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「月面ホームレス」第3話

「地球に帰らせないでって…どういう意味だよ」
と、宙。
少年は俯いて答えない。
「お子様よぉ。黙ってちゃわかんねえよ」
「…ノア」
少年が呟く。
「お子様じゃない。僕はノア。ノア・ジャックマン。パパが僕を地球に連れて行こうとするんだ」
顔を上げ、宙を見る。
「初仕事が家出の手助けかぁ…」
宙、頭を掻き、
「で、こいつは?こんな綺麗な青い目の犬、初めて見たぜ」
と、隣の犬を見る。
「セントリーっていうんだ。目が青いのは宇宙犬スペースドッグだから」
「宇宙犬か。実物は初めて…」
宙、息を呑み、
「なあノア。おまえ地球に帰らなくちゃいけないんだよな?」
と、訊ねる。
ノア、こくりと顎を引く。
「…そっか」
と、宙は目を伏せ、
 「宇宙犬は低重力環境に最適化された犬種だ。つまり地球の重力下では…〈モノローグ〉」
ちらりとノアを見てから、
「わかった。手伝ってやるよ」
と、胸を叩く。
「ほんとに!?」
「俺も家出常習犯だったからな。気持ちは…」
「いたぞ!」
と、遠くから黒服2人組が迫ってくる。
「パパの会社の…!」
と、怯えるノア。
宙、舌を鳴らし、ノアを抱えて走り出す。

竹取物語の看板に隠れる宙たち。
前を通りすぎる黒服。
ピザ屋のマスコットキャラに擬態する宙たち。
周囲を見渡して去っていく黒服。
「行ったか…」
宙、肩を落とす。
「んで、どこに逃げるよ。農業プラントならツテがあるぜ?」
ノアはなにか言いたげにしている。
セントリーに頭で押され、否応なく前に踏み出す。
「…実は行きたいところがあるんだ」
と、鞄からタブレットを取り出す。
「ヴィクラムの丘…郊外の観光地か。悪かねぇが俺ぁ仮免だしなぁ。中級以上の監督者がいないと月面歩行は…」
渋る宙。
ノアはタブレットの画面を切り替える。
Advanced中級と記された免許証が表示される。

薄暗い区画。ホームレスが散見される。
「家出用の足ねぇ」
と、ウォッカを呷るアルチョム。
「なにかいい案ないか?」
と、宙。
「いい案たってなぁ…おまえは月面三輪ルナジャイロの免許もねえ訳だし」
と、頭を掻くアルチョム。
「今それを言ってもしかたねえだろ」
と、憤る宙。
「大体、ヴィクラムの丘なんてのはなんもねえE級観光地だ。この坊ちゃんはなんだってそんなとこに行きたいんだ」
「それは…」
と、ノア、胸の前で指先を弄ぶ。
アルチョム、ノアの手首の黒ずみに気付く。
「坊ちゃん、その手…」
「え?」
「いや、忘れてくれ」
アルチョム、酒を呷り、
「M-2Bを出たとこで待ってろ。なんとかしてやる」
と言い残し、歩き去る。
 「少し顔が怖いけど…良い人だね」
「そうか?ただの酒飲み星人だぜ、ありゃ」

M-2Bのエアロック。
セントリーに犬用宇宙服を着せるノア。
「全然吠えねえのな、セントリーは」
「パパとママの前では鳴くよ。でも僕の前では鳴かない」
「そりゃなんで」
「ママが言うんだ。泣き虫ノアを守ってね、頼んだわよお兄ちゃんなんて。だから強がってる」
笑うノアの足先をセントリーが踏む。
「あっ!忘れてた」
ノア、慌てて自身の装具を直す。

エアロックが開く。
「なにあれ!」
と、駆け出すノア。
荷台付き自転車に乗ったアルチョムが手を挙げている。
「おいおい月面自転車ルナバイクかよ。これも開拓期のだろ?」
と、駆け寄る宙。
「骨董品にゃ違いねえが、免許がなくても乗れるっつう利点がある。ナビも生きてるし、迷子になってクレーターに落ちるってこともない」
と、アルチョム、自転車から降りる。
「助かるぜ」
と、宙、早速自転車に跨る。
「おい宙。なんかあったら連絡しろよ」
「なんかってなんだよ」
「それはおまえが決めることだ」
と、アルチョム。
宙は眉をひそめる。

月面を駆ける自転車。
「宙、ミュージシャンになるの⁉」
と、後部座席のノアがはしゃぐ。
「そういう話もあるって噂だ」
「すごいなぁ。絶対大変な道なのに…」
「すごかねぇよ。自分で決めた道だ」
と、得意気な宙。
車輪が石を踏んで跳ねる。
「っと…すまねえ。大気がねえと遠近感が…」
宙、振り返る。ノアがずり落ちそうになっている。
「大丈夫か⁉」
と、宙、自転車を止め、ノアを支える。
セントリーが荷台から飛び降りる。「あっ、おい!」と宙。
セントリーの駆ける先には、小屋がある。
宙、再びペダルを漕ぐ。

簡易シェルター。
ノア、ベンチに座り、首元の孔に注射器を挿し込む。
「そんな見ないでよ。ただの気体薬。僕、アジソン病なんだ」
と、気丈に笑うが、宙は何も言えない。
「筋力が落ちててさ、このままだと大気圏突入に耐えられなくなるかもしれないんだって」
「…いいのかよ。家出なんかしてて」
「だからだよ。抗いたくもなるでしょ?」
と、苦し紛れに笑うノア。
「それより喉乾いちゃった」
と、立ち上がり、自販機に手首をかざす。
決済画面に『使用不可』の表示。
言葉を失うノア。
横から腕が伸び、ピッと決済の音がする。
「ほらよ」
と、宙がパウチ状の水を差し出す。
「いいの…?」
「うちはワンドリンク無料なんだよ」
まだなにか言いたげなノア。
「同情じゃねえぞ。自慢じゃねえが、俺は誰かに同情したことがない」
「…ありがと、宙」
「礼もいらねえよ」
と、踵を返す宙。
「これはノアの戦いだ」

