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「タイムマシンのレシピ」第1話

『区立世田ヶ谷中学校』と刻まれた門柱。
寂れた外階段。
「タイムマシンを作って欲しいの」
踊り場で女子生徒が男子生徒に縋りついている。
井沢啓子いざわけいこ濱田俊夫はまだとしおの二人。
 「え…?」
詰め寄られた濱田、両手に本を数冊抱えたまま呆然とする。
『アインシュタインへの道』という書籍をはじめ、どれもが物理学のモノ。
「数学オリンピックに出たんでしょ?なら理科すごい得意ってことじゃん」
と、井沢、さらに詰め寄る。
「り、理科と数学は違うよ…もちろん僕も個人的に興味はあるし作ってみたいとは思ってるけど…」
と、濱田、井沢から距離を取る。
「作れないの…?」
と、井沢の目尻に涙が浮かぶ。
濱田、その表情に目を丸くする。

【回想IN】
廊下を独りで歩く濱田。(この頃は冬服)
廊下にハンカチが落ちている。
前を歩く井沢の姿。
濱田、ハンカチを拾い、井沢を呼び止める。
井沢、振り返り、満面の笑みで受け取る。
【回想OUT】

「わかった…やってみる」
と、濱田、俯きがちに言う。
「ほんとにっ⁉」
「どのくらいかかるかわからないけど…それでも良いなら」
「うん。いい。全然いい!」
と、井沢、破顔する。
濱田、ぎこちなく口端を上げる。
「…本当にいつになるかはわからないけど…あ、でもタイムマシンの理論自体は長いこと議論されていて、コネチカット大学のマレット教授は実現可能だと言ってるんだ。それで…」
と、濱田の言葉を遮るようにチャイムが鳴る。
「あ、チャイム。じゃあできたら教えてね」
「あ…うん」
と、濱田、踊り場で独り佇む。
「…うん」
再度呟き、手に持った本をぎゅっと握り込む。

濱田の自室・夜
「どういうアプローチでいこう…一般相対性理論内だとCTCだけど…本当に存在し得るのか…?」
勉強机に座り、独り言を零す濱田。
机上、正面にはデスクトップパソコン。周囲には学術書の山。壁には計算式を殴り書いた跡がある。
「難しいな…」
濱田、前傾姿勢のまま頭を掻く。モニターの光が皮脂に汚れた眼鏡を照らす。
「彼女は――井沢啓子さんはある事件によって恋人を失くしていた。三日前のことだ〈モノローグ〉」

【回想IN】
チャイムの鳴る教室。
窓際後方の席に浅黒い肌の男が座っている。
「けんちゃん帰ろー」
と、その男に近付く井沢の姿。
「おお、帰るか」
と、立ち上がる中河原健蔵なかがわらけんぞう
二人の様子を前方の席から盗み見る濱田。教科書を鞄にしまっている。
「どっか寄っていこうよ」
「悪い。俺今日、用事あるんだ」
「えーっ」
「また今度な」
と、掛け合いながら、並んで教室を出る中河原と井沢。
濱田、その様子をこっそり見ている。背後の壁掛け時計は3時50分。
濱田の手元、机上には『アインシュタインへの道』が置いてある。机の天板には「がり勉」「数学バカ」「話通じねー」と殴り書きされている。
濱田、『アインシュタインへの道』に手を伸ばす。
本が床に落ち、ページが見開きになる。
『人が恋に落ちるのは万有引力のせいではない。』
と、アインシュタインの格言が窓からの光に照らされる。

場面替わって翌日。
校舎に雨が降り注ぐ。
「中河原死んだってまじ?」
「まじだって。ほら、あの橋の下。通り魔らしいよ」
と、教室内で囁き合う生徒たち。
教室後方で泣く井沢。それを取り囲む女友達三人。
その様子を遠巻きに眺める濱田。
「現場は近くの川に架かる橋の下だった。中河原くんの他にもう一人、身元不明の遺体も転がっていたらしい〈モノローグ〉」
「なんで…どうして…」
と、顔を覆ったまま泣く井沢。
「被害者の間に関連性が見られない事から通り魔ではないかと朝のニュースで報道されていた。僕もその日、河川敷を通ったけど犯人らしき人物は見なかったと思う〈モノローグ〉」
【回想OUT】

