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「俺は世界一の裏切り者」宇治さんと“最後のトキ”キンのお話

もう10年以上前の事ですが、2002年にNHKの当時の人気番組「プロジェクトX」で『幸せの鳥 トキ 執念の誕生』として、佐渡トキ保護センターの初代センター長である近辻宏帰さん(故人)が取り上げられました。

トキの保護・人工繁殖の歴史を語る上で、近辻さんの功績は外すことが出来ません。現在、洋県(中国)や佐渡で数多くのトキが生息できているのも、近辻さんに拠る所が大きくあります。その近辻さんの、トキ保護に捧げた半生、苦悩、そして功績を紹介した番組でした。

しかし、この番組の“ある一部分”だけ、私はどうしても納得が出来なかったのです。

佐渡に赴任した近辻が山の中でトキを探していると、身長183cmの大男が現れ、「俺に任せろ」と言った。
その男には特技があった。トキを呼び寄せる事ができた。空に向かって「コーイ、コイコイ」と声をあげると、どこからともなく1羽のトキが飛んできた。男はこのトキを捕まえ、近辻に渡した。トキは近辻が抱き抱え、保護センターへ連れていった。
捕獲した男の名前から1字を取り、このトキは「キン」と名付けられた。
(番組DVDを再確認の上、修正しました)

この大男とは、宇治金太郎さん(故人)の事です。

2009年に、その宇治金太郎さんとキンの記念碑が真野地区に建てられました。「日本最後のトキ餌付けの地~宇治金太郎さんとキンちゃんの碑~」と刻まれています。

これは、その記念碑に組み込まれている銅板です。宇治さんの手から、直接餌を食べているトキの姿が描かれています。(これの元になった写真が実在しています)。

しかし、宇治さんが「キン」を捕獲した時の話は、「プロジェクトX」で放映されたものとは、かなり印象が異なります。

宇治さんとトキ子の、本当の物語

昭和43年(1968年)、一羽のトキの幼鳥が、真野の地に迷い出てきました。当時、野性下のトキの数は減り続け、能登に数羽と、佐渡に1つの群れが残るのみ、絶滅が目前という状況でした。幼鳥は、その群れから逸れてしまい、真野までやってきたのです。

この時期、トキの人工飼育・繁殖の試みが始まりまだ間が無い頃。国や学会の中でも、全羽を保護して人工繁殖を行うか、このまま野性下で見守り続けるか議論が続いていました。

真野町(当時)は環境庁の指示を仰ぎ、トキの観察と餌付けを試みる事になりました。そして「野鳥の会」の会員と言う理由で、地元の公民館の館長を務めていた、農家の宇治金太郎さんにトキの監察員を依頼しました。実は宇治さんはそれまで、本物のトキを見たことは無かったそうです。

宇治さんは毎朝、同じ服を着て、2キロの道のりを歩きトキの元を訪れ「コーイ、コイコイ」と掛け声をかけました。最初は遠くから、少しづつ距離を縮めていき、餌のドジョウを与えました。

やがてトキは、宇治さんにだけは心を開き、ついには手のひらから餌をついばむ程になりました。宇治さんも「トキ子、トキ子」と呼び、我が子のようにかわいがりました。ここまで野生のトキと心を通じた人は、他には居ません。

宇治さんのトキ監察員としての活動は、大雪に見舞われた真冬を通じ120日以上に渡りました。

年が明けて、真野に環境庁の捕獲班がやってきました。「トキ子」をこのままにしていると死んでしまう危険性が高いため、捕獲して人工繁殖を行うことになったのです。

しかし、網で捕えようと近づいてくる捕獲班を「トキ子」は警戒し逃げてしまいます。それが何度も繰り返され、結局捕獲は失敗しました。捕獲班は真野町(当時)に、「トキ子」を捕獲するよう指示して、引き揚げて行きました。

困った町は、宇治さんに「トキ子」の保護を依頼します。それに対し宇治さんは
「俺の事を信頼しているトキを捕まえる事は出来ない」と、拒みました。

しかし、季節が冬から春に向かっていきます。天敵の野犬や鷹なども動き出します。「トキ子」も成長し、移動範囲が広くなり監視しきれなくなってきました。さらに春になれば、田畑には農薬も散布されます。

このまま保護しなければ、「トキ子」は夏まで生きてはいられない事は決定的でした。

悩んだ末、宇治さんはついに「トキ子」の捕獲を決断します。

いつものように、「トキ子」は宇治さんの元に降り立ち、餌をもらった後、宇治さんに寄り添うように座りました。宇治さんは「トキ子」を、優しく抱きかかえるように、捕獲しました。

