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てのひらのうえで

「なあ聡、今週末これに行かないか?」
 会社の同期のタケがデスクの下でぼくに見せてきたチラシにはこう書いてあった。

”ゴー!パケーション!”

「何これ?バケーションにひっかけてるってこと?」
 思わずぼくは笑ってしまった。

 疫病が流行して以来、自分の体を運ぶ旅行をする人はめっきりと少なくなった。その代わり、人々はネットワークを利用して、意識だけを現地に送り込む方法で旅行することが当たり前となっている。
「でもぼく、パケット交換方式で旅行ってしたことないんだよね…」
 そう言ったぼくを、タケはものすごく珍しいものを見るような顔で下からのぞき込む。
「え?!パケット以外の方法って何?もしかして、回線交換方式しか使ったことないってこと?」
「そうだよ。お母さんがそれ以外は使っちゃダメだっていうから…」
「おまえ、お母さんがダメっていうからって…。もう成人してるのに、お母さんの言う事は絶対ってか?」
 タケはニヤニヤしながら、あからさまにぼくのことを馬鹿にしている。
「そんなこと言ったって…。ぼくだって、そろそろお母さんの監視下から離れたいと思ってるさ。もうお母さんの言う事に従わなくたって、自立して生活だってして行けると思ってる」
「じゃぁ、お母さんの許可なんていらないじゃん」
「そうなんだけどね…」

 お母さんは、ぼくが産まれて時からずっとぼくの全てを管理している。管理範囲はぼくの友達関係にまで及んでいて、ぼくが個人的に連絡を取って遊んでいいのは、お母さんがぼくの友達にふさわしいと認めた人だけ。だから、ぼくの友達は、総理の息子の由岐くんや、大手検索サイトのCEOの娘のリラちゃん、頭取の息子の直くんなど、世間で「成功者」と言われる人の子どもしかいない。ぼくと同世代の彼や彼女達とは、お母さん達のお膳立てによって小さいころからよく一緒に遊んでいた。みんなと遊ぶのはとても楽しかったし、色々と新しい知識や情報について語り合うのは本当に面白かった。
 でも、ぼくは世間でいう「くだらない話」や「生産性のない愚痴」なんかを言い合う友達というものに憧れていた。それはぼくが知らない世界で、お母さんがぼくから遠ざけている世界。お母さんの管理から逃れるためには、ぼくにはそういった世界を知る必要があると思っているし、そういう世界こそぼくが生きている実感を得るのに必要なものだと感じている。

 今話をしている『タケ』は、ぼくが務める会社の同期で、お母さんには一切報告していない。なので、個人的な連絡先については一切教えていないし、仕事の合間にこうやってオフラインでちょこちょこと絆を深めるしかできない。タケはぼくが自分で作った友達であり、ぼくの知らない『世間』を教えてくれる大事な師匠でもある。タケのご両親の話などは聞いたことは無いけど、お母さんが同期の社員について何かを言う事が無かったということは、ぼくの友達にふさわしくないと判断されたということだ。タケと親密になっていることが判明してしまったら、タケはどうなってしまうかわからない。なので、タケとの交流について、ぼくはいつも以上に気を使っている。

「ママがそんなに怖いんだったら、やめとくか?」
 タケのその一言で、ぼくの心は固まった。もうお母さんの庇護下から離れてもいいはずだ。ぼくは大人だ。『ママ』なんて怖くない。
「いや、行くよ」
「よっしゃ、そう来なくっちゃ!予約は俺がしといてやるよ!」

 その週末、ぼくはお母さんには秘密でタケと、このパケット旅行「ゴーパケーション」で一緒に旅行することにした。

 いつもの回線交換方式の旅行では、目的地まで一直線。回線を占有するので割り込みも一切なく、何にも邪魔されずに現地に到着する。例えるなら、貸し切りヘリコプターで家の屋上から目的地までピンポイントで運ばれていく、まったく手間のかからない旅行と言った感じだ。
 しかし、パケット交換方式の旅行では、自分自身の意識がパケットという小さな単位に分割されて、回線の中を泳いでいく。回線を占有するわけではないので、色々な分岐点でバラバラになって思いもよらない場所に行くパケットが出たり、全然知らない人のパケットと中継地点で知りあいになれたりした。ぼくの知っている旅行とは全く違った旅行だった。パケットごとにヘッダー情報がついているので、最終目的地ではぼくの全パーツとちゃんと合流できた。当たり前といえば当たり前なんだけど、そのことにものすごくぼくは感動した。

「な、想像していたのより、全然安全だろ?それにこっちの方が面白かっただろ」
 目的地でタケはぼくに向かってこう言った。それに対してぼくは興奮しながらこう答えた。
「ほんとうに!こんな世界があるだなんて」
「だろ、旅行って言うのは『アレが無い、これが無い、知らない人と知り合える』そんなハプニングが起こるからこそ面白いんだよ」
「ぼくはそんなこと考えたこと無かったよ。タケ、本当にありがとう」

 楽しかった旅行も終わりが近付き帰宅する時間となった。
「さあ、そろそろ帰ろうか」
「うん、ほんとうにありがとう」
パケットに分解されて行きながらぼくがそう言った後、タケがこう言ったような気がした。
「こっちこそありがとうな。これで俺も大金持ちのお坊ちゃまだ。悪いな」と。


