機嫌が悪いことを認めることが、機嫌よく過ごす第一歩?

機嫌が悪いと人が逃げていく。
人望も逃げていく。


「急に機嫌が悪くなる」「今日は機嫌がいい」と言うように、不安定さが付きまとい、その人の精神状態の未熟さを感じさせる。

私は、自分の機嫌が乱高下しやすいことを最近になってようやく自覚するようになってきた

怖いのは、今までは他の人には気付かれていないと思っていたということである

機嫌が悪くなったことを自覚しないと、それをコントロールする次元に達することはできないように思う

子どもの場合は、自分のことをよく知らない
言語化する力もないことが多い
自分はいったい、何が嫌いで、何が苦手で、何が好きで、何が得意で…というのを言語化する力がないから、態度や行動にあらわれてしまうのだろう

「〇〇だからイライラした」「△△って言われたからモヤモヤする」と認識できれば、じゃあそれ表に出さないように気を付けよう、となる

もっというと、それを誰かに話したり、認識することで次回以降回避したり予測することができる

しかし、自分の気持ちに気付けないと、その気持ちは溜まっていく一方だ
そして、都度駄々漏らしになるか、不意に爆発するという形をとって、他者を遠ざからせてしまう

「機嫌が悪い」というのは、「自分の気持ちに気付いていない」と言い換えることが出来そうだ

だとすると、「機嫌が悪い」の反対は、「自分の気持ちに気付いている」、になるだろう

嫌な思いをしたときにそれを隠したり恥じる必要はない
むしろ、それをなかったことにしたり、我慢することの方が問題なのだ

便意を我慢するとやがて腹痛になったり吐き気をもよおすように、きっとどこかに”歪み(ひずみ)”が生じる

栄養を吸収したあとの不要なものは、便として排出している
この機能が体には備わっていて、みんな自然に出来ている

不要なものを定期的に排出すればいいと身体は知っているわけで
それなら、不要な感情も、排出していこう

こっちは、自然にできる…とまではいかない

練習が必要だ

そして、不機嫌な気持ちになる「原因」を知る必要がある

どんなときに、どんなことを言われると、どんな言われ方をすると、何が起きると…自分は不機嫌になるだろう?

記録して、自分を知ることで、対処法も見えてくる

いつも機嫌が良い人を目指す必要なんてないんじゃないか

そんな夢みたいな聖人にはなれないとしても
機嫌の悪さを知ってコントロールできる凡人になれれば十分だろう

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