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「迷ったら苦しい方を選べ」を間違って理解していたあの時の俺へ

拝啓
どうも、47歳になってもビールが苦くて飲めない俺です。元気でやってますか?

あの時の俺は27歳ぐらいかな。まだ公務員やってるころだね。人生について一番悩んでた頃だな。

「迷ったら苦しい方を選べ」
どこで誰に教わったのかわからないけど昔から脳に刻まれてたこの言葉。複数の選択肢があって、その中からどれか選ぶ時、とりあえず一番苦しい選択肢を選べば正しいと思ってたし、実際そうしてたよね。そして自分の周りで苦しい方を選んでない人を不真面目だな、馬鹿だな、今は楽かもしれないけどそれは間違ってるって思ってた。

あれからいろんなことを経験して、その理解が間違ってることに気づくよ。
正確には
「迷ったら(どれが自分にとってベストか調べに調べ尽くして、諄いほどに自問自答して、考えに考え抜いて、それでも優劣つけられない場合は)苦しい方を選べ」
が正解だよ。

いろんな選択肢がある時、なにも考えずにとりあえず一番苦しそうなものを選ぶのは、考えることを放棄している。考えに考え抜けば、調べ尽くせばもっと良い選択肢があるにも関わらず、苦しい方を選んでおけば間違いないと信じてたね。
馬鹿の一つ覚えでとにかく苦しい方を選び、とにかく頑張って、やった感に満足してた。頑張ることが目標になってた。

なにより厄介なのは周囲に対しても苦しい方を選択するその価値観を押し付け、期待していたこと。頑張ってないやつ、楽しようとするやつを軽蔑してた。本当は自分よりも効率的に早くうまくできる人たちをやっかみ、妬んでいただけなのに。

良く言えばやる気のある元気な若者だが、なんか落ち着きがないって言われてた。真面目なようで実は不真面目、言葉を選ばずに言うとやる気のあるバカだった。自分の周囲に随分と迷惑をかけた。やる気がある分余計に。

今この歳になって、頑張ることが必ずしもいいことではないってようやく思えるようになったよ。でも相変わらず、うまくいかないことばかりだけどね。あの時より周りがよく見えるようにはなったかな。

体力、気力も大事だけど、自分の頭でよく考えること、諄いほどに自問自答すること、常識を疑うこと、頑張ることを人に押し付けないこと。その重要性に早く気づけるといいね。苦しさを感じることで俺はやれてる!と思ってるのはほぼ間違いだからね。

じゃあな、頑張れよ。あの時の俺。
敬具



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