20200728 何を書けばいいのかもんもんとして書いては消してつまらなくなり書かない気持ちはどこへゆくの?

頭の中を言葉が、言葉以前のものが、駆け巡る時がある、つらつらつらつら、気持ちの紙切れみたいなものたちが机の上に散らかって、山積みで、あああ、散らかってんねー、となる。


それらは、一体どこに行くんだろう、それらはたまに歌のかけらになったり、絵のかけらになったり、はたまた、何にもならなくて、ただ日々の忙しなさや、怠惰に溶けて消滅してゆくのか。

もしかしたらふとした時に、違う形で、また机上に散らかるひとつの紙切れになるのか。


書いては消して、書いては消して。なんのためにもならない文章を書いては、そこから四方八方に分岐して行き、とりまとめられなくなり、結局消している。

きっとここが紙で、それを書くのが鉛筆だったら結構くしゃくしゃになっている頃で、もしもボールペンなら、あんなに紙を無駄にしてしまって、あーあ、と思うだろうな。

何度も、跡形もなく消せる、スマートホンの中の文章たち。

・・・

今日はひたすら寝ていた。もうなんかやるせなくて寝ていた。昨日は自分の体調不良でライブをキャンセルしてしまった。やるせない。夕方に起きて、コーヒーを入れて、食パンを焼いて食べる。


そういえば夢の中でも食パンを焼いていた。

うまく焼けなくて焦げてしまったり、なぜか縮んでしまったりして、人にがっかりされる夢だった。

コーヒーは秋田の のら珈琲の豆を気に入って買っている。色んなブレンドがあって、名前もチャーミングで選ぶのが楽しい。ずっと家にいた6月以前よりも、コーヒーをいれる機会が減ってしまって、本当に緩やかなペースになってしまったのだけど、毎回小さなお手紙を書いてくれて、うれしい。コロナが落ち着いたら、秋田のお店に行きたい。


この「コロナが落ち着いたら」て一体いつなんだろうね?といつも思いながら、そう言ってしまうんだけど、また色んな心配事がみしっと気持ちを押してくる時が増えた。それは、コロナで明るみになりまくった国の呆れるほどのやり方だったり、何が正しいのかもわからない感染のことだったり、自分の仕事のことだったり、好きな場所がなくならないで欲しいな、とか。とかとかとか。

それでも、いつか全ては終わるから、と時に悲しい意味を持つ言葉を、今は希望として持ち歩いている。


そういった色んなメモ用紙の端っこに書くような、気持ちの断片みたいなものが、冒頭で書いた紙切れたちになってゆくのですが。本当にさ、生きているだけでもみんなそれぞれの山を、森を、かき分けて進んでいくようなものなんだから、助け合って、なるべくやさしくできる時にはして、理解はできなくとも傷つけることはやめようよ、と思うことの多い最近です。


身体を痛めてしまったので、4月の頭から6月の半ばまでみっちり家の中で過ごしていた、あの時期の再来かのような今週、なにしようかな。安静にしながら。何か作ろうかな。安静にしながら。


身体の安静はできるけれども、精神の安静はなかなか難しかったりもするんだよな。大体の病気に「ストレス」ってあるけど、そこが1番難しいところだよなーと思う。考え過ぎてもいけないな、と考え過ぎてしまったり、向き合って考えなければいけないこともあったりする。上手く風が吹き抜けない時もある。窓を探そう。窓をね。そしたらもう、開ければいいんだもの。


あー。日中に眠り過ぎてしまったので、全然眠くならなくてまた夜中になってしまった。かえって身体に悪い気もしてきた。そういうのが、自分にはとても難しいな。ひとまず、生活リズムの改善から着手しないといけない気持ちがする。寝る努力をしてみよう、本を持って布団へ向かおう。


そういえば、夜にソースを沢山入れたカレーを作ってみた。以前、神保町で食べたカレーがソース入りで美味しかったから作ったんだけど、ちょっと違う気がした。美味しくはあったのだけど。回復したら、また神保町のカレー屋さんに行って、味の研究をしたい。楽しみを、先に用意して、日々をかき分けていく。光。今の私が欲しいものは、窓と光、かもしれない。





活動費や制作費やコーヒー代にします。