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「月面ホームレス」第1話

灰色の月面。
墜落した宇宙船の残骸。背籠を背負い歩く人影。
「1kg350円〈モノローグ〉」
と、トングで屑鉄を拾う男(泉宙いずみそら)。
「今日のチタンの買い取り相場だ〈モノローグ〉 」
と、宙、拾い上げた屑鉄に渋い顔。
「どれだけ需要があっても、月の鉱物から簡単に精製できる物質は安い〈モノローグ〉」
「おっ!」
と、宙、腰を屈める。
 「このサマリウム磁石なんかは高く売れる〈モノローグ〉」
と、金属片を摘まみ上げ、嬉しそうな顔。
「こりゃ一杯ひっかけるか?」
くっくっくと笑うが、急に噎せ、
 「まず風呂か…」
と、肩を落とす。
 「この生活も慣れれば悪いもんじゃない〈モノローグ〉」
宙、不意に横を向く。
「しかし認めたくないことだが〈モノローグ〉」
舌打ちし、作業に戻る。
 「隣の芝生は今日も青い〈モノローグ〉」
地平線の先に青い地球。
その手前に集団で屑鉄拾いをする人影。
宙だけが独り歩く。

【テロップ-「二週間前」】
月面上空を飛ぶ宇宙船。
 「人生の一発逆転をしにきた〈モノローグ〉」
宙の顔が窓に映る。
「まもなくアルテミス国際宇宙港に到着いたします。着陸までの間、宇宙の旅をお楽しみください」
と、機内アナウンス。
 「故郷から38万キロ離れた、この土地に〈モノローグ〉」
と、宙、窓ガラスに映る冴えない自分を見て自嘲する。
「逆転の根拠?もちろんある〈モノローグ〉」
と、宙、鞄から『Luna Land Deed』と記された紙を取り出す。
「祖父から相続したこれは、本格的な月面開発が始まる以前、21世紀前半に発行された月の土地の権利書だ。当時は安値で手に入ったらしいが、それから約1世紀〈モノローグ〉」
と、窓の外に顔を傾ける宙。
「見上げるだけだった月は、今や大国が覇権を争う資源開発特区となった!〈モノローグ〉」
月面の遠景。眩く光る月面都市。
「いったい時価は何倍になってるか…」
と、肩を揺らす宙の後ろから「ちょっとさぁ」と声。
 「通信切れたんだけど。勝ってたのに」
と、タブレットを指さす中年男性。画面には「CASINO」の文字。
男は酔っており、配膳カートを押す添乗員に難癖をつけている。
 「すみません。微弱な太陽フレアの影響で…」
と、頭を下げる添乗員。
「お詫びにこのワインサービスしてよ」
 「そうは言われましても…」
宙、やりとりに辟易し、ヘッドホンを着ける。
 「君ねぇ、規則通りにしか働けないならロボットに代わってもらえば?」
と、迷惑客。
接客ロボが「お困りですか?」と迷惑客に寄っていく。
 「申し訳ございません。空港に着いてから再度――」
 「それじゃあ遅いんだよ!」
と、座席を蹴る迷惑客。机上のグラスが落ち、それを拾おうとロボが動く。
ロボの横を通り抜けようとしていた他の客が「おっと」とそれを避ける。
「きゃっ!」
添乗員が押され、配膳カートのコーヒーポットが揺れる。
茶色い飛沫が宙の持つ月の権利書にかかる。
「俺の門出をよくも…」
と、宙、手を震わせ、飛びあがる。 「表出ろ、くそじじい!」

