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足あとを残してはいけない

砂漠の片隅にあるこの村では、足あとはとても大切なものとして扱われている。

足あとを残しておいてはいけない

昔から言い伝えられているこの言葉を村人たちは守り、そして子供たちへと伝え続けてきていた。しかし、あまりにも長い間伝承されてきたことにより「どうして足跡をのこしてはいけないのか」という理由を知る者は、今は一人もいない。

理由はわからなくなっても、村の住人はこの言い伝えを信じ、守り、次の世代へと伝え続けている。なので、なるべく足あとを付けないように気を付けて生活をしているし、村の中は今でも、足あとが残らないように雑草や芝生が敷き詰められている。

ただ一か所、祠を中心とした小さな砂場を除いては。


ある日、村の中にポツンと存在する砂場に一組の足あとが現れた。

その足あとは普通の足跡とは違い、凹んでいるのではなく盛り上がっているという変わった足あとだった。

「変わったものもあるもんだなあ」

村人たちはその奇妙な足あとを不思議そうに眺めては「不思議だなぁ」「誰が作ったんだ?」「うまいもんだ」などと口々に言い合いながらも、なんだか触れてはいけないようなものの気がして、遠巻きに眺めているだけだった。


次の日、不思議な足あとは盛り上がっている部分が大きくなり、人間の指の形までしっかりと見えるようになっていた。

その姿はまるで砂場が薄い膜でできていて、膜の裏側の世界からその膜を足で押して足形を作っているような。それくらい精巧な人間の足の形だった。

「なんだか気持ち悪いねえ」
「誰かのいたずら?」
「本当に作りモノなの?」

大きくなった足あとを見る村人の顔は、昨日のように好奇心にあふれたものではなくなっていた。


その次の日、あの奇妙な足あとはさらに盛り上がっている部分が大きくなり、くるぶしの辺りまで出来上がっていた。
砂で型を取った足をさかさまにして、ぽつんと砂場の上に置いてあるようにしか見えない足あとは、見る人の心に大きな不安の種を植え付けた。

「一体なんなんだ?」
「いたずらにしてはちょっとやりすぎでしょ」
「犯人は誰?」
「いい加減にしてくれよ」

恐怖を怒りへと変えた村人たちは、口々に誰かを責め、責められたことに怒り、広場の空気はなにか小さなきっかけがひとつでもあれば、大きな暴動に発展するような熱気に包まれる。

その時、足あとを見ていた子供がこう言った。

「これ、パシェさんの足じゃない?」

「パシェ?」
「ん?」
「そう言われればそんな気もするけど…」
子供の周りにいた大人たちも一緒になって足あとをじっくりと眺めはじめる。

「だって、パシェさんの右足のくるぶしの下には大きな傷跡があるでしょ?そこと同じところにほら。傷みたいなのがついてるでしょ?」

子供が指さした「右足」の足あとのくるぶしの下には、傷跡のようなひび割れがしっかりとついていた。

「パシェの足にそんなのついていたっけねぇ?」
「誰か知ってる?」
「ていうか、パシェいるか?」

そう言い合いながら、村人たちはお互いに顔を見合わせ集まっている人の中からパシェを探そうとしたが、見当たらない。
「家に行ったらいるんじゃないか?」

誰かの提案で、みんなでパシェの家までぞろぞろと歩いていく。パシェの家の前までくると、先頭の村人がドアを開けた。

「パシェ、いるか?」

家の中には洋服や酒瓶などが散乱しており、何者かに荒らされたかのようなひどい有様だったが村人たちは少しも驚きはしなかった。

なぜならパシェは「村一番の厄介者」であり、ルールも何も守らない男だ。なので家の中が普通の家のように整っていなくても、これがパシェにとってごくありふれた日常の風景だとわかっていたから。

「うわ、こりゃひでぇな」
「くっせ」
「パシェ、ちょっとは片付けろよな…」

文句を言いながら、パシェの家の寝室のドアを開けると、そこにはパシェがぐうぐうとイビキをかき苦しそうな顔をして眠っていた。

「おい、起きろよ!」
「お前ずっと寝てんのか?」

大きな声をかけ、体をいくらゆすってもパシェは目を覚まさなかった。その後、乱暴に手足を叩いても、ベッドから転げ落としてみても、その体を持ち上げてみてもパシェは目を覚まさない。

「ちょっとおかしいんじゃないか?」

パシェを起こそうと色々なことを試したあと、ハァハァと息を荒げながら村人たちが難しそうな顔をして言った。

「そういえば、パシェの足に傷、本当にあるのか?」

ふと思い出した村人が、すっかりと忘れていた足の傷を探してみると、広場の足あとにあったひび割れと同じ場所に同じ形の傷跡が確かに存在していた。

「パシェが起きないのとあの足あと、何か関係があるのか?」
「わからん…」
「パシェの足が無くなったわけではないし…」


訳も分からないまま、広場に戻った村人たちは、この足あとがパシェの足とそっくりであること、パシェが全く目を覚まさないこと、この二つに何か関係があるのかないのか、そんなことを夜通し話し合うことにした。

