「転生なんて、しないから」第3話
「What do you have!」
と、警官A、佳澄と恭子に凄む。
背後の警官B、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。
「 We don't know! It was handed to the boy over there.」
と、恭子、佳澄の前に立ち、言い返す。
(※ここから会話は日本語表記のみとします)
「少年がどこにいるって?」
と、警官A、鼻を鳴らす。
振り返る恭子と佳澄。少年の姿はもうない。
「ドラッグじゃないのか? 見せてみろ」
と警官A、顎をしゃくる。
警官Bがにじり寄り、佳澄の手から布袋を奪い取る。
「きゃっ」と声をあげる佳澄。
警官B、警官Aの方を向いて顎を引く。
「やはり運び屋だったか」
と、眉をひそめる警官A。
「違うって!」
と、叫ぶ恭子。佳澄は立ち竦むほかない。
「見逃してほしければ…」
と、警官A。
警官Bはなおもガムをくちゃくちゃ。
「ちょっと失礼」
と、そこに颯爽と現れる人影。
手にはビール瓶。ウェーブのかかった長い金髪。
真っ赤なキャンプハットに、同色のタンクトップ。
緑基調のゆるいタイパンツ。75Lサイズのオリーブ色のバックパック。
その女性は警官の手から布袋を奪うと、白い粉をひとなめ。
その場にいた全員が瞠目する。
「んー、甘い。いい砂糖ね」
と、髪を掻き上げ笑うのは、30前後のスペイン人女性。
「とはいえ、ビールには合わない」
と、手に持ったビール瓶を呷る。
「な、なんだ! 仕事の邪魔するならおまえも…」
と、たじろぐ警官AとB。
「これが仕事? くだらない小銭稼ぎの間違いでしょ」
と、ビール瓶から口を離す。
「さて、これには一部始終が映ってる。SNSに投稿してもいいし、このままあんたらの上司に突き出すこともできる。なにがしかの罰は免れないでしょうね」
と、スマホをちらつかせる女性。
「…ちっ」
と、去っていく警官AとB。
「待て!」
と、呼び止める女性。
「口止め料、もらってないけど?」
と、近くの屋台を指さす。
その背後で呆気に取られている佳澄と恭子。
使い捨ての椀に盛られたカオマンガイが湯気を放っている。
「助かりました。えっと…」
と、湯気を浴びながら、顔を上げる恭子。
「パウラよ」
と、ウィンクするスペイン人女性のパウラ。
三人は通りの縁石に並んで座っている。
それぞれ手にはカオマンガイの入った椀がある。
「パウラ、助けてくれてありがとう。私は恭子。こっちは――」
と、恭子に促され、佳澄は勢い顔を上げる。
「か、佳澄です」
思わず声が上擦る。
「キョーコとカスミね。記憶したわ」
と、パウラ、自分のこめかみを指先でつつく。
「じゃあ、お間抜けなキョーコとカスミに早速質問」
と、パウラ。
その物言いに恭子はぎょっとする。
「なんでここが旅人の聖地って呼ばれてるかわかる?」
「えっと…」
と、口ごもる恭子。
「それはね、自由だから」
と、口の端を上げるパウラ。
「自由を求める旅人が集まるのは必然ね。でも自由ほど怖いものもない」
カオサンロードの各所が映る。
「酒も薬も」
地面で寝ている人の姿。
「詐欺も偽造も」
路地裏で怪しい取引をする人影。
「なにも縛るものがない」
置き引きをする盗人の姿。
「無法と自由は表裏一体。だから警察も信用しちゃダメ。もちろん、私もね」
と、バックパックから瓶ビールを取り出し、にやりと笑うパウラ。
「二本目…」と、佳澄、心の中で思う。
「さ、忠告はここまで。せっかくの口止め料が冷めちゃうわ」
と、冗談めかすパウラ。
その後、何事かを英語で話す恭子。
うまく混ざれない佳澄は、俯いたままスプーンを弄ぶ。
空になった椀が三つ、屋台のゴミ箱に捨てられている。
「さ、私はもう行くよ」
と、身体を伸ばすパウラ。
「どこに行くの?」
と、恭子。
「そこのバスでラオスへ」
と、通りを指さすパウラ。小型バスが一台停まっている。
「また会えるかな?」
と、冗談めかす恭子。
「さあね。あなたたちが旅をやめなければ。きっとどこかで」
と、パウラ、言いながら佳澄と目が合う。
「カスミ、あなたともね」
「え、あ、はい」
と、目を逸らして頷く佳澄。
パウラ、佳澄の様子に微苦笑。
佳澄たちに手を振りながら、バスに近付いていくパウラ。
手を振り返す恭子と佳澄。
しかし、乗車寸前のパウラを運転手が止める。
運転手はパウラの手にあるビール瓶を指し、何事かを言っている。
「どうしたんだろ」
と、恭子。「さあ…?」と佳澄。
「ヘイ、カスミっ」
と、パウラが手を挙げる。
「…え、私!?」
と、驚く佳澄。
パウラが不意になにかを投げる。
「えっえっ」
と、それを受け止める佳澄、
「…ビール?」
と、キャッチした瓶を見て呟く。
「預けとく。また会えたなら乾杯を」
と、バスのタラップに足をかけ、ウィンクするパウラ。
バスはパウラを乗せ、走り去っていく。
通りを歩く恭子と佳澄。
佳澄は両手でビール瓶を握り締めている。
「かっこよかったね」
「…ですね」
と、俯きがちに呟く佳澄。
