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「転生なんて、しないから」第2話

「だめよ!」
と、叫ぶ声。
沢木家のリビング。食卓で向かい合う佳澄と母。
少し離れたソファには父の姿。壁掛けカレンダーは6月。
「留学ならまだしも、旅行って…」
と、額に手をやり、頭を振る母。
「りょ、旅行じゃ――」
「旅行でしょ」
と、ため息を吐く母。
「だいたいその人、信用できるの? 佳澄、ちゃんと自分で決めたの?」
問われ、佳澄は唇を噛む。
「お母さんは昔からこうだ〈モノローグ〉」

【回想IN】
幼い佳澄。
デパートでお絵かきセットを母にねだる。
母は「ダメ」と言い、図鑑を買い物カゴに入れる。
しゅんと俯く佳澄。

裁縫セットのカタログを見る佳澄。
アニメキャラのものに目を輝かせる。
「これにしなさい」と母が地味な花柄を指す。
弱弱しく頷く佳澄。

中学生の佳澄。
布団にくるまり「行きたくない」と呟く。
母は淡白に「行きなさい」と言い放つ。
布団の中で苦しそうな表情を浮かべる佳澄。

高校生の佳澄。
三者面談。机には大学のパンフレットがずらりと並ぶ。
「どうでしょう」と提案する教師。
突然、母が佳澄の脇腹を小突く。
「あんたはどうしたいの」
佳澄は俯いたまま、腿の上で指先を弄ぶ。
【回想OUT】

「本当は私の意志なんてどうでもいい…〈モノローグ〉」
と、佳澄。ちらりとソファに視線を送る。
父が無言で日本酒を飲んでいる。机には御猪口が三つ。
「この家では、私の言葉は響かない〈モノローグ〉」
と、父の背に目を細める佳澄。
「久しぶりに戻ってきたと思ったら…お父さんからもなんか言ってよ」
と、母、父を見る。
父、日本酒を一杯舐めてから、
「まあ…いいじゃないか」
と、呟く。
佳澄、瞠目。母は口を開けて絶句する。
「ちょ、お父さん⁉」
「お金は佳澄が出すんだろ?」
と、母の言葉に被せて言う父。
「う、うんっ。お金で迷惑はかけない」
と、佳澄、ここぞとばかりに身を乗り出す。
「ならいいじゃないか」
と、父、御猪口に日本酒を注ぐ。
「私はお金のことを言ってるんじゃっ」
と、椅子から立ち上がる母。
文子ふみこ
と、御猪口を摘まむ父。
「佳澄が決めたことだ。好きにさせてやろう」
佳澄、父の言葉に呆気にとられる。

浴室。
すりガラス越しに佳澄が身体を洗う姿。

廊下。
脱衣所から佳澄が出てくる。
「佳澄」
と、呼びとめられる佳澄。「え、あ、うん」と振り向く。
父と向き合う。気まずい沈黙。
「お父さんもな」
と、呟く父。
「お父さんも…昔、旅に憧れたことがあるんだ」
突然の発言に目を見開く佳澄。
「結局、行かずじまいだったんだけどな」
と、父、微かに口端を上げる。
目尻の皺。増えた白髪。たるんだ頬。やや老けた印象。
「帰ってきたら話を聞かせてくれ」
と、リビングへ踵を返す父。
「…う、うんっ」
と、その背に答える佳澄。
廊下の先、リビングの様子が見える。
ソファに座る母が御猪口を持っている。

有楽町パスポートセンター。
証明写真機から出てきた写真に「うわぁ」と呟く佳澄。
顔を上げるが、「1000円」の価格を見てぶんぶんと首を振る。
「節約節約…」
と、歩き出す佳澄
 「恭子さんから聞いた話だと、旅は半年程度を予定しているらしい〈モノローグ〉」

佳澄の下宿先。
荷物を整理する佳澄。壁掛けのカレンダーは7月。
1日に✕印がついている。

バイト先の本屋。
店長に頭を下げる佳澄。
残念そうにする店長。

大学の大教室。
難しい顔で前期考査を受ける佳澄。
「8月から夏休みだけど、それだけじゃ足りないから来年の春まで休学することにした〈モノローグ〉」

大学の事務室。
「半期休学なので8万円です」
と、休学届の差し出す事務員。
「あ、はい」
と、佳澄、書類を受け取り、休学理由の欄をじっと見つめる。
「正直、ちょっと怖い〈モノローグ〉」
書類を見る佳澄の背後。「就活」「面接対策」などのポスターが並ぶ。

神保町の旅行用品店。
バックパックを吟味する佳澄。
「レールから外れた人生なんて不安になる〈モノローグ〉」

神保町の本屋。
旅行コーナーに立つ佳澄。
「でもそれ以上に〈モノローグ〉」
棚挿しになっている『深夜特急1』をとる。
「わくわくしてる自分もいる〈モノローグ〉」
ぱらりと捲り、かすかに口の端をあげる佳澄。

佳澄の下宿先。
段ボール箱の山。家具はミニテーブルとベッドのみ。
ベッドには漫画数冊と携帯ゲーム機。
佳澄はテーブルで書き物をしている。
「…よし!」
と、書き上げた休学届を両手で掲げる。
休学理由の欄には『世界中を旅するため』と記されている。
壁掛けカレンダーは7月。25日までびっしりと✕印。
余白には「8月出発!」と走り書き。
「まるで新しい物語に触れた時みたいな期待に満ちている!〈モノローグ〉」
佳澄の背後、ベッド上の漫画、ゲーム。
ファンタジー冒険モノばかり。