場面戻り、濱田の自室。
濱田、ぐっと伸びをする。
机上に放り出された『アインシュタインへの道』が目に入る。
「愛は義務より良い教師である…byアインシュタイン」
と、呟き、
「やっぱ良いこと言うなァ、心の師匠は」
と、再び前傾姿勢でキーボードを叩く。

【以降ダイジェスト風に中学時代】
初夏。
夏服の濱田。教室でなにか書いている。
周囲では生徒たちが昼ご飯を食べている。

夏。
Tシャツ短パン姿の濱田。
図書館で本を読む。
鈍い夕陽に濃い影が伸びている。

秋。
カーディガンを羽織った濱田。
自室でキーボードを叩く。
相変わらず壁は計算式の殴り書きで汚い。
窓の向こうは夜。

春。
中学校の卒業式。
周囲が校歌を歌う中、濱田は口を開かず井沢を見つめている。
生徒ら、教室に戻る。泣いている者もいる。濱田は無表情のまま廊下を歩く。
教室の前方、教壇で教師がなにか話している。
濱田は前の生徒の背に隠れ、英語の学術書を読んでいる。
机上にはキャンパスノートも開かれており、多くの×印が窺える。
濱田、がしがしと頭を掻きむしる。後ろの席の女子が思わずたじろぐ。
濱田、そっと視線を横へ滑らせる。
井沢の横顔が見える。少し目が赤い。
濱田、そっと目を細める。
ノートの下に開いていた『アインシュタインへの道』のページが少しだけ映る。
『挫折を経験したことが無い者は、何も新しい事に挑戦したことが無いということだ。』

【高校時代・ダイジェスト風に】
春。
高校の入学式。
濱田、胸にコサージュがついている。
隣には眼鏡女子(及川美玲おいかわみれい)がいる。
濱田、視線を滑らせる。
新入生の中に井沢の姿はない。

初夏。
濱田、授業中に隠れて本を読む。
「及川、わかるか」
と、教師、濱田の隣席に座る及川を指名する。
「えっと…」
と、及川、おどおどと立ち上がる。
「y′=2x−3」
と、濱田、本に目を落としながら呟く。
「わ、y′=2x−3…」
と、及川、答える。
「正解だ。よく予習してるな」
と、黒板に答えを書き記す教師。
「ありがと…」
と、座りつつ、そっと隣に囁く及川。
濱田、その言葉には反応しない。ぶつぶつと呟き、頭を掻きながら手元の本を捲っている。
及川、その横顔を眺め、口端をそっと持ち上げる。

夏。
濱田、図書館で本を読む。
離れた席に座る及川が、濱田の横顔を遠巻きに見つめている。

秋。
濱田、自室で黙々とキーボードを叩く。
壁に書かれた数式が増えている。
モニターの右下にメールの通知がポップアップする。
差出人には「Eoinオーエン Kellyケリー」とある。
「返って来た…!」
と、濱田、急いで通知をクリックする。
パソコンの画面にメールの本文が表示される。『I read your paper on The theory of time machine with great interest.』(以降、見切れている)
「やった!あのケリー教授に論文を読んでもらえたぞ…!」
と、前のめりで画面をスクロールする濱田。
彼の手元にはKelly博士が表紙を飾るTime誌がある。
「なるほど…なるほど!」
と、軽快にスクロール。
突如、ぴたりとスクロールを止める。
『Would you like to join my lab? Professor Eoin Kelly』の一文がアップになる。
「アメリカの大学…」
と、濱田、画面を見つめたまま呟く。