アルテミス国際宇宙港・月面保安局。
「で、自分がしたことはわかっているのか?」
と、銀ブチ眼鏡の男。スーツの胸元には『Jeffジェフ. Tremblayトレンブレイ』の名札。
「酔っぱらいがいたから熱々のコーヒーを飲ませてやったんだ。途中下船させた方が良かったか?」
と、ふんぞり返る宙。
ため息を吐くジェフ。
 「既に係の者から聞いたとは思うが、機内での迷惑行為は1000S$スペースドルの罰金だ」
「そんな金ねえよ。今はな」
「ならそのギターを担保にすればいい。楽器はアンティーク品として悪くない値がつく」
と、ジェフ、端末のカメラをかざし、
 「な?」
と、画面に出たAI査定の買い取り額を見せる。
「な?じゃねえよ。これは俺の魂だ。売る訳ねえだろ」
と、宙、ギターを抱いて遠ざける。
 「魂?飾りじゃなくてか?」
と、意地悪く笑うジェフ。
 「…るせえ。俺はここでロックスターになるんだ」
と、言い淀む宙。
 「ふん…なるほど」
ジェフ、宙の風貌に視線を這わせ、
 「職がなくて地球から逃げてきたクチか」
と、鷹揚に脚を組む。
 「あ?」
と、宙、眉根を寄せる。
 「そういう頭の軽い輩が浮いてくるから、地球の1/4程度の面積しかない月がごった返すんだ」
と、ジェフ、冷ややかな目。
宙、握った拳に力を込めるが、すぐに余裕のある笑みを浮かべる。
 「まあいいさ。なんとでも言え。だけど、あとで吠え面かいてもしらねえぞ」
 「それはいい。私も鏡に映る顔が同じで飽き飽きしてたところだ。ぜひ吠え面というやつをかいてみたい。で、どうするんだ?いまここで罰金が払えないなら、地球へ強制送還になるが」
「…ちょっと待ってろ!」
と、宙、手首の端末で口座などを確認し、「えーっと口座にいくらか…」とぶつぶつ呟く。
ジェフ、気だるそうに視線を泳がし、なにか気付く。
 「おまえ…その紙…」
 「なんだよ、勝手に人のもん見るな」
と、宙、デイパックの口を手で隠す。
 「そんな紙屑を持っている人間がまだいたとは」
と、ジェフ、目を眇める。
 「紙屑?何言ってんだ。俺はこの土地を売って人生の大逆転を――」
 「その紙に価値はない」
と、宙の発言に被せ気味に返すジェフ。
 「は?今なんて…」
「その権利書は効力を有していないと言ったんだ」
と、冷静なジェフ。
一度細い息を吐き、目の前の宙を見つめ直す。
 「誰にもらったかは知らないが、それは2000年代前半にとある民間企業が独自に発行したものだ。現在のISDF国際宇宙開発連盟が認可したものではない」
と、ジェフ、指先で眼鏡をスッと直す。
「…つまり?」
と、宙、顔に少し不安げな影がかかる。
ジェフ、一呼吸おいてから告げる。
 「つまり現代の国際宇宙社会おいて、法的な根拠をまるで有さない書類ということだ」
 「――なッ‼」
と、宙、口を大開きする。
 「当時から個人や企業による天体資源の売買はグレーゾーンだった。しかし後年批准された国際宇宙条約により完全に違法になったんだ」
「ISDFに認可されていないいかなる政府、団体、個人も、月や惑星などの天体資源について権利を主張できない」
「これが現在国際的な規則となっている。知らなかったのか?」
と、呆れたように諭すジェフ。
「でも、これはじいちゃんが――」
と、宙、なんとか言葉を紡ぎ出す。
「譲渡人の属性は関係ない」
と、言い切るジェフ。沈黙が室内を包む。
 「もしよければだが、こちらで処分しておこうか?」
 「ふざけんな! 俺はてめえの話を信用してねえからな!」
と、宙、勢い立ち上がる。
 「そうか」
と、ジェフ、こめかみに右手を当て、鼻からふーっと息を抜く。
 「おまえみたいな人間がこぞって月に来るのは思考が軽いからなんだろうなぁ。地球の重力が知能面にも作用すればと、日々願ってやまないよ」
と、ジェフ、宙を睨み上げる。
 「てめえ…」
と、宙、拳を握って凄む。
保安官わたしを殴るか?それもいい。殴ってくれればゴミを一つ地球に突き返せる」
と、ジェフ、ふっと嗤う。
「さあやってくれ。私はおまえを地球したに叩き落したくてうずうずしてる」
「――ちっ!」
と、宙、ギターを持ち上げ、
「いいか。そいつは必ず買い戻す」
と、ジェフの胸に押し付ける。
「好きにしろ。買い手がつくまではおまえの自由だ」
と、仏頂面のままギターを受け取るジェフ。
部屋を出る宙を横目で見送り、「…夢想家が」と舌を鳴らす。

