子供の運動神経が良いとか悪いとか、一体何をもってそんなことが言えるのか、についての考察

1 「運動神経が良くない」とは何かについて。
2 親の子に対する学習の機会について。

「運動神経が良くない」とは何か。

運動神経が良い子だとか、運動神経が悪い子とか、巷では良く耳にする。運動神経がいいと聞くと、漠然と、足が速いとか、サッカーが上手いとか、側転とかバック転とかできるとか、運動会でスターになるみたいなイメージはある。

さて、ここに進んで体を動かさないし、足も速くない、ボールも上手に投げられない、みたいな子供Aくんがいたとする。その状態だけを見ると、あぁこの子は運動神経が良くないのだな、という判断をすることがある。でも、運動神経が良くないって、一体何を指すのだろう。正しく定義されていない、曖昧な言葉な気がする。運動を上手にやらないことが、すなわち運動神経が良くないということなのかというと、必ずしもそうではないという話を聞いた。

いかに子供を「運動が上手にできない状態」にしないか

※ここからは数時間ざっと調べたり考えたりしただけで、自分なりの考えをまとめたもの

いろんな人の運動神経や運動能力や身体能力についての考えがインターネット上にあるようだが、ここでは対象を子供に限定して、いかに子供を「運動が上手にできない状態にしないか」について焦点を当てることにする。運動が上手にできない=自分に自信が持てない、みたいな意見も聞くので、子供の将来に悪影響を及ぼす状態を避けるためにも。

「運動」も定義は様々で、無意識に呼吸する場合やご飯を食べる時に箸を用いる場合も、運動である。が、ここでは対象を子供が体育や遊戯やその他イベント等で積極的に体を動かす必要があるものに限定する。なお、日常生活に不器用さがあるような「発達性協調運動障害」というものもあるらしいが、それも対象から除く。

運動が上手=身体能力 × 理解力 × 想像力 × 身体への伝達

定義や範囲を限定しないと曖昧な文章になるので前置きが長くなったが、運動が上手という状態を、以下のように考えた。

運動が上手=身体能力が十分で、その運動を正しく理解し、理解の通りに自分の体の動きを想像し、想像の通りに体を動かそうとし、その通りに体が動かせること

身体能力=
スピード。 すばやく移動する能力
全身持久力。 運動を持続する能力
瞬発力。 すばやく動き出す能力
巧緻性。 運動を調整する能力
筋力。 大きな力を出す能力
筋持久力。 筋力を持続する能力
柔軟性。 大きく関節を動かす能力
敏捷性。 すばやく動作を繰り返す能力
参考:スポーツ庁「平成30年度 全国体力・運動能力・運動習慣等調査報告書」

理解力=
言語理解
内容理解
記憶

想像力=
理解した通りに動作をイメージすること
理解を超えて、有効な動作を想像すること(これはむしろ想像ではなく創造だと言える)

身体への伝達=
自己信頼
モチベーション
神経伝達

裏を返せば、これらのどこかに問題があって、それを他の要素でカバーできないとすると、「運動が上手」ではない=運動が上手にできない状態、だと言えると考える。
身体能力が低いとか、フランス語の説明が聞き取れないとか、先生の言うことがよく分からないとか、モチベーションが低いといった理由で運動が上手にできないことを、運動神経が悪いと言うのは、少し違う気がする。走り出すときの瞬発力がないね、とか、やる気がないね、運動が上手にできないね、ならまだ分かる。

運動神経とは、曖昧な言葉だ。

Aくんのその後

運動が上手にできない子は、「運動神経が良くない」と一言で片付けるのではなくて、どこに問題があるのかを考える方が有効で正しいアプローチなのだと教えてもらった。先述のAくんについては、
・運動が上手にできない根本的な問題は筋力にある
・筋力がないため運動を上手にできないことを頭で良く理解しているので、運動に対するモチベーションがなく、動作が小さくなる
・よって益々上手にできない状態
・プライドが高く、できない状態は自己信頼を下げるため、そもそも運動をやらない方へもっていく
ということがわかった。そこでこれからは、筋力をつけることを主眼にトレーニングしつつ、できるという経験を積んで自己信頼をあげていくことをやってみることになった。
そう、「運動神経が良くない子」なのではなくて、「筋力が足りなくて、自分のことをよくわかっている、プライドの高い、愛すべき子」なんだ。

運動神経が良いとか悪いとか言う前に、原因を考えて対処すれば、「運動が上手にできない」と言う状態はある程度回避されるのではないか、と思っている。「運動が得意」にはないかもしれないが。
もちろん、内容がどうしても理解できないとか、神経伝達に難ありとかで、本当に運動が上手にならない場合もあるのだとは思う。

2 親の子に対する学習の機会について

運動神経についてはこうした考察に至ったわけであるが、これは子供の教育のため、様々な取り組みをする中で教え、気付かされた部分である。仮にこうした情報に触れる機会がなく、必要な知識を持たずに、運動が上手にできない子供に「運動神経が悪い」というレッテルを貼り、運動をさせない、本人の自信がなくなる、というようなことが全世界で起きているのだとすると恐ろしい。

さらに、これは氷山の一角で、様々な親の無自覚・知識不足・思い込み等々によって、子供に悪影響を与えていることがあるのだとしたら。

こうした状況は無限にあり、勉強ができないとか、泳げないとか、本が嫌いとか、歌が下手とか、本当の理由を知らずに間違った判断を親と子がしているとしたら。その全てにおいて適切に対処し、子供への悪影響を避けることは現実的なのだろうか。そもそもこうした機会が、住んでいる場所や、親の年収や、親の教育方針や、やる気や、天気や、兄弟の数によって、得られないことを、私はどう考えたらいいのだろう。
答えは風の中に。

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