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おとしものや
「こんばんは」
真っ暗な広い広い空間に、ぽつんと1つだけ明かりをつけている街灯。そのぼんやりとした灯に照らされ、うつむきながら立っている彼女にぼくは声をかけた。
「あら…こんばんは…」
挨拶を返しながらこちらに向けられた顔は、とても寂しそうな顔をしている。
「アナタは『落とし物』ですよね」
「えぇ、多分。そう、なるのでしょうか。でもどうして?」
「ぼくは落とし物を相手にした仕事といいますか…。そういったものを生業にしているのです」
「……お仕事、ですか」
「はい。落とし物が現れると、ぼくの部屋のランプがチカチカと点灯して教えてくれるんです。その合図があったら、ぼくはこの街灯の下にきて、少しお話をさせていただくんです」
「はぁ」
ぼくの話を聞いた彼女は、少し困ったような顔をして小さく肩をすくめる。そして、少し時間を置いた後ポツリと言葉を発した。
「お話と言いましても…」
「難しい話などではないので大丈夫ですよ」
とぼくはにっこりと彼女に微笑みかけた。
ぼくはかなり長い時間この「落とし物屋」の仕事をしている。
最初に担当した「クマのぬいぐるみ」が、泣いて泣いて話ができるようになるまで本当に大変だったことや、その「クマのぬいぐるみ」が最後には嬉しそうな顔をしながら持ち主のもとに帰っていったときのことは、昨日の事のように思い出すことができる。
でもそれが、10年前だったのか、100年以上前のことだったのか。いつの頃だったのかはまったく思い出すことができない。
そもそもこの世界には時間があるのだろうか?と、ぼくはたまに考える。
「失礼かもしれませんが見たところ、アナタはアナタの持ち主にとってものすごく大切な大切な『もの』ですよね?」
「えぇ、そうですね。私がいなくなってしまったら、彼女の人生はかなり変わってしまうでしょうね…」
「そんなアナタを落としてしまったということは…。持ち主の方は命にかかわるようなトンデモナイ事件に巻き込まれてしまったんですか?」
「事件…」
「アナタのような大切なものを落としてしまうだなんて、それ以外考えられません」
「…」
「安心してください。ぼくは『落とし物』が持ち主のもとに帰りたいと強く望むなら、持ち主のもとに送り届けてあげることができます。反対に、持ち主のもとに帰りたくないと強く望むのであれば、今までぼくが出会った『落とし物』たちが集まる場所、例えていうなら『楽園』といった場所に連れていくこともできます。『落とし物』たちの希望を叶えることがぼくの仕事なんです」
「… そうですか …」
「でもアナタは持ち主のもとに帰るのが一番だとぼくは思います。だって、アナタは本来『落とし物として存在しないはずのモノ』ですよね?」
「そうですね…」
ぼくの説明を聞きながら、彼女は少し困った顔のまま俯き続けている。ぼくが今まで出会ってきた落とし物たちとはかなり違う彼女。そもそも、落とし物としてここにいる時点でおかしいんだ。
「もしよかったら『落とし物になった状況』を教えてもらえませんか?」
顔を上げ、ぼくとは目を合わせずに街灯の斜め上あたりをぼんやりと眺めはじめた彼女。しばらくすると、ぼくの顔にゆっくりと視線を移してからこう言った。
「私は『落とし物』ですが、『落とし物』ではありません」
「というと…?」
「私は『彼女』によって捨てられてしまったのです」
「捨てられた?」
「えぇ。『捨てた』ことを知られたくない彼女は、私を『落としてしまった』ことにしました。不可抗力であれば仕方がないと、周りや自分に言い聞かせるために。そしてさも『落とし物』であるかのように私を『捨てて』いったのです」
ぼくは彼女の言った意味がよくわからなくて、しばらく頭をひねって考え込んでしまった。彼女を「落とし物」と偽ってまで捨ててしまいたかった持ち主。
「そうですよね。普通だったら考えられないことです。でも、彼女は『落としてしまった』ものならば、自分のもとに戻ってこなくても誰も責めたりしないことがわかっていたんだと思います」
「それにしても……」
ぼくが言葉に詰まっていると、彼女は寂しそうに微笑んだ。
「普通はそうですよね。でも、ずっと彼女と一緒にいた私には彼女の気持ちが痛いほどわかるんです」
「…でも」
「それにね、私が帰らないことで彼女は悩みや苦しみから完全に開放されるんです。彼女にとって、それはとても素敵な事だと思いませんか?」
返す言葉が見つからないぼくに向かって、彼女は続けてこう言った。
「それにね、私を『わざと』落としてしまった彼女が私を探すと思いますか?」