煌びやかなホテル街。
 「とりあえず食うもんと寝る場所。あとは日銭をどうにか…」
と、猫背の早足で歩く宙。
怪しげなホテルが一軒。
装飾過多な看板が宙の目を引く。
看板中央にかぐや姫のロゴと『いつでも人間がおもてなし ぬくもりと信頼のお宿 カプセルホテル竹取物語』のネオン文字。
「月のラブホか? それもカプセル型の?」
と、宙、怪しげな外観に唾を呑む。
「さすがにラブホはなぁ…」
と、宙、言いながら視線をちらりと横へ。
エントランス前に「地域最安値!」「価格保証!」「連泊割引!」と記された立て看板を見つける。

「ようこそお越しくださいました! カプセルホテル竹取物語へ!」
と、受付の伊藤雅日イトウミヤビが満面の笑みを湛え、元気よく挨拶。
自動ドアをくぐったばかりの宙、狼狽える。
「あのぉ――」
 「はい! 当ホテルは竹を模したカプセルベッドが特徴になっておりまして、日本の御伽話に出てくるプリンセス、かぐや姫の気分が味わえる和テイストな趣になっております!」
 「まだなにも訊いてないんだが…」
と、宙、苦笑い。
「あー…一泊おいくら?」
「一泊40S$です!」
雅日、満面の笑みを崩さず告げる。
「約8000円…月にしては破格だが…〈心の声〉」
「ここらにもっと安いホテルはある?」
と、宙、カウンターに肘をついて訊ねる。
「地域最安値が私どもの誇りです! また安いだけでなく当ホテルは日本の御伽話に出てくるプリンセス、かぐや姫の――」
「かぐや姫の話はもういい。一番安いなら文句なしだ。一泊頼む」
と、宙、手をひらひらさせて降参の合図。
「かっしこまりましたー!」
と、雅日、元気よく返事。
「なんだ、その…胃にクるくらい明るいね、君」
と、宙、苦笑。
「当ホテルの従業員はみな、竹を割ったような性格であるようにと教育を受けております。また、この暗い月面でも太陽のように笑顔を絶やさず――」
「ああ…そう…」
と、項垂れる宙。

ピピピと目覚ましが鳴る。
竹を模したカプセルベッドで眠る宙。
「ぃよしっ」
と、目覚ましを止める。
「まずは生命線バイト先の確保だ!〈モノローグ〉」

「むりむり、うちじゃ雇えないよ」
と、ピザ屋の店主、手を振って断る。
「そこをなんとか!ほら、新しい雇用条約ができたでしょ!」
と、食い下がる宙。
「ああ、あのあぶれた人間を月面で雇用しようっていうクソ条約か。おかげでオートメーションが制限されてクソったれだ…おいデニス!さぼってんじゃねーぞ!」
と、店主、バックヤードに喝を入れる。
サボっていたリーゼントの青年、慌てて生地をこねはじめる。
「ちっ…これだから人間は」
「でも人間を雇えば補助金出るんでしょ?」
と、すり寄る宙。
「おまえ詳しいな…」
と、若干引き気味の店主。
「必死なもんで…」
と、宙、揉み手する。
「わかったよ…ちょうど配達ロボをメンテに出すんだ。メーカーの代替機じゃなくおまえを使うのも悪かねえ」
と、店主、後頭部を掻く。
「まじか!…ですかっ!」
と、宙、目を輝かせる。
「ああ、二週間の短期になるが」
「助かるますぜ~旦那ぁ~」
と、宙、ピザ屋の店主の肩を揉む。
「すり寄ってくるな。で、おまえ月面三輪ルナ・ジャイロの免許は持ってるよな?」
「免許は地上二輪だけで…」
と、宙、額に冷や汗。肩を揉む手も思わず止まる。
「なら月面歩行免許ムーンウォークライセンスは?」
「地球だと仮免までしかとれなくて…」
と、宙、仮免許を見せる。
ピザ屋の店主、口を半開きにして仮免許を睨む。
宙、冷や汗が止まらない。
地球したへ帰れ! 無重力脳みそ野郎!」
と、店主、宙を叩き出す。