「ほんとすごかったです。恭子さん」
「え、私!? パウラじゃなくて?」
と、驚く恭子。
「いえ、パウラさんもですけど…恭子さん、さっきからずっと英語で話してて…」
と、呟く佳澄。
「いやいや私のなんて片言だよ。高校出て暇だったから、ちょっとだけフィリピンに語学留学してただけで」
と、照れくさそうに笑う恭子。
「留学…やっぱすごいなぁ…」
と、口元を緩める佳澄。
「佳澄だってすぐに喋れるようになるよ。私より絶対頭いいんだから」
「そんなこと…無理ですよ。私になんか」
「なんかって…」
と、恭子、眉尻を下げる。
「私、なにもできない人間ですから…」
と、自嘲する佳澄。
恭子が不意に立ち止まる。
「じゃあ、なんでこんなところにいんの?」
と、恭子、真面目な顔で問いかけ、
「私たち今、生まれた土地から何千キロも離れた場所にいるんだよ?なにもできないやつがそんな遠くまで来られると思う?」
そのまま佳澄に迫る。
「佳澄はなにもできなくなんかない。だって来たんだ。自分の意志で、ここまで」
そして、佳澄の肩を掴む。
「恭子さんの目は本気だった〈モノローグ〉」
佳澄、恭子に気圧され、息を呑む。
「私たちはなんでもできるし、どこへでも行ける。それは一度きりの人生だからとか、そんな陳腐な理由じゃない」
と、首を振る恭子。
「私たちがなにかをやろうって意志は絶対に無敵で、それは人生が何度あったって変わらない」
「私たちは好きな格好をしていいし、好きなことをしていい。怒ってもいいし、泣いてもいい、誰の許可を得る必要もない」
「そうでしょ?私たちは誰の所有物でもないんだから」
と、恭子、真剣な顔で語る。
「恭子さんの言葉は強く響いた。お腹の奥に強く深く〈モノローグ〉」
佳澄は恭子を見つめたまま動けない。
「ちょっと待ってて」
と、恭子、近くのコンビニに駆け込む。
瓶ビール片手に帰ってくる。
「今日が終わる前に置いて行こう」
と、恭子、錆びた栓抜きを突き出し、
「言い訳ばかりで弱い私たちを、ここに」
強い眼差しで佳澄を見つめる。
「でもこれ、預けとくって…」
と、おどおどと視線を下げる佳澄。
「なに。ずっと持って歩くつもり?」
と、苦笑する恭子。
「あ、いえ…」
「パウラが佳澄に預けたのは、きっとお酒じゃないよ」
と、微笑む恭子。
「ああそうか。そうかもしれない〈モノローグ〉」
ハッとする佳澄。
「パウラさんが私に預けたのはきっと、また会うための道標〈モノローグ〉」
佳澄、栓抜きを受け取り、瓶蓋を取り払う。
「旅を続けられるだけの憧れや勇気〈モノローグ〉」
ぷしゅっとビールが噴き出し、
「わっ、わっ」
と、慌てる佳澄。
「ほらほら。早くしないと、時間は待っちゃくれないよ」
と、佳澄を急かしながら、自分も栓を抜く恭子。
二人同時にビールを呷る。
「「にっっっがっ」」
と、同時に叫ぶ。
二人、顔を見合わせて笑う。
「恭子さん、ビール苦手なんですか?」
「見えないでしょ」
「あ、いえ、そういう意味じゃ…」
「いいの。よく言われるし」
と、肩をすくめる恭子。
「飲めないことはないんだけど味が苦手で――でも、見てて」
と、恭子、ビールを一気に呷る。
「ちょ、恭子さんっ!?」
と、慌てる佳澄。
恭子、「ぷはぁ!」と口を拭い、瓶を逆さにする。
瓶口から一滴だけビールが垂れる。
「その苦手を今、全部飲み干してやった!どうだ!ざまあみろ!」
と、空を見上げ、高らかに笑う恭子
その豪快な様子に、佳澄は思わず「ははっ」と笑ってしまう。
「初めて飲んだビールは苦手な味だった〈モノローグ〉」
「でもこれがゲームだったら、私はきっと、この日のセーブデータを何度も開くんだと思う〈モノローグ〉」
と、ちびりとビールを舐める佳澄。
「タイに来て、パウラさんに会って、恭子さんと過ごしたこの時間を何度も見直すんだ〈モノローグ〉」
空を仰ぐ佳澄。
ネオン看板の向こうに星が瞬く。
「よし、じゃあ行こうか。パウライチ押しの安宿」
「ですね」
と、前を向く佳澄。
「でも浸ってばかりじゃパウラさんには返せない〈モノローグ〉」
通りを歩く二人。
「恭子さんとも並んで歩けない〈モノローグ〉」
前を行く恭子の背中。
「この風の涼しさや屋台の喧騒に慣れた頃〈モノローグ〉」
通りの賑やかな光景。
「真っ白なスニーカーが少し黒ずんだ時〈モノローグ〉」
佳澄の足元。
「胸を張って前を向いて歩けているように〈モノローグ〉」
佳澄の瞳に色とりどりのネオンの光が映る。
「ここから始めよう。私の、新しいセーブデータを〈モノローグ〉」
細い路地を進む二人。
路地の奥には青い建物が立っている。
場面変わり、千葉県・某所。
『渡会』の表札がかかる一軒家。
表札に人の影が映る。
「すみません。石田です」
と、謎の男、インターホンを押す。
左手薬指には指輪が窺える。
「恭子は、どこにいきましたか?」
と、扉の前に佇む男。
整えられた髪の毛。Tシャツにジャケット姿。
カジュアルだが小綺麗な印象。
目の下の隈だけが、やけに浮いている。
〈了〉
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