語るしす

エッセイを久しぶりに読んだ。ふかわりょう氏の「世の中と足並みが揃わない」というエッセイ。エッセイをどこか下に見ている。文学や哲学の書こそが、本屋で、新品で買ってブックカバーもかけてもらっちゃうものだと。エッセイは、メルカリで買ってメルカリで売るもの。消費のために生まれた儚い存在というとかっこいい、薄いのだ。それっぽいことをそれっぽく解釈する、内容的に薄い紙。ゴーストライター。エッセイストってなんじゃい、と、ツッコミが入るのも無理はない。紙の無駄使いという解釈でしかなかった。

しかし、だ、見下していたものがいつのまにか大成していることもある。僕の大好きなふかわりょう氏、サンドリしか聴いてないし追っていない、表面上の大好きが溢れるふかわ氏の、エッセイが、発売されていたのをサンドリで知ったのだよ。

本当は書店で出会いたかった。書店で会いたかったよ。

2022/10/30

言葉の本質をめぐる人生をおくる。

言葉のプロフェッショナルになりたいと思った。

きっかけは、もしかするとこのエッセイで、もしかすると晴れた日曜日にふとそう思ったことで、

言葉ってのは面白いんだと、特に日本の言葉ってのは、

と、胸を張って死ねるように。

具体的にどうするんだい?ということなら、とにかく言葉と触れ合う。今使っている言葉は、たった23年間生きてきた中で固められた、狭い言葉だと自覚する。新鮮に、言葉を考えていく。

町に出てみる。人と話してみる。そして、記録する。調べてみる。

言葉を発したときに、共通認識することができるのか、。人の話を聞くのが仕事。質問するのも仕事。

まずね、本を読めるようになるんだ。そのためには、いろんなものを捨てないといけないよ。雑念、妄想、スマートフォンなどなど、考えるときはしっかり考えないと、いつまでも学生のままだ。机上の空論すらもままならない、なんてかわいそうな人。

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なんで、こんなにも大きいユニコーンが生まれたんだ

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