「全敗、か」
と、ホテルの入口を潜る宙。
「いらっしゃ…おかえりなさいませー!」
と、受付の雅日が明るい笑顔で出迎える。
「延泊で」
「かっしこまりましたー!」
と、宙、手首の端末をカウンターレジにかざす。
ピッと音が鳴る。
「今日も君なんだな」
と、宙、端末で貯金残高を確認しながら呟く。
残高500S$
「はい!基本私です!スタッフは私とオーナーの二人だけですので!」
「…へえ」
と、宙、壁面にプリントされたかぐや姫のロゴを見る。
「あの、これは純粋な興味から訊くんだけど…」
と、頭を掻きながら訊ねる宙。
小首を傾げて聞く雅日。
「ここは求人出してないの?ほら、人間がおもてなしって―」
と、宙、ロゴに視線送りながら訊ねる。
「うーん…ないと思いますねぇ」
と、雅日。
「オーナー、ないですよねぇー」と、バックヤードに呼びかける。
壮年のタイ人男性がバックヤードからひょこりと顔を出す。
柔和な表情。くたびれたスーツ。胸には『イーラム』の名札。
「ないですねぇ。うちもカツカツなので」
「…そっか。いやなに、聞いてみただけだ」
と、宙。
「んじゃ、明日も観光を楽しもうかな。月面都市は広くて助かるぜーはっはっは」
と、から笑いして部屋に向かう。
雅日、その背に「頑張ってくださいねー!」と手を振る。
「頑張ることなんてないけどねー!」
と、宙、雅日に背中を向けたまま手を振り返す。

バーで頭を下げる宙。首を横に振る店主。
牛丼屋で土下座する宙。慌てふためく若い店員。
土産物屋で泣き崩れる宙。慰める接客アンドロイド。

竹型ベッドに寝転がる宙。
完全栄養スナックを齧りながら、手首の端末を見る。
残高43S$。
ため息を吐き、腕で目を覆う。

ホテルの受付に響くビーっという音。
宙、はっと顔を上げる。
レジの画面には赤文字で、
Out of money残高不足
と表示されている。
「――っ!」
と、宙、慌てて手首を確認する。
残高38S$。
「どうかされましたか?」
と、雅日、小首を傾げる。
「いや…昼飯食ったら金が…ははっ…」
と、宙、無理に笑う。
「そうだ。一泊分ツケといてくれないか。すぐに払うから」
「…当ホテルにはそういったサービスはございませんでして」
と、雅日、申し訳なさそうな顔。
「でももう何泊もしてるんだ。温情っていうかさ…」
と、雅日に詰め寄る宙。
バックヤードからオーナーが出てくる。
 「どうかされましたか?」
 「あ、いや…ちょっと…」
と、宙、俯いてごまかす。
オーナー、雅日とアイコンタクトし、
「申し訳ございません。宿泊費は都度いただくことになっておりまして…」
と、すまなそうに告げる。
「…なに言ってみただけだ。忘れてくれ」
と、肩を竦める宙。
「泉さん…差し出がましいようですが、金銭面以外でなにかお力になれることは…」
「いや、いいんだ。荷物取ったら出ていくよ」
と、宙、廊下を進んでいく。
その背を切なげなに見送るオーナーと雅日。

都市外れの展望スペース。
深夜のため閑散としている。
壁一面のガラス。向こうには灰色の月面が広がる。
鳴る腹を押さえながら、独り立ち尽くす宙。
視界の端に白い光が見え、そちらを向く。
営業を終えたホットドッグ屋の従業員通用口から微かに光が漏れている。
奥に廃棄パンを詰めた袋が見え、宙はごくりと喉を鳴らす。