冬・放課後。
人まばらな廊下。本を読みながら歩く濱田。廊下の掲示板には『期末テスト期間』と大きく張り出されている。
「あの…濱田くん」
と、背後から及川の声。
濱田、振り返る。
「今日も図書館行くの…?」
と、もじもじしている及川。
「ああ、はい…」
と、濱田、眼鏡を直す。
「そうなんだ…」
夕日差す廊下。一瞬の沈黙。二人は微妙な距離感で向かい合っている。
「ねえ、もし…」
「あの」
と、濱田、被せ気味に言う。
「な、なに…?」
と、及川。驚きと喜びの滲んだ表情。
「隣のクラスの人ですか?」
と、怪訝な表情で言い放つ濱田。
及川、息を呑む。
「すみません。顔覚えるの苦手で。特にテスト前になると声をかけてくる人が多いので。あと、ノートならとってないので無駄ですよ」
と、頭をぽりぽりと掻きながら答える濱田。
「…うん」
と、及川、
「ずっと隣にいたよ…」
言いつつ俯く。
外から廊下の引きの絵。濱田が踵を返して及川の元から去っていく。及川は俯いたまま立ち尽くしている。

同日・帰り道。
マフラーを巻いた濱田、本を読みながら商店街を歩いている。
濱田、質屋の前で誰かとすれ違う。
何の気なしに視線を横へ滑らせ、瞠目する。
すれ違ったのは井沢啓子。彼女は濱田の通う高校のものとは違う制服を纏っている。
濱田、制服からスマホを取り出し、去っていく背中に声をかけようとする。
その時、濱田の背後から人影が飛び出す。
井沢と同じ制服を着た女学生が井沢の元へ駆け寄っていく。
井沢、嬉しそうに振り返る。奥に立つ濱田には気付かない。
濱田、口を噤み、スマホを握り締めて立ち竦む。
「ちょっとお兄さん!店の前に突っ立たないでよ!」
と、質屋から老婆の声。
濱田、首を回し、老婆を見る。
老婆はきつい目つきで濱田を睨んでいる。
「いや…えっと…」
と、濱田、狼狽える。
「なんだいはっきりしないねえ!あんた客なの⁉客じゃないの⁉」
と、激昂する老婆。
濱田、気圧され、視線を横に逃がす。
「いや…あの…これが欲しくて」
と、濱田、店頭のショウケースを思わず指さす。
古めかしい手巻き式時計が一万円で陳列されている。
「なんだい。客なら自信もってそう言いな。手巻き時計を選ぶなんて良い趣味してるんだから。さ、入った入った」
と、店に戻る老婆。
「はあ…」
と、濱田。一歩踏み出しつつ、井沢の背を視線で追う。
彼女は信号を渡り切ったばかり。信号機は青のまま。
「どんな条件であれ、私には確信がある〈モノローグ〉」
濱田、店の前で立ち尽くし、井沢の背を見つめている。背後で質屋の老婆が「ちょっとお兄さん、暖房つけてるんだから!」と咎めている。
濱田、振り返り、店に入る。
背後で井沢が遠ざかる。信号機の青いランプが点滅している。
「神は絶対にサイコロを振らない。by アインシュタイン〈モノローグ〉」
井沢が遠くに去っていく。
信号機が赤に変わる。

春・高校の卒業式。
体育館から出てくる生徒たち。濱田は本を片手に歩く。その左手首には古めかしい手巻き式時計がある。
及川、濱田の背に声を掛けようとしてやめる。

夕暮れの教室。残る生徒は濱田だけ。
濱田は席に座って本を読んでいる。
黒板には「祝卒業!」の文字が大きく書かれている。周りには生徒たちの卒業に寄せての言葉が並ぶ。
その端に小さく「濱田くん、アメリカでも頑張ってね 及川」と記されている。
それに目もくれず、鬼気迫る表情で英語の学術書を読み漁る濱田。
机の上には『アインシュタインへの道』が開かれたまま置いてある。
『私は先のことなど考えたことがありません。すぐに来てしまうのですから。』

