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いぬ

私は犬好きの自覚がある。
高校生の時に、飼っていた犬が病気で死んだ。入院させて、五日くらいのことだった。免疫介在性溶血性貧血。たぶん一生忘れない。めんえきかいざいせいようけつせいひんけつ。ゴロがよくてむかつく。
輸血したり、抗がん剤をいれたり、でも全然効果が無くて、半年から五年くらいかかりますと言われた言葉むなしく、たった五日で尻尾の生えた弟は天国に駆けあがってしまった。
体中の血を自分で壊して、貧血で動くこともできないなか、お見舞いに行った私たち家族の顔を見たら必死に立ち上がってくれた姿も、一生忘れない。
当時は知識がなかった。考えが浅かった。
今だったらきっと、入院させなかった。犬はなんで入院してるのか苦しいのかわからない。最期とても寂しかったし苦しかったのでは。その考えが消えなくて、私は五年間同じ犬種を見つめることが出来なかったし、今でも書きながら泣けてくる。二十年前だぞ。

父の実家の犬は、ザ・田舎の犬で、玉葱のみそしるを米にかけたごはんで18歳まで生きた(玉ねぎは犬にはダメ・絶対)。無くなる半年前、私のことを散歩要員だと思ってる彼は、弱った腰でも立ち上がり、私にリードをつけるようせがんだ。田舎の犬はチェーンが20メートルとかあるから、私くらいしか散歩に行かない。それも年に二回の帰省の時だけ。でも覚えてくれてるのがうれしくて、私はよぼよぼの彼と散歩に出かけた。
あぜ道の間をのんびり歩いて、15分くらいで彼は倒れ込んだ。私は号泣しながら15キロくらいの彼を抱えて、ゼェゼェ言って帰った。外犬のにおいって、くさいじゃないですか。でも、その時の彼の白い毛皮からは何の匂いもしなくて、ああ、そういうことなんだなあ、と思った。あれは、命のにおいだったんだなあ。
入道雲のでかさとか、あぜ道の途方もなさとか、緑すぎる稲の緑とか、目には全部覚えてて、鼻だけ何も覚えてない。
その半年後の冬の日に、彼は小屋から起きてこなかったらしい。

一昨年親戚が犬を亡くした。17歳の大往生。寝てたら急に呼吸が止まって、自宅で亡くなった。一緒に泣いた。一年後、親族は新しい家族を迎えた。

私はずっと最初の子が忘れられなくて、犬を飼えなかった。飼うとか具体的に考える前に、脳が悲しみにべったりからめとられて動きたくない、と止まっちゃう感じだった。
同じ犬種を見ると涙が出るし、ペットショップも動物病院も苦手だった。ほんとは獣医になりたかった夢も、十六歳の時諦めた。

親戚が新しい犬を探しに行くのに付き合いながら、最初は「まだ死んで一年なのにはやいな」と思った。浅はかにも。
でも、一緒に犬たちを見ているうちに気づいた。
私は犬の死を悲しんで立ち直れずにいたんじゃなかった。犬の死の際の己の不手際が許せなかったということに。自分を許せないことって、なんでも根深くて、それが特に無垢な命にかかわることだとなおさら。
知識があれば、選択ができた。助からないのなら、おうちのあったかいベッドで見送ってやりたかった。外でしかトイレができないあの子が、もらしてしまって悲しそうに泣くのを防げたかもしれない。あの時は選ぶことすらしなかった。こういう病気なのでこうします、と言われ、ハイ、だった(もちろん、病院は悪くない。とてもよい病院だった)。

私は、ずっと自分を恨んでいたんだな、と知った。人間は自分の選択に納得ができたら、結果もまるごと飲み込めることのほうが多いと思う。もちろん病という不幸とは別の話だけれど。

だから私は、私を許してあげてもいいかもしれない、と思った。あの時高校生だった。私の家族も詳しくなかった。でも、犬のことは愛していた。とてもかわいがっていた。大事にしていた。今でもあの柔らかい毛並みを思い出す。いたずらをしたときだけ大嫌いなクレート、こっちに背中を向けて入っていたその尻尾も覚えてる。

それを忘れずに、私はたくさん勉強しようと思った。今の犬のしつけ、病気、環境、いろいろなこと。しかるべき時に、正しい選択ができなくても、選択することそのものはできるように。

そして私は今、犬二匹と暮らしています。
犬が好きです。いつか選択できない彼らの代わりに私が何かを選ぶ日がきたとしても、その悲しみも責任もちゃんと抱える覚悟を持っているので、任せてね、の気持ちで、ポップコーンみたいなにおいの肉球を嗅いでる。

犬はいいぞ。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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