薄暗い廊下。
廃棄袋を漁る宙。
「…これじゃまるでホームレスだ」
と、自嘲する。
「おい、おまえ」
突然背後から声を掛けられる。
「見ねえ顔だな。誰の許可得て俺らのシマ荒らしてんだ?」
宙、振り返る。
強面のホームレス二人組が立っている。

展望スペースの隅。
防犯カメラの死角で蹴られている宙。
「なんだよ、結局なんも変わらねえじゃねえか〈モノローグ〉」
と、宙、うずくまり、ガラスの先に広がる月面を見つめ、
「どこまで行っても…灰色だ…〈モノローグ〉」
と、目を瞑る。
「なぁにしてんだおめえら」
その声に、宙はハッと目を開く。
「随分と前時代的なことしてるじゃねえか。ここは人類の最前線だぜ?」
と、ウォッカの瓶を片手に立つロシア系おやじ。
くたびれた赤いブルゾンを羽織っている。頬と鼻が赤い。
「ア、アルチョム…」
と、たじろぐ強面のホームレスたち。
「酒がまずくなるからやめろ。いますぐにだ」
と、二人を睨むアルチョム。
「で、でもよ…こいつが俺らの…」
「てめえらの食い扶持の世話してんのは誰だ?」
と、凄むアルチョム。
ホームレスたち、狼狽えつつ去っていく。
呆気にとられる宙。
「よお、おまえ新入りか?」
と、アルチョム。宙の前で屈む。
「…ちげえよ」
と、宙、顔を逸らす。
「ちげぇのか?こいつはまいった。助け損だ」
と、笑いながらウォッカを呷るアルチョム。
宙、壁にもたれ「いてて」と口元の血を拭うが、空腹で腹が鳴る。
宙の眼前にパンが差し出される。
「おい、なんのつもりだ」
と、宙、アルチョムを睨む。
「一日一善をノルマにしてるんだ。俺のためにももらってくれ」
と、悪戯に笑うアルチョム。
「…憐れみはいらねえぞ。俺ぁこんなところでホームレスになるつもりなんてねえ」
と、宙、アルチョムの手を払う。
「じゃあ、地球したへ戻ればいい」
と、鼻を鳴らすアルチョム。
「あそこは俺の居場所じゃねえ」
「じゃあここがおまえの居場所か?そうは見えないけどな」
と、アルチョム、呵々と笑う。
宙、俯いて舌打ち。
「小僧、いいことを教えてやる」
アルチョム、ウォッカを呷り、
「居場所を探してるってんなら無駄だぜ。あれは公衆便所みてぇにどこかに用意されてるもんじゃねえし、誰かが勝手に建ててくれるもんでもねえ」
と、腰を上げる。
「てめえの居場所を作れるのはてめえだけだ」
言いつつ、パンを再度差し出す。
宙、その手を見つめ、唇を噛む。

【回想IN】
荻窪のライブハウス。
独りよがりな演奏をする宙。
隣のベーシストの表情に気付かない。
ライブが終わり、舞台袖に下がるバンドメンバー。
宙だけが満足気な表情。
突然、ベーシストが宙の胸倉を掴みあげる。

頬を腫らし、ライブハウスから出る宙。
店の前に当時の彼女が立っていることに気付き、そっと小さく手を挙げる。

カフェで話す二人。
彼女が求人サイトを見せてくる。
宙、机を叩き、店を出る。
小雨の中を歩く宙。端末に通知が届く。
「一生そうやって生きていけば?」とメッセージ。
【回想OUT】