アメリカの大学・研究室・秋
「トシオ」
と、ひげの教授が猫背の助手に声をかける。
両手に持った二つのマグカップから湯気が立っている。胸には「Eoin Kelly」の名札。
濱田、無言で振り返る。目の下の隈、無精ひげ、こけた頬が目立つ。
「サイエンス誌に載った君の論文読んだよ。いや舌を巻いたね。マレット教授の素粒子リング・レーザー理論を元にしたんだろ?時間的閉曲線の理解が百年進んだ気分だ。礼を言うよ」
と、教授、にこやかに語る。
「はあ、どうも」
と、濱田、興味なさげに向き直り、作業に戻る。
教授、濱田の背ににこやかに語り続ける。
「ここだけの話だがコロンビア大学のグリーン教授が反証しようと今躍起になっているそうだよ」
「そうですか。ならその人にこれを送ってあげてください」
と、濱田、今度は振り返りもせず、机に積まれた付箋だらけの紙束を指さす。
「なんだね、これは?」
と、教授、濱田の机に歩み寄る。
「あの論文の反証です。発表してから誤りに気付きました」
「自分でやったのか?この短期間に?」
と、教授、目を見張る。
「ええ。査読の段階では誰も指摘してくれなかったので」
と、濱田、表情を変えずに作業を続ける。
「…トシオ、君には才能がある。いや、狂気といってもいいかもしれない」
と、教授、真面目な面持ちで語る。
「そんな大層なものじゃないですよ」
と、濱田、タイピングを続ける。
「ここに残るという選択肢はないのか?」
「ええ」
「なぜだ。このままここで研究を続ければいい。あまり言いたくはないが、君の母国が科学研究に力をいれているとは思えない。予算も設備もこちらの方が遥かにいい。違うかい?」
「まあ、そうですけど」
と、濱田。表情を変えずにタイピングを続ける。
「アインシュタインならどこであれ目標を叶えると思うんです。志ひとつで」
「…そうか。残念だが、君の意志を尊重しよう」
教授、濱田の手元にマグカップを一つ置き、
「トシオ」
と、付箋だらけの紙束を手に取る。
「はあ、まだなにか」
「また時計が止まってるぞ」
と、濱田の左手首を指さす。
濱田、視線を落とす。手巻き時計が止まっている。
「どうも」
と、言いつつ直す素振りはない。
教授、寂しげな顔を残して退室する。
濱田、独り研究室に残り、作業を続ける。手元でコーヒーが湯気を立てる。隣には『アインシュタインへの道』が開かれたまま置いてある。
『人生とは自転車のようなものだ。倒れないようにするには走らなければならない。』

成田空港・秋
滑走路に降り立つ旅客機。
濱田、空港内のエスカレーターを下りながら、手に持ったタブレットを睨んでいる。
手巻き時計の針は止まっている。タブレットの時間とはズレがある。

東京近郊・某研究機関。
机とパソコンが並べられた倉庫のような空間。
「対象、目標座標に到達。スキャンします」
と、暗い室内に研究員の声が響く。
濱田、椅子に座ったまま、眼前のモニターを睨んでいる。
部屋の正面は全面ガラス張り。その向こう、広大な屋内実験場には銀色の円柱が聳え立つ。高さ15メートル。幅20メートル。底部からはパイプが四方に伸びる。
「物質の転送を確認!実験、成功しました!」
と、研究員が叫ぶ。周囲も歓声をあげる。
「成功か…」
と、濱田だけは静かにに顔を上げる。
「…ああ、そうだ」
と、濱田、思い出したようにスマホを取り出す。
電話帳を開き、『い』の区分を眺める。「井沢啓子」の名前はない。
「…ああ、そうか」
濱田、軽く息を吐き、
「そうだったな」
と、背もたれに身を預ける。
広い研究室。研究員たちは喜び合い、濱田だけが独り座ったまま頭を搔いている。
机上には『アインシュタインへの道』が開かれて置いてある。
『私はそれほど賢くはありません。ただ人より長くひとつのことと付き合ってきただけなのです。』