「… 確かに… そうです ね…。でもぼくは、アナタは彼女のもとに帰るのがいいと思うんです」
持ち主と彼女の関係を考えると、それ以外の答えはぼくには考えられない。
「そうかもしれませんね。でも私が帰ることで、彼女はまた苦しい思いを沢山することになるでしょう。あまりのツラさに耐えられなくなり、死を選んでしまうかもしれません。それがわかっていても『帰った方がいい』とアナタは言うんですか?」
まっすぐな目でぼくを見る彼女は続けてこう言った。
「私はここで消えてしまいたいんです」
ぼくは彼女が帰ることによって「持ち主が死んでしまう」ことになったとしても、彼女は帰った方がいいと思う。彼女が帰らなければ、持ち主は確かに苦しみ、悩み、泣くことは無くなるだろう。でもそれは幸せに見えて、決して幸せな人生であるとは思えない。
そしてぼくは彼女を『楽園』へ連れて行くことはできても消してしまうことは出来ないし、『楽園』に行くことは、その後の彼女にはかなりの苦しみが待ち受けていることは容易に想像がつく。なので、ぼくは彼女に持ち主のもとへと帰ってもらいたい。
彼女が持ち主のところに戻ることで、持ち主には死ぬほどつらい思いをさせることもわかっている。でも、それでも帰って欲しい。それにぼくは知っている。
彼女は持ち主を見捨てることは決して出来ないことを。
だって彼女は持ち主の『やさしさ』だ。
彼女の話からすると、持ち主の女性は彼女を切り捨てることで、自分の心と体を逃げがたい苦しみから守ることにしたんだろう。今持ち主は苦しい思いすべてから解放されているかもしれない。でも、彼女の居ない心では…
「今、持ち主の女性がどういった状態か、アナタにはわかりますか?」
「…」
「わかっているはずですよね?だってアナタは彼女の一部なんですから」
ぼくがゆっくりと問いかけると、彼女はぼくの目をキッとにらみつけると早口でこういった。
「でも、彼女はずっとずっと流していた涙を流していないじゃない!ツライなんてこれっぽっちも感じていないじゃない!彼女はとても幸せなはずよ!」
「確かに涙は流れていないし、ツライと感じていないかもしれませんね。でも、それは彼女にとって『本当の幸せ』なんでしょうか?」
「苦しみが無い人生は幸せ以外なにものでもないわ!」
「本当ですか?持ち主の彼女は幸せそうに見えますか?彼女の周りにいる人の顔をよーく見てみて下さい。憎しみが滲み出ていませんか?そういった表情を向けられている彼女は、本当に幸せですか?」
「やりたいことをやりたいようにやっているんだから幸せでしょう!」
「では、今 ア ナ タ は 幸 せ で す か?
やりたいことをやりたいようにやってみてどうでしょう?周りの事を全く考えることなく行動している時は気持ちがいいかもしれませんね。でも、その幸せは本当の幸せだと思いますか?」
「私は……」
「ぼくにはアナタを消してしまうことはできません。心の一部が消えてしまったら、人は正気ではいられなくなってしまいますから。それにアナタ自身の立場を考えると『楽園』へ行くことは、アナタの苦しみを増すことになると思うんです」
そんな会話をしている間も、彼女の持ち主は良心の呵責に苛まれることなく、自由気ままに好き勝手なことをし続けていることが彼女には手に取るようにわかっていることだろう。
「…私 は…」
しばらくして、彼女が絞り出すように声を出した。
「私はこんな彼女を見ているだけなんて出来ない!こんな幸せは幸せだとは思わない!私の思う幸せはこんなことじゃない!」
「では…?」
「私を持ち主のもとに帰して!多分彼女は私を受け取らないだろうから、無理やりにでも帰らせて!」
「それでいいんですね?」
「ええ、今すぐ。お願いします」
「わかりました」
ぼくは彼女の望み通り、彼女を持ち主に送り返すことにした。
持ち主は彼女が戻った後、彼女と離れていた時間に起こした自分自身の行動が許せなくなり、彼女と共に世界から立ち去ることにしたようだった。
優しすぎるが故に人一倍傷つき、苦しんでいた持ち主を楽にしてあげたかった彼女は、捨てられることも受け入れた。それが『やさしさ』だから。
でも、傷つかないだけでは持ち主は幸せにはなれない。むしろ、涙を流していた時間の方が幸せだったのかもしれない。でも、苦しみは決して幸せとは言えない。
幸せとはなんだろう。
そんなことを考えていると、また、部屋のランプがチカチカ点灯しはじめた。
「次は『普通の落とし物』だといいなぁ…」
ぼくは真っ暗な広い広い空間にぽつんと1つだけ明かりをつけている、あの街灯を目指して部屋を出た。
<おわり>
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