 旅行が終わり、ぼくが「ゴーパケーション」専用ゴーグルを外すと、そこはぼくが旅行に出発したぼくの個室では無かった。

 どこだ?ここは

装置を床に置き、椅子から立ち上がって周りを見渡すと、どこかで見たことのあるような倉庫の中にいるようだった。どうしてこんなところにいるんだろう?旅行中にぼくの体を誰かが移動させたんだろうか?
 そんなことを思いながら、部屋をウロウロしていると壁にかかった鏡が目に入った。そこに映るぼくの姿はいつも見慣れたぼくではなく、驚きのあまり体が固まった。

 そう、ぼくはタケになっていたのだ。

 なんだよこれ…。パケットエラー?パケットが運ばれるべき場所に到達せず、まったく違ったところに届いてしまったのか…?ぼくが身に着けている服は、ぼくが見慣れたタケがいつも来ている服。本物のタケはどこにいるのだろう?とりあえず、この場所に居続けても何も解決しない。そう思ったぼくは、部屋の外へ出ることにした。ドアを開けたぼくの目の前には、見慣れたいつもの会社のフロアが広がっていた。
 会社?タケは会社からあの旅行に参加していたのか?

「タケさん、おはようございます」
 ぼくの斜め向かいの席の由紀子さんが、挨拶をしながらぼくの横を通り過ぎて行った。他の人から見ても、ぼくはタケなのか。
 ぼくはタケのデスクに座り、これから先のことを考えた。タケとして生きていくと仮定して、タケについて知っていることをすべて洗い出さなくては…。と思ったところで気付いてしまった。ぼくはタケについて何も知らない。家族構成も、どこに住んでいるのかも。彼女がいるのか、奥さんがいるのか、何かペットを飼っているのか。そんな小さな情報すら知らない。

 そうだ『個人情報番号だ!』そう思いついたぼくはタケのズボンのポケットに入っている財布を急いで取り出した。今の世の中、個人番号さえわかれば、ほぼすべての個人情報が判る。それに、個人番号カードを携帯していないことは、裸で外を歩き回るくらい非常識なこと。タケも財布に個人番号カードを入れているに違いない。
 そう思い、財布を開いてカードを確認したが、カードホルダーには会社の身分証しか入っていなかった。後は現金がほんの少し入っているだけで、電子マネーカードすら入っていない。
「終わった…」
 ぼくはこの先、どうやって生きて行けばいいのだろう。絶望に打ちひしがれているぼくの頭の中に、ふと、タケが最後に言ったあの一言がよぎった。

「これで俺も大金持ちのお坊ちゃまだ。悪いな」

 まさか、タケははじめからぼくと入れ替わるためだけに、あの旅行を提案してきたのではなかろうか。帰り道のパケットエラーも仕組まれたもの。そう考えると、タケの最後の言葉がしっくりとくる。もうぼくはぼくに戻ることは出来ないのだろうか…。入れ替わりが計画的だとするなら、タケは真っ当な人間だとは思えない。これからぼくはどうやって生きて行けばいいのだろう…。

「…さん、タケさん」
 背後からぼくに向かってかけられた声でハッと我に返る。
「タケさん、大至急社長室までくるようにと」
 人事の人見さんが険しい顔をしながら伝言を伝える。
「また何かやらかしたんですか?急いだほうがいいですよ?」
 そう言い残すと、人見さんは人事課のブースの方へ速足で去っていった。
「社長室…」
 ぼくはエレベーターに乗り、社長室のある最上階へと向かった。

 コンコン
「失礼します」
 社長室のドアを開けると、社長は「入りなさい」とひとこと言うと、隣の部屋に続くドアへと足を進める。
「アナタ、わかっていますね?」
 社長が隣室のドアを開けると、そこにはほぼフラットまで倒された革製のリクライニングチェアに拘束され眠っているぼくがいた。
「はい…」
「なぜこういう事態に陥ったのか、理解していますか?」
「はい…お母さん…」
「昔から言っているでしょ?ワタシの言う通りにしないからこういう目に合うのです。ワタシの言う事は正しいんです。よくわかったでしょ?ワタシが口を酸っぱくしてアナタに言い続けることは、アナタのことを思ってのことなのです」
「…」
 ぼくはうつむいたまま、顔を上げることが出来なかった。
「ワタシが気にするのはアナタのことではなく、世間体ばかりだとアナタが思っていることも知っています。でも、そうじゃないんです。ワタシがすることは、すべてアナタの為を思ってなのです。アナタが苦しまないように。間違いが起こらないように。アナタが幸せになるために。わかりましたか?」
「…はい、わかりました。ぼくが間違っていました」

「…よろしい」
小さくため息をひとつつくと、お母さんはぼくの体が横たわっている椅子の隣にある椅子へと座るように促した。
「今から元に戻します。これからはもっとワタシを信じてくださいね」
 ぼくは小さく頷くと、椅子に横たわり、色々なケーブルに繋がれ、ゆっくりと目を閉じた。

 目を開けたぼくの横には、タケが横たわっていた。体を起こした視線の先にはにっこりと微笑むお母さん。
 ぼくは間違っていた。お母さんはぼくを管理したかったのではなく、ぼくの為を思って色々とリスクのある世間からぼくを守り続けてくれていたのだ。今回のことでよくわかった。お母さんのおめがねにかなわない人は、友達になる必要のない人なのだ。お母さんが選ぶものに間違いはない。自分だけでなんとかできると思いあがっていた自分が恥ずかしい。これからは変な疑いを持つことはやめよう。

 だって、お母さんの言う事はすべて正しいのだから。

 心を入れ替え、すっきりとした頭の片隅に小さな疑問が残っていることにぼくは気付いたが、そんなものは今のぼくには必要のない事だと知らないふりをすることにした。


「どうしてタケはこの会社に入ることが出来たんだろう?」


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