都内のマンション・夏。
玄関のたたきに立つ濱田。コンビニ袋を提げたまま照明をつける。パッと明るくなる。
靴を脱ぎかけ、ある事に気が付く。
扉に備え付けのポストからチラシが溢れそうになっている。
濱田、頭を掻きながらそれらを引っ張り出す。
玄関のたたきがチラシで一杯になってしまう。
ため息を吐きながら、それらを拾い上げる。
その中に『転送』の判が押された封筒を見つける。
封筒には『第43期 区立世田ヶ谷中学校同窓会』の表記。

都内の居酒屋・秋。
「卒業から二十年かぁ」
と、男の声が座敷に響く。
座敷には二十人近くおり、賑やか。
濱田は隅でビールを舐めている。
「ごめん。ちょっとお手洗い」
と、女性の声。
濱田、その声に視線を滑らせる。
井沢啓子が席を立っている。
濱田、追うように席を立つ。
女子トイレの前で待つ濱田。水の流れる音がして、顔を上げる。
「あ、あの…」
と、トイレから出てきた井沢に声をかける。
「わっ、びっくりした…」
と、井沢、ハンカチで手を拭きつつ驚く。
「僕…濱…その…この前ようやく完成して…連絡先知らなかったから…」
と、濱田、俯いたまま話す。
井沢、怪訝な表情のまま聞く。
「あの…む、昔…タイムマシンを作ってくれって…」
と、濱田、続ける。
「ああ…あなた同じクラスだった」
と、井沢、目を丸くする。
「そ、そう…!」
と、濱田、顔を上げる。
「私も若かったから…したかもね、そんな約束」
井沢、微苦笑し、
「でも口説くならもっと他の誘い文句にした方がいいよ。それちょっと無理ある」
と、口元を手で押さえ、濱田の横を歩き去っていく。
「ちが…っ」
と、濱田、振り返るが、井沢は既に友人らの輪に戻っている。
「啓子ぉー遅ーい」
「ごめん。ごめん。で、なんの話だっけ」
と、井沢、席に着く。
テーブルに投げ出された井沢の左手薬指には銀色の指輪。
濱田、明るい座敷を見つめたまま、薄暗い廊下で立ち尽くす。

同日・都内某所。
息を切らして住宅街を走る濱田。
公園に着くと、柱時計に左手をつき、項垂れる。
「…なんだよ」
と、吐き捨てる濱田。
「忘れたんなら、忘れた時に言えよ…」
と、頭をがしがしと掻き毟りながら、柱時計の支柱を背に座り込む。
「二十年も…くそっ…なんだよ…」
と、柱時計の下でうずくまる濱田。
「僕の青春…返してくれよ…」
犬を散歩中の男が避けて通る。
「ああ、そうだ」
と、濱田、バッと顔を上げる。
「あるじゃないか」
柱時計の分針がカチッと動く。

同日。
濱田、防護服に袖を通しながら屋内実験場を歩く。
手巻き時計に目を遣り、一瞬思案顔を浮かべてから実験場の壁にかかった時計をちらりと見る。
「…よし」
と、呟き、手巻き時計を巻く濱田。
手巻き時計が動き出す。
「起動五分前。実験場から退避してください」
と、アナウンス。
巨大円柱下部。濱田、気密扉のハンドルを回す。
扉の向こうには細い通路がある。
その奥にもう一枚気密扉が窺える。扉には放射線注意のマーク。
濱田、その扉も開け、個室に入る。
内部は銀色の壁で、椅子が一脚置いてある。
「起動一分前。全ての隔壁を封鎖します」
と、再度アナウンス。
濱田、そっと目を瞑る。