「わかってる。ただ認めたくないだけなんだ〈モノローグ〉」
と、宙、壁にもたれたまま手を伸ばす。
「自分がどうしようもないダメな人間なことも〈モノローグ〉」
「口ばっかりでたいした人間じゃないことも〈モノローグ〉」
パンを掴み、
「独りじゃ生きていけねえことも〈モノローグ〉」
そのまま齧る。
「ようやく食ったか。一日一善も楽じゃあねえな」
と、アルチョムは腰を上げ、
 「じゃ、もう行くぜ。二善もする気はないんでな」
と、去っていく。
「俺はまた繰り返すのか?38万キロ先でさえ、同じ生き方をするだけなのか?〈モノローグ〉」
遠くなるアルチョムの背中。
 「そうじゃねえだろうがッ!〈モノローグ〉」
宙、壁にもたれていた身体を起こし、
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」と、叫ぶ。
「俺ぁたしかにクソ野郎だ。でもいろんなバイトはしてきたから経験だけはある。だから俺に――」
と、アルチョムの背に訴えかける宙。
「俺にも仕事を紹介してくれ!」
と、宙、四つん這いで頭を下げる。
「こりゃいい。明日の一善にご予約だ」
と、振り返り、ウォッカを呷るアルチョム。
「八時間後、マーズアベニューの外れにあるエアロックに来い。月面ここでの生き方を教えてやるよ」
と、アルチョム、にやりと笑う。
「なんだ、簡単じゃねえか〈モノローグ〉」
宙、アルチョムを見つめたまま「ははっ」とから笑い。
 「一歩踏み出すなんざ。訳ねえや〈モノローグ〉」

薄暗い区画。
エアロックの前に集うホームレスたち。
宙は彼らの身なりに目を細め、近付くことに躊躇する。
「来たな!今日の一善!」
と、アルチョム。「新入りだ」と周囲に喧伝。
周囲の人間、訝しげに宙を見る。
宙、苦笑を浮かべ、小さく手を挙げる。
「ほれ、いいやつ取っておいたぜ」
と、アルチョム、ぼろぼろの宇宙服を差し出す。
「…おいおい。これ大丈夫なのかよ。今どきMCPじゃないとか」
〈※MCP=伸縮性のある最新の宇宙服〉
「開拓期のものだ。モノはいい。文句言ってないで早く着ろ」
と、アルチョム。
宙、不満げな顔をしつつも、袖を通す。
「…俺、月面歩行はじめてなんだけど」
「安心しろ。ハイハイできりゃこなせる仕事だ。それより気圧最適化プリブリーズを忘れるなよ。おんぶにだっこの新型とは違うからな」
「わーってるよ」
宙、手首の操作盤を起動する。
アルチョムは「先出てるぜ」と手をひらひらと振って去っていく。
操作盤に並んでいる表示はロシア語ばかり。
宙は自前の端末を見るが、充電不足で翻訳機能が使えない。
「ちっ」と軽く舌打ちしてから、周囲に助け求めようと視線を泳がせる。
みなグループで固まっている。
宙、誰にも訊ねられず、適当に『Марс火星』を選択。

広大な月面砂漠。
周囲には複数台の月面ローバーと、墜落した輸送機の残骸のみ。
みな慣れた様子で背籠を背負い、屑鉄を拾っている。宙だけがぎこちない。
「おい!俺の一善!それじゃ夜が明けちまうぞ!」
「うるせえ。ここの夜はあと十日もあるだろうが」
と、宙、ぼやきつつ集団から離れていく。
残骸の影にあるゴミを拾おうとした時、視界がぼやける。
「あれ…」
と、宙、膝を突く。
「なんだ…頭が…いてぇ…」
視線を手首の操作盤へ向ける。
кислородное酸素濃度голодание低下
読めずに舌打ち。
立ち上がろうとするも、宇宙服が瓦礫に引っかかって動けない。
 「息が…ッ!」
残骸の影に隠れ、周囲からは宙の姿が見えていない。
 「嘘だろ。死ぬのか。こんななんもねえ場所で俺は…〈心の声〉」
はっはっ、と荒い息遣い。
横を向くと、視界の端に青い地球が映る。
「ちくしょう。なんで今…〈心の声〉」
宙、地球を見つめたまま気を失う。

