人種差別発言、スプラトゥーン大会優勝剥奪の件に寄せて

人種差別についてはこのブログでも何度か触れてきた。そして私は常に自信がない。幸いにもこの15年間は環境に恵まれて、人権や敬意の払い方について常にアップデートできたと信じたい。それでも自分が無意識に人種差別をおこなってやしないかと、心配になる。

私の最近の関心事は色鉛筆の「はだいろ」だ。

厳密には差別というか色の名前に対する違和感なんだけど、なんだろう、はだいろって。小学校に上がる頃から不思議に思っていた。肌色?肌の色は人それぞれ異なるし、通っていた保育園で与えられたクレヨンにはアイボリーと言うか象牙色というか、いわゆる「はだいろ」がなくて、オレンジで塗る子が多かったように思う。

そして私は緑で塗ってしまうタイプだったが、それはさておき最近はペールオレンジとか呼ばれることもあるらしい。まあ私は緑と橙の違いを分かっていなかったし、色の概念に対する理解が希薄だった。

日本人の肌の色に近いから「はだいろ」だったとして、茶褐色を例えば「こくじんいろ」とか、または海外でこの色が日本人色とかって言われると、色の観点からは事実とはいえ、あまりいい気がしない人もいるのではないだろうか。

そこに、「茶褐色の肌の色のあいつはまるでモンキーみたいだな」とかいう言葉をアフリカ系の人に向けて口にしたら、そりゃヤバいよね。加えてニガーという差別用語ど真ん中のキーワードを織り込んだとしたら一発アウト。私ならそれ相応の距離を取る。

人権について語る時のポイントは、聞き手がそこに敬意を感じられるかどうかだと考えている。その会話が人種差別に当たるかどうかは、受け取る側によってジャッジされることが多いのではないだろうか。

そこにリスクがあるから人種に対するトピックはセンシティブであり、できることなら避けるべき話題であろう。

私はスプラトゥーンで游ぶ。スプラトゥーンは肌の色を設定できる。真っ黒にすることもできる。私はわざわざ真っ黒にはしない。する必要がないし、したいとも思わないから。だからそのゲームキャラクターを真っ黒にも真っ白にもしない。自分の肌に近い色にしている。

でも黒くしようと、白くしようと、個人の自由であることには違いない。正直どっちでもいい。問題はそこに対する侮蔑であろう。

表皮を黒や黒褐色に設定したことに対して、「猿みたいだなプゲラ」とか私は言わない。同じように、黒褐色の肌の人に対して「猿みたいだなプゲラ」なんて言わない。

私たち日本人はモンゴロイドとして黄色人種といわれる。それ自体はまったくかまわない。それよりもその事実を侮辱することが問題なのだ。

ある日本人エッセイストによる文章でアメリカンジョークを読んだ。ニューヨークの喫茶店に入ってコーヒーを頼んだら、ウェイターが「Black or White?」と聞いてきたのだそうだ。エッセイストがキョトンとしていると「Hehehe, I'm a Black!(^^)」と言ってニコッと笑ったのだとか。

これはどうだろうか?私はこれ自体は全く構わないと思う。全然面白く無いけれど。そこで「残念だけどこの国は白か黒だけさ、黄色は存在してはいけないからな!黄色いやつはお断りだ!」などと言ってきたらアウト。

なんだろうな、タブーとか寝た子は起こすなではなくてさ、そこに敬意があって、誰が見ても聞いても人権に対する配慮と尊重が明白に認められるかどうかだ。

有色人種に対して「あの黒人は猿野郎だからな!」とか私は決して思わないし、たとえ思ったとしても口にはしない。そういった侮辱の価値観を表出してしまうのは人間として未熟なように思う。

ただただ私が無意識にそういった言動、人を傷つけるような発言をしていないか自信がない。それに対するリスクマネジメントとして、相対する人に敬意を払う、リスペクトする姿勢が必須なのだと考える。

大人として、そのリスペクトはとても大切なように考えている。

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