隣の部屋に視点移動。
濱田の作業机から巨大円柱が見える。
壁一面のガラスがかたかたと震え出す。
濱田の机上に開かれたままの『アインシュタインへの道』。そのページが振動で捲れる。
『異性に心を奪われることは大きな喜びであり、必要不可欠なことです。しかしそれが人生の中心事になってはいけません。もしそうなったら、人は道を見失ってしまうでしょう。』

二十年前の町・初夏・夕方
濱田、タクシーに乗っている。
手巻き式時計をちらりと見る。時刻は3時50分。
「間に合うか…」
と、静かに呟く。
タクシー、多摩川の近くに停車する。
「つきましたよ」
と、運転手。
「…タッチ決済で」
と、濱田、クレジットカードを取り出す。
「タッチ…?すみません。うちは現金のみでして」
と、愛想笑いをする運転手。
「…ああ」
と、濱田、周囲を見渡す。
少し先に懐かしい商店街。質屋の看板も見える。
「…すみません。現金卸して来てもいいですか?」
と、濱田。商店街を指さす。
手巻き式時計が夕陽を受けて輝く。

濱田、河川敷を走る。手首に手巻き式時計はない。
「たったの三千円かよ…ぼったくりめっ」
と、走りながら愚痴る濱田。
河川敷の少年野球場。柱時計は4時20分。
「中河原くんが死ななければ、井沢さんもタイムマシンの製作を頼んでこなかったはず〈モノローグ〉」
遠くに大きな橋が見えてくる。高架下には暗い影が広がっている。
濱田、河川敷の土手を下る。
高架下に足を踏み入れると、
「うーん、まいったな。時間通りだ」
と、影の中から謎の男の声がする。
濱田の目が暗さに順応する。
謎の男の足元に人が横たわっている。
「やっぱり決定論ぽいなぁ」
と、謎の男、首を傾げる。
「え…嘘だろ…」
と、濱田、呻く。
謎の男の足元に転がるのは中河原その人。
「動揺してる?否定から入るのは僕らしくない。僕らしくないよ」
と、謎の男の姿が明瞭になる。
少し老けた、未来の濱田俊夫が立っている。
「やあ、十年ぶりだね」
と、未来の濱田。
「あなたそこで…なにしてるん…ですか?」
「おかしなこと訊かないでよ。僕が今までしてきたことなんて一つしかないじゃないか」
と、未来の濱田、失笑しつつ言う。「タイムマシンの研究だよ」
手中のナイフから血が一滴、滴り落ちる。
「君も知っての通り、僕には才能があった。自分を騙す才能だ。他人への恋情を言い訳に、なにもかもかなぐり捨て、自分の夢を追うことのできる素晴らしい才能だ」
と、未来の濱田、無機質な表情で語る。
「そう。僕は井沢さんが好きだったんじゃない。“井沢さんのために”という大義名分を得ることで、荒唐無稽な夢に挑戦する勇気を得たんだ」
その言葉に、今の濱田は顔をしかめる。
「君は恋を愛せない。その瞳は好奇心しか見つめない。わかっているはずだ。無心でタイムマシンを作っていたあの時間こそが、まさに僕の青春だったと」
未来の濱田、ほくそ笑む。
「君が井沢さんへの愛を盲信したのは”愛は義務より良い教師である”という師の言葉を信じたからに過ぎない。違うか?」
問われ、今の濱田は唾を呑む。
「さて、無駄話はここまでにしよう。ちょうど実験の最中なんだ。手伝ってくれないか?」
と、未来の濱田、ナイフの血を拭う。
「実験…?」
「覚えているだろ?あの日死んだのは中河原くんだけじゃない」
と、未来の濱田、血濡れのナイフを投げてよこす。
ナイフが濱田の足元に落ちる。
「実験には再現性が求められる。違うか?」
と、未来の濱田、口端を上げる。
今の濱田はナイフを見つめたまま、口を噤んでいる。
「安心していい。君は必ず僕を殺せる。いま君の鼓動を早めているのは憎しみや怒りではなく純然たる好奇心だ。そして僕はそれを拒まない」
「いや…僕は」
「いや、違くない。君が考えていることを当ててやろう。ここで僕を殺さなければ、あるいは自分が先に命を断てばパラドックスが生じるだろうか、だ。君は本質的に命を奪うことに躊躇しているわけではない」
と、未来の濱田、力強く言い切る。
今の濱田、思わず目が泳ぐ。
「君がここに来た理由も、中河原くんが死ななければ井沢さんはタイムマシンの製作を頼んでこなかったという推論の結果だ。違うか?」
と、未来の濱田、意地悪く笑う。
「繕わなくていい。僕は君の一番の理解者だ。君を狂ってるだとか、おかしいなんて言わないよ」
と、未来の濱田は言う。
その言葉を聞いて、今の濱田はナイフを拾い上げる。
「ほんとにいいの…?」
「うん。それでいい」
と、未来の濱田、頷く。
「君は十年後、また人を殺し、殺される。なぜなら――」
「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない」
「そう。我が心の師はいつも僕を導いてくれる」
と、強い眼差しで語り合う二人。
「いくよ」
「うん。準備はできてる」
今の濱田、助走をつけ、未来の自分を突き刺す。
「おめでとう。君がなによりも愛したタイムマシンは、今、この時をもって完成への第一歩を踏み出した」
と、未来の濱田、喀血する。
「ねえ、死ぬ前に訊きたいことがあるんだけど。この世界って――」
と、今の濱田、もたれかかってくる未来の自分に訊ねる。
「ねえってば」
と、濱田、再度訊ねるが、未来の濱田は既に息絶えている。
「…まいったな」
と、濱田、亡骸を地面に横たえる。
濱田、死に顔にため息を吐いてからナイフを抜き取る。
そのナイフで自分の腕を切る。鮮血が舞う。
その後、亡骸の右袖を捲り上げる。
一筋の古傷が窺える。
「…自由意志でやったと思ったけど」
と、濱田、首を傾げる。
「やっぱ決定論ぽいな。いや、サンプルケースが足りないか。でも十年後に死ぬとしたらサンプルの収集にも限界があるし…」
と、頭を掻く濱田。亡骸の胸ポケットにメモ用紙を発見する。
それを摘まみ上げると、にこりと笑う。
「さすが僕」