「トキ子」は、騒いだり抵抗したりせず、じっと動かないまま、ただ小さな声で「クヮー」っと鳴いたそうです。

その時、宇治さんの目からは大粒の涙がこぼれ落ちていました。

「俺は世界一の裏切り者」

当時、トキの人工飼育技術はまだ確率されておらず、保護センターで飼育し始めたトキが次々に死んでしまう状況が続いていました。
宇治さんが「トキ子」を保護した直後にも、保護センターのトキが1羽死んだという知らせが入ってきました。宇治さんは「車の窓を開けて「トキ子」を逃がしてやろうか」と思ったそうです。

宇治さんは、自身の手で「トキ子」の自由を奪ってしまった事を生涯悔やみ続けました。歳老いた体に鞭を打つように、毎月、宇賀神様の500段以上ある石段を登り「トキ子」の長寿と子孫繁栄を祈願し続けました。

亡くなる直前のうわ言でも、“あ、、、生まれた!”と、「トキ子」の事を気にかけていました。

キンは生き続けました

トキ保護センターに移送された「トキ子」は、宇治金太郎さんの名前から一字もらい「キン」と名付けられました。昭和56年、佐渡に残っていた最後の5羽が保護され、佐渡トキ保護センターに移されました。この時、野生下の朱鷺は姿を消したのです。(中国でトキが発見されたのはこの数ヵ月後の事でした)

子孫こそ残せなかったものの、宇治さんの願いが通じたのが、「キン」は生き続けました。他のトキが病気や事故、寿命で逝ってしまう中、最後の一羽になっても「キン」は生き続けました。

幼鳥から老齢期に渡った「キン」の永年の飼育記録は、その後の中国・洋県のトキ人工繁殖におおいに役立てられました。

1999年、中国からトキのつがいが贈られてきます。翌年には雛が誕生し、やがて保護センターのトキの数も増えてきました。数年後には25羽を超え、一度は絶滅したトキの「復活」が現実味を帯びてきたのです。

2003年10月、仲間が増えたことを見届けたように「キン」はその長い生涯を閉じました。推定年齢36歳、トキの飼育記録としては最長、鳥類としても異例の長寿でした。

晩年は一日ほとんど動くことが無かった「キン」ですが、その日の未明、突然羽ばたき、高く飛びました。そして、天井に激突してしまったのです。

「キン」が、何を思って突然飛ぼうとしたのか、何処へ行こうとしたのか、それは誰にも分かりません。
でも、きっと天国で大好きな宇治さんと再会したのでしょう。

(参考:「朱鷺の遺言」小林照幸/著 1998年刊 他)

「キン」が繋いだ、トキ放鳥

もし「キン」が、他のトキと同じ頃に死んでいたら、恐らく佐渡トキ保護センターは役目を終えたとして閉鎖されていたと思います。そうなれば、中国からトキのつがいが贈られてくることも無かったのではないでしょうか。

よく「日本のトキは絶滅した、今いるのは中国のトキだ」と仰る人が居ます。それは確かにその通りです。日本で一度、トキを絶滅に追い込んでしまった事実は決して消すことはできません。

しかし、「キン」が生き続けたからこそ、今があるということ。そこには、近辻さんや宇治さんの強い思いがあり、それに応えた「キン」の存在があるという事も、ぜひ知って頂きたいです。

「プロジェクトX」から返信

話を元に戻して「プロジェクトX」。実際の宇治金太郎さんとキンの話とはずいぶん違う印象で放送されました。

私はこの回を、本放送の約1年後、アンコール放送で視聴しました。自分が聞いていた話とずいぶん違ったので、改めて図書館で書籍を読み、番組公式サイトにあった意見フォームから、問い合わせを送りました。

それから1か月ほど後だったかと思いますが、番組の広報担当プロデューサーという方から、返信を頂きました。

先ず、「宇治金太郎さんとキンちゃんの話」については、番組企画時に承知していたとの事。(私が図書館で閲覧した書籍は、番組企画時に参考資料としていた)

たいへん心を打つ話で、番組内でも取り上げたいと思ったが、これだけで1時間の番組が作れてしまう内容だった、今回はあくまで「近辻さんを主人公とした、トキの人工繁殖の物語という企画」であったため、放映時間の制約上やむを得ず、内容を省略して放送したとの事。
ただ、後日この内容を書籍化した際に、宇治さんとキンちゃんの話も詳しく掲載したという事でした。

ちなみにその後、「プロジェクトX」は番組内での“過剰演出”が問題視され、打ち切りに追い込まれてしまいました。
一方で、映像ソフト化はもちろん、書籍化までされたのは、シリーズの中でもこの回が特に反響も多かったからなのかもしれません。

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