色とりどりクレヨンが散らばっている。
【佳澄の回想OUT】

「い、行きます」
「きっと今が、その時だったんだ〈モノローグ〉」
と、佳澄、絞り出すように言い、一歩前へ踏み出す。
「行きたいです。私、ここじゃないどこかに行きたいです」
と、泣きそうな表情で告げる。
「だから嗚咽も弱音も噛み殺して、ただ叫んだ〈モノローグ〉」
「ここじゃない、どこか遠くに!」
と、佳澄、強く叫ぶ。
同時に、佳澄の身体、再度ふわりと浮かぶ。「わっ」と驚く佳澄。
恭子が佳澄を柵の内側に引っ張っている。
屋上の際から落下防止柵を越え、恭子の胸へ飛びこんでいく佳澄。
「なら、行こう!」
と、恭子、佳澄の肩を抱きとめて言う。
「ここじゃない、どこか遠くに!」
「……っ!はいっ!」
と、大きく頷く佳澄。
「あ、でもそうだ。一緒に行くにあたって、三つだけ約束してくれない?」
と、恭子、目尻をくしゃりと歪めて笑う。
「約束…ですか?」
と、床にへたりこんだまま小首を傾げる佳澄。「そう」と小さく頷く恭子。
「ひとつ、互いの事情は詮索しないこと」
と、人差し指を立てる恭子の横顔。
「ふたつ、それ以外のことは遠慮しないこと」
と、それを聞く佳澄の横顔。
「みっつ、この旅のあいだ、お互い〝死にたい〟なんて絶対言わないこと」
と、ふたりが見つめ合う姿。
「…は、はいっ。守ります。みっつとも」
と、恭子を見上げ、首を縦に振る佳澄。
「よろしい」
と、腕を組んで満足げに頷く恭子。
「じゃ、改めまして。私は渡会わたらい恭子きょうこ。24のフリーター。あっまいコーヒーが好き」
と、恭子、佳澄に手を差し伸べる。
「私、沢木さわき佳澄かすみです。20歳ハタチで…学生やってます。えっと…漫画とか…よく読みます」
と、恭子の手を握る佳澄。
「今までの人生は、きっと前日譚だったのだ〈モノローグ〉」
佳澄、恭子を見つめる。屋上の風が佳澄の髪をなびかせる。
「さ、じゃあ早速準備しよ。佳澄はパスポートもってる?」
と、佳澄の手を引き、踵を返す恭子。
「あ、いえ…ないです。ごめんなさい…」
と、歩き出しながら謝る佳澄。
「謝らない。出発まで時間あるし、作っちゃおうか。一週間もあればできるでしょ」
と、からっと笑う恭子。
「予防接種は全部打つとお金も時間もあれだから…うん。一旦飛んで、バンコクのスネークファームで短く安く済ませちゃおう」
と、つかつかと歩きつつ、呟き続ける恭子。
「予防…接種…?」
と、手を引かれながら頭に疑問を浮かべる佳澄。
「そう。B型肝炎に腸チフス、破傷風と狂犬病に――あ、黄熱病もいるね」
と、目尻をくしゃりとさせる恭子。
「え、そんなに打つんですか!? しかも海外バンコクで!?」
と、あからさまに驚く佳澄。
「あったりまえでしょ?異世界なめてる?」
と、恭子、佳澄に振り向き、いたずらな笑み。
「ほらほら急ぐ。やることはたくさんあるんだから。独り暮らしなら、今の家引き払って、水道とガス会社に連絡して、あ、あと学生なら休学届けなんかも」
と、手を握ったまま駆け出す恭子。
「ま、まってくださいよ~!」
と、引っ張られる佳澄。
屋上を走るふたりの姿。
「こうして、私の長い長い旅がはじまった〈モノローグ〉」
町の遠景が映る。その先に地平線が見える。
「それはたった数十センチの勇気一歩からはじまった、4万キロの冒険譚だ〈モノローグ〉」

〈了〉

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