河川敷を歩く濱田。手にはメモが一枚。
メモには『他時間軸の記憶保存と転送について』と記されている。
「次は別パターンが見たいな。僕が僕を殺さない場合。あるいは未来の僕よりも早く、誰かが中河原くんを殺す場合。まあサンプルが残せるなら僕は殺されてもいいし…その場合は殺され方を変えた方が僕のためになるか?痛いだろうけどしかたない…」
濱田、ぶつぶつ呟き、
「誰かの為に生きてこそ人生には価値がある…byアインシュタイン…ふふっ」
と、ほくそ笑む。
前から中学生時代の濱田が歩いてくる。『アインシュタインへの道』を読むことに熱中し、前を見ていない。
「うーん…」
と、呟く、中学生時代の濱田。
二人は互いに気が付かずにすれ違う。
「タイムマシンを作るには何が必要なんだろう…」
と中学生時代の濱田、眉根を寄せる。
その背後にはナイフを持った未来の自分が歩いている。
中学生時代の濱田、構わず本のページを捲る。
その時、銃声が鳴り響く。
今の濱田、銃声に振り向く。
中学生時代の濱田が頭から血を流して倒れている。
「…は?」
と、今の濱田、瞠目する。
地面に落ちた『アインシュタインへの道』は見開きになっている。
血飛沫に濡れたページがアップになる。
『同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という。』

〈了〉

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