ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」

葛飾北斎の富嶽三十六景 神奈川沖浪裏のファンなので、この本との出会いはジャケ買い。

買った後に積読状態だった「書店員フィクリーのものがたり」と同じ著者だと知って、まずそっちから読み始めたらそれがまたすごく良くて。その流れで「トゥモロー〜」へ。

本書はゲームを通じて互いを認め合い、時には反発し合うサム(子供の頃の事故で足が不自由な天才肌のクリエイターでこじらせ気味の男)と幼馴染のセイディ(ゲーム開発に意欲的な恋多き女)、そしてマークス(サムの同居人だったんだけど、やがて2人の調整役からゲーム会社の運営を担うことになる元役者でモテまくるナイスガイ)の物語。

自分たちが思い描く、新しいゲームを作るために、全てをかける。製作に没頭して、一番信頼している仲間のはずなのに嫉妬したり、疑心暗鬼になったり。

ゲームは1人では作れないんだけど、「これだ」と決めたものを信じて突き進まなくてはならないんだから、最後は情熱がないと続けられないよな。



また一つ鳥居をくぐる。
ゲートとはそもそも何か。

通過点だとセイディは思った。
次への入り口。
その先に知らない世界が開けているかもしれない。
扉をくぐり抜けた先で、成長のチャンスが待っているかもしれない。



時にいがみ合い、対立してしまうナイーブなクリエイターのサムとセイディを影に日向に愛情を注ぎ込むマークスに共感する。

ゲームをプレイしてる人たちを想像する。
私たちが作ったゲームのこともあるけど、どんなゲームだってかまわない。
絶望を感じるときは、人がゲームのこともあるけど、どんなゲームだってかまわない。
絶望を感じてるときは、人がゲームをやってるところを想像するとーー世界がどんなに悲惨なところになっても、ゲーマーは決していなくならないって考えると、希望が湧いてくる。



「ドンキーコング」や「バイオハザード」など、人気ゲームの名前もたくさん出てくるし、ゲーム製作の苦労なんてほんとに携わっている人にしかわからないだろうという気もしたけれど、ものを作ったり、人にサービスしたりする仕事をしているなら誰でも共感できる話だし、ゲームに興味がなくても楽しめると思う(実際自分もそんなにゲームやらないしね)ので、ちょっと長いんだけど読んでみて欲しい。

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