夜が明けようかというその時、パシェの足あとをぼんやりと眺めていた村人の一人が「あっ!」と大きな声を上げた。残りの村人たちが一斉に足あとに目をやると、足あとはふるふると震えているかのように見えた。

「震えてる?」

誰かのつぶやきに呼応するかのように、パシェの足あとの震えはだんだんと大きな震えになり、ぐらぐらと揺れるようになったその時、下からにょきにょきと大きく成長を始めた。足首までだったそれは、だんだんと膨らみを付け、ふくらはぎを形成した後そこからは少しだけ細くなり、ひざを形成しようかとしている。

その時、村人の一人が足あとに駆け寄ると、手に持っていた棒で勢いよく足跡に殴りかかった。

「なんだよこれ!なんなんだよ!!」

棒で薙ぎ払われた足あとは、大小の砂の塊となり周りにちらばった。

「こんちくしょう!なんだよこれ!気持ち悪い!なんなんだよ!」

散らばった塊が砂粒に変わるまで男は足あとを叩き続ける。広場に集まっていた村人たちも次々と足あとに近寄ると叩きはじめる。最後はその場に居た全員が熱病に浮かされたような虚ろな目をしながら、足あとの痕跡が残らないくらい粉々に塊を潰し続けた。


日が昇る頃には完全にパシェの足跡は無くなっていた。

「足あとは無くなったけど、パシェは大丈夫なんだろうか」

ふと我に返った村人たちは、大急ぎでパシェの家に向かう。

「パシェ!大丈夫か!?」
昨日パシェが寝ていた寝室にどかどかと押し入ると、そこにはベッドに体を起こして座っているパシェがいた。

「目が覚めたか!」
「大丈夫か!」
「よかったよかった」

口々に声をかけてくる村人たちの顔を見ながら、パシェは少しだけ難しい顔をしながら、自分の足元の布団をめくり上げる。すると、そこにあるはずの「ひざから下」がすっかりと、綺麗さっぱり消え失せていたのだった。

「お前…足は?」

そう問いかけた村人に、パシェはこう答えた。

「さっきお前たちが消し去ってきただろ?」
「消し去るって…あれは”足あと”だろ…」
「俺は夢の中で全部見ていたんだよ。昨日の夜からはずっと、夢の中でお前たちと一緒に広場にいたさ。誰が何をしゃべっていたかも全部知っている」
「?!」

驚きのあまり何も言えない村人たちに向かって、パシェはこう続けた。

「なんで俺がこんなふうになったかって教えてやろうか?」

「…足を無くした俺たちを恨んでいないのか?」

何とか言葉を吐きだした村人にパシェは言った。

「恨む?まぁ、恨んでないといえばウソになるが、命を助けてもらったと思えば足なんて安いもんだろ。それに俺は、誰も知らなかったこの村の言い伝えの真実が判ってご機嫌なんだよ。だから教えてやるよ」

子供のように無邪気な笑みをたたえながら、パシェは得意げに語った。

「足あとを残しておいてはいけない
あれは、本当のことだったんだよ。俺はあの広場に足あとが出来る前の日の朝に、俺の家の前の草を抜いて土をならし、右の足で足あとを付けたんだ。何もなきゃもう誰も足跡を残すのに怯えることは無くなるだろ?で、あの日足あとが産まれた時から俺は目が覚めなくなっちまった。いや、ちょっと違うな。この世界の肉体は目覚めてはいないけど、精神はいつも通り目覚めてずっと活動をしていたんだ。村を歩き回って、広場にもいた。話しかけてもみんな俺の言葉は聞こえないし、殴ってもすり抜けて痛くもかゆくも無かったみたいだけどな」

「どういうことだ?」

「だから、この村に足あとを残しておくと、俺みたいに広場に足形が出来てそこから徐々に体が作られていくってことだ。その間、足あとを残した人間はずっと眠っているように見える。中身は普通に生活しているんだがな」

「完成してしまったらどうなるんだ?」

「それは俺にもわからん。でも、足を壊したら足が無くなっちまったってことは、体が出来てから壊れてしまったら……なぁ?」

村人たちは顔を見合わせて身震いした。

「あの言い伝えには、そんな真実が隠されていたんだな…」
「神も仏もあるってことか…」
「パシェ、よく教えてくれたな。ありがとう」
「いいってことよ!じゃぁ、今日は俺の功績をたたえて一晩飲み明かそうぜ?もちろん、お前たちのおごりでな!」
「現金な奴だ。でもまぁ、それもそうだな。村の秘密を解き明かしたパシェ様の話をみんなで聞こうじゃないか!」
「何なら村人全員、俺の家の周りでお祭り騒ぎと行こうぜ!なぁ!」

パシェの威勢のいい提案を受け、村人たちはその日はパシェの家の周りに集まり、一晩中飲めや歌えの大騒ぎ。パシェを囲んで年に一度のお祭り以上の大騒ぎをしながら朝を迎えようとしていた。


広場に自分たちの足あとが残っていることなんてすっかり忘れて。


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