荒野を走る自転車。
立ち漕ぎする宙の背中。
遠くには灰色の丘が見える。

殺風景なヴィクラムの丘。
丘の下には広大な平野が広がる。
「なんでい。衛星の残骸なんて見えねえじゃねえか」
と、宙、平野を覗き込む。
「もうとっくに回収されてるよ」
「じゃあなんでこんなところに」
ノアが「後ろ見て」と指さす。
宙、言われるがまま振り返る。
「おお!こりゃすげえ。水滴が浮かんでるみてえだ」
遠くに浮かぶ地球に宙も声を上げる。
その傍ら、ノアはセントリーの隣にしゃがみ込む。
「見えるかいセントリー。僕はあそこにいくんだよ」
セントリーは地球を見つめたまま動かない。
「君の声も聞こえないくらい遠い場所さ」
と、ノア、瞳を潤ませる。
「寂しいのなら泣きゃいい。耳は塞いどいてやるよ」
と、宙、ノアの横に立つ。
「ううん、いい。泣いたらセントリーが心配するから」
と、ノア、膝を抱え込み、
「だろ?セントリー」
と、セントリーを見る。

【ノアの回想】
小学校の入学式。ノアの服だけやけに豪華で浮いている。
セントリー、観覧席でそわそわとノアを見守る。
七歳のノア、学校の帰り道、紙屑が後頭部に当たる。
開くと「Stupid mintedばかな金持ち」と書いてある。
背後でくすくす笑う学友たち。
泣きそうなノア。
突如、前方から「わんっ」と吠える声。
セントリーが駆けてきて、学友たちを追い払う。
「…なんでここに」
と、しゃがむノアの顔をセントリーが舐める。
「ううん。泣いてなんかないよ」
と、目を擦るノア。
「君がいるのに泣く訳ないじゃないか」
と、ノア、洟を啜り、笑ってみせる。
「一緒に帰ろう、セントリー」
と、並んで歩く二人。
【ノアの回想OUT】

「生きたい場所で生きたいだけなのに、なんでこんなに難しいんだろう」
と、ノア、膝を抱えたまま呟く。
宙は何も言えない。
「…ねえ宙。僕、進む道、決めたよ」
と、顔を上げるノア。
「地球に行く。病気治して、またセントリーと一緒に暮らせる身体にする」
「そうか…」
「うん。逃げてばかりじゃセントリーから離れていくだけだって気付いたから」
「…わかった」
と、宙、手首の端末を触り、通話をかける。
煌々と光る月面都市が遠くに見える。

宇宙港・出発ゲート前。
アルチョムが黒服と少年の両親を連れて来る。
「ノア、ごめんな。なにもしてやれなくて」
と、宙。
「ううん。一度逃げたから決められたんだと思う」
と、ノア、「宙のおかげだよ」と気丈に笑う。
「そうだ。報酬はパパから…」
「俺はノアからしか受け取らねえ」
と、宙。
ノアは目を丸くする。
「だからノア。勝って来い」
と、宙、ノアの肩を掴む。
「重力を振り切って、もう一度来い。必ず来い。生きたい場所があるなら諦めちゃダメだ。俺たちはここで待ってる」
ノア、「うんっ」と頷く。
「ねえ、勝ったらさ、宙のギターを聴かせてくれる?」
「ああ、鼓膜の形が変わるくらい聴かせてやる」
ノア、宙の言葉に微笑んでから、
「もう行くよ、セントリー」
と、セントリーを抱きしめる。
「なんだよ。これじゃあ僕だけが寂しいみたいじゃないか」
洟を啜るノア。
セントリーはその頬をひと舐めすると、ノアの腹に頭を押し付け、出発ゲートへぐいぐいと押す。
「セントリー…」
と、呟くノアをセントリーは見上げている。
「…わかったよ」
と、ノア、出発ゲートに向かって歩く。
「セントリー、僕は…っ」
と、振り返るも、
「お知らせします。スペースデルタ121便…」
アナウンスに声は掻き消される。
出発ゲートが閉まる。

出発ロビー。
「ほら行くよ」
と、リードを引く黒服A。セントリーは頑なに動かない。
「まいったな…」
と、頭を掻く黒服A。隣の黒服Bも肩を竦める。
セントリーはじっと窓の外を見つめている。
その横に宙が「行っちまったなぁ」と胡坐をかく。
セントリー、動かずに窓の外を見ている。

【セントリーの回想IN】
子犬のセントリーと幼いノア。
初対面で緊張気味のセントリー。
恐る恐るノアに近寄ると、ぎゅっと抱き返される。
リビングでじゃれあう記憶。
泣きじゃくるノアに寄り添う記憶。
月面都市を散歩した記憶。
「セントリー」
と、首に抱き着いてくるノア。
セントリーも舌を出して笑っている。
【セントリーの回想OUT】

窓の外に宇宙船はもうない。
未だ動けないセントリー、不意に頭に手を置かれる。
「ひとつ賭けをしないか。なに。簡単な賭けさ」
宙が胡坐をかいたまま言う。
「弟の勝利に賭けるなら遠吠えを」
セントリー、宙を見上げる。
「これはただの賭けだ。どれだけ鳴いたってそれ以上の意味はねえ。だから答えてくれよ。あんたは弟の勝利を信じるかい?」
宙の言葉に、セントリーは息を呑む。

月面に長い遠吠えが響く。
一機の宇宙船が地球を目指している。

〈了〉

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