羽田空港。
ベンチの端に座り、白いキャンバススニーカーの靴紐を結ぶ佳澄。
「お、いたいた~」
と、背後からの声に顔を上げる。
バックパックを背負った恭子が歩いてくる。
手には紙のコーヒーカップ。
「お、おはようございます!」
と、立ち上がり、会釈する佳澄。
「うん。おはよ」
と、頷く恭子。
「じゃ、行こうか。異世界海の向こう
と、からりと笑う。

飛行機内。
通路側、音楽を聴きながらうたた寝する恭子。
窓際の佳澄は本を読んでいる。
『さて、これからどうしよう…。そう思った瞬間、ふっと体が軽くなったような気がした』という一文が目に入る。
佳澄、本を膝上に乗せたまま首を横に向け、雲海を眺める。

バンコク・ドンムアン空港。
混雑した到着ロビー。佳澄は恭子の影に隠れて歩く。
バス乗り場に並ぶ二人。A4と書かれたバスが前方に見える。

夕暮れの街を走るバス。
整備された幹線道路。築年数不詳のアパート。高層ビル。屋台。
ちぐはぐな景色を眺める佳澄。

「にしてもさ」
バスを降り、バックパックを背負い直しながら笑う恭子。
「よくこんな怪しい女についてくる気になったよね」
「今更それ言いますか⁉」
と、佳澄、笑う恭子に思わずつっこむ。
「だってわざわざ言ったら私ひとりで旅することになるじゃん?」
と、笑い涙を指先で拭う恭子。
「たしかに…」
口ごもる佳澄。
「まあ…死ぬつもりだったので」
と、拗ねてそっぽを向く。
それを見て、小さく笑う恭子。
「そういえば、恭子さんはなんで私なんかを――」
「佳澄、約束、覚えてる?」
と、恭子、被せ気味に言う。
「あ、はい…」
と、慌てて恭子を見る佳澄。
「今日からはさ」
恭子、一歩前へ踏み出す。
「ただ最高の旅をすることだけ考えようよ」

通りを歩く二人。
「で、ホテルはこの辺なんですか?」
と、周囲を見る佳澄。
「その予定だね」
と、スマホで地図を見る恭子。
「予定…?」
と、訝しむ佳澄
「うん。予約してないし」
と、あっけらかんと言う恭子。
「…えぇー!」と、驚く佳澄。
「ど、どうするんですか! もう夜なのに…っ」
「飛び込みで宿とるのがバックパッカー流なんだよ。深夜特急にも書いてある」
と、胸元から文庫本を取り出す恭子。「読んでないの?」と不満げな顔。
「いやでも…どこも埋まってたら…」
と、焦る佳澄。
「大丈夫だって。絶対空いてるし」
と、からっと笑う恭子。
「そんな無責任な…」
と、慄く佳澄。
「佳澄はビビりすぎ。行く先は世界中の旅人が集まる旅人の聖地だよ? 宿くらい平気平気」
と、笑う恭子。
その後ろで肩を落とす佳澄。
「どうしよ…こんな異国の片隅で…日本発つ前のセーブデータがあったらやり直したい〈心の声〉」
車道を悠々と横断する通行人。
その通行人を無視して車やトゥクトゥクが走る。
クラクションの音が鳴り止まない。
「最悪空港まで戻ってロビーで一泊…〈心の声〉」
「あれ――?」
と、佳澄、不意に顔を上げる。
「近い。直感がそう告げていた〈モノローグ〉」
車道を勢いよく渡る恭子と佳澄。
「RPGで別のマップに移動する時のように、道路を隔てたあちらとこちらでは明確に空気が違っていた〈モノローグ〉」
渡り切った先には露店が軒を連ねている。
「幼い頃にお祭りで嗅いだような甘い匂いと、夏の日にアスファルトが発する灼け焦げたような匂い〈モノローグ〉」
佳澄、気が付けば恭子よりも前に出ている。
「担いだバックパックが軽快に揺れる。行け、行け!と私の身体を前へと急かす〈モノローグ〉」
黒い交番のある十字路に立つ佳澄。周囲はやけに明るい。
「心臓が高く鳴った。言われなくてもわかった。ここが――〈モノローグ〉」
「旅人の、聖地」
見開かれていく佳澄の瞳にカオサンロードが映る。
路面には無数の屋台。
両端を占めるビル。ネオンに光る大小の看板。
テラス席でビールを呷る旅人。
民族衣装を纏い、食用サソリを売る老婆。
ほつれたドレスで着飾り、花を売り歩く双子の少女。
通りは人で埋め尽くされている。
「そう。ここが旅人の聖地、カオサンロード」
と、恭子、佳澄の横に並び立つ。
「私たちの旅の、はじまりの町」
恭子と佳澄、揃って通りを眺める。
「はぇー」と圧倒される佳澄。
突然、背後からちょんちょんと肩を触られる。
「?」と振り返る佳澄。
目の前にはタイ人の少年が立っている。
Did you drop this?これ落とした?
と、少年、布袋を佳澄に差し出す。
「え? え?」
と、焦る佳澄。
Be careful!気を付けてね!
と、少年、佳澄の手に強引に布袋を握らせて去っていく。
「えっ、ちょっと!」
と、佳澄、手を伸ばすも少年は止まらない。
「どうかしたの?」
と、佳澄の掌を覗き込む恭子。
「…さあ」
と、首を傾げる佳澄。何気なく布袋を開く。
中には白い粉の入ったビニール袋がある。
「…これ」
と、佳澄の顔が青ざめる。
恭子も目を見開き、唇を引き結ぶ。
Hey,おい
と、背後から野太い声。
現地の警官が二名、のっしのっしと近付いてきている。
What do you have!何を持っている!
と、警官Aが叫ぶ。
背後の警官B、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。
「えーーっ!〈心の声〉」
佳澄と恭子、警官の方を向き、目を見開く。

〈了〉

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