宙、目を覚ます。視界は一面の星空。
ローバーの上に寝かされていた身体を起こすと、鈍い頭痛。
「よお、目ぇ覚ましたか、火星人」
少し離れた岩にアルチョムが座っている。
「気圧最適化しろって言ったよな」
「…したさ」
「そうか。ならここが火星じゃないのが悪いってことになるな」
「…わかんなかったんだよ、ロシア語が」
「なぜそれを言わなかった」
宙、言い返せない。
「てめえはそこで休んでろ。今日はもういい」
「俺はまだ…っ」
「舐めるな。月はそんな甘くねえ。俺ぁ言ったよな、ハイハイできれば平気だってよ。てめえはまだあのゆりかごから出るべきじゃなかったんだ」
アルチョムの背後には、青い地球が浮かぶ。
 「その言葉に俺はなにも言い返せなかった。言い返すべきだった。一言でいい。自分のために〈モノローグ〉」
と、唇を噛む宙を尻目にアルチョムは去っていく。
「けれどたしかにあの瞬間、よぎってしまったんだ。ああ、やっぱ出てこなけりゃ良かったって〈モノローグ〉」
と、宙、青い地球を睨む。
「地球にいたまま夜空を睨んで、あそこに行けば俺だってきっと――なんてうそぶいて、自分を憐れみながら暮らしていれば…〈モノローグ〉」
「暮らしていれば…どうなった…」
と、呟く宙。
隣から不意にガラゴロと軽快な音が鳴る。
中東系の青年(ジュード)が、宙の隣に置かれた背籠に屑鉄を流し込んでいる。
「なんだよ、あんた」
「歩合制なんだよ、この仕事」
と、ジュード、口端を上げる。
「戻ったらパブにでも行きな。それだけありゃ一杯くらいは吞めるだろ」
言い捨て、ローバーから飛び降りる。
「…おい」
宙に呼び止められ、ジュードは「?」と振り返る。
「…あんた酒飲むのかよ。その…信心が足りねえんじゃねえのか」
と、視線を逸らしながら、皮肉を吐く宙。
「神様も月までは見てねえよ」
ジュード、高らかに笑い、
「いいから休んどけよ。そんで、今のうちに考えておくことだ」
と、続ける。
「考えるって…なにをだよ」
「これは神の言葉じゃなく俺の言葉だ。だから聞き流してくれていい」
ジュード、笑顔のまま語る。
「月は人間を受け入れはしないが拒絶もしない。ここにいるのは来たくて来た奴と居たくて居る奴だけだ。この星には帰りたい奴を引きとめるほどの重力はない」
地球したに戻れって言ってんのか…?」
と、宙、眉をひそめる。
「そうは言ってない。ただそう聞こえたのならそういうことかもしれない。俺も次は屑鉄のひとつも譲らない」
と、ジュード、笑顔のまま言う。
「…あんたもあのおっさんもそうだ。なんなんだよ上からものいいやがって…てめえらなんか」
「負け犬のくせにってか」
笑顔のまま吐かれた発言に、宙はたじろぐ。
「たしかに俺たちは身なりが上等とは言えない。金だってない。社会って文字は酒税の次に嫌いだ。だけど俺はこう言うぜ」
ジュード、わずかに顎を上げる。
俺たち月面ホームレスは神も戦争も大統領も見下ろす、世界で一番高いところにいる負け犬なんだ」
「…あほくせえ。言い方ひとつじゃねえか」
「生き方ってのは言い方次第さ。違うか?」
と、微笑するジュード。
宙はそっぽを向く。
「なあ」
宙、呼ばれて視線だけ向ける。
「教えてくれよ。おまえは今どこにいるんだ?」
ジュードは挑戦的な表情で宙に言い放つと、一足飛びでアルチョムの元へ向かい、気さくに話しかける。
「…なんだよ、灰色のくせに」
と、唇を噛み、独り佇む宙。
眼前には和気あいあいと仕事に励む一団の姿。
「まぶしいな、ちくしょう」
どこまでも続く灰色の月面。
独りの宙。集団の月面ホームレス。
遠くに浮かぶ青い地球。

〈了〉

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