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パイロットになれない絶対の基準

今日はパイロットを目指す人に向けて、『パイロットになれない絶対の基準』についてお話したいと思います。

と言うとちょっと怖いと思うかもしれませんが、パイロットの世界では割とよく聞く話でもあるんですよ。

パイロット候補生として採用面接を受ける時とかもそうだし、パイロット訓練生として採用されても、その後訓練で要所要所でチェック、試験があってそれに全て合格しないとパイロットとしてエアラインの飛行機の操縦桿を握ることはできません。

ちょっと想像してみてください。

自分がパイロット訓練生を試験する試験官だったり、教育していく教官だったり、採用面接をする面接官でもいいです。その人を合格にできない絶対の基準ってなんだと思いますか?

それは『自分の家族をこの人の操縦する飛行機に乗せられるかどうか』なんですよ。

『へぇ。』『まあ、そうだよなー。』って感じだと思うんですけど、これがなかなか真理をついて深い言葉なんですよ。

『自分の家族をこの人の操縦する飛行機に乗せられるか』

これは訓練に行き詰まってしまった訓練生に、担当教官や会社の担当者が訓練を続けさせるか、訓練フェイルとさせるかを決断しなければならない時の一番下の基準、絶対の足切りの基準になると言われています。

またチェックでも試験官が合格とするか不合格とするかの判断に迷った時、この基準で判断する人も多いです。優しい試験官や厳しい試験官もいますが、一番優しい試験官でもこの基準をクリアーしなければ合格をくれません。

航空の安全を担う者として、自分の家族をその人が操縦する飛行機に乗せられない人をパイロットにしてはならないんですよ。
みんな厳しいことを言いたくないし、人を絶望に突き落とすようなことは誰もしたくありませんが、これだけは守らなければなりません。

これって『自分の家族』っていうのが肝で、例えば訓練教官だったら訓練生とずっと一緒に訓練してきたわけだし、その訓練生が一生懸命勉強してきていることも知っているだろうし、情が入っちゃうじゃないですか。

担当教官にとってはかわいい教え子だし、チェッカーにとっても未来ある若者の夢を摘み取ってしまうのは嫌です。だからその訓練生がパイロットとして必要な能力を持っていなかったとしても、自分は乗ってあげられるよ。って考えることはあるかもしれません。

でも、それが自分の家族ならちょっと基準が変わりますよね。危険なフライトに自分は情もあって付き合ってあげられるかもしれないけど、何も関係ない自分の子供や親を乗せることができるかどうか。
自分の子供を、安心してこの人の操縦する飛行機に乗せられるかどうか。

ここを考えることで、客観的に『この人を本当にパイロットにしていいのか』ってことが考えられるんですよね。自分の家族をその飛行機に乗せられない人には、お客さんも乗せちゃいけないんですよ。

だから根も真面目で一生懸命勉強しているけど、いざフライトになるとパニックになってしまってとんでもないことをしてしまう人はエアラインのパイロットにはなれないし、めちゃくちゃ優秀な人でも、その能力を過信してルールを守らなかったり、やってはいけないギリギリを攻めたりして、側から見ていてハラハラするような人もダメです。

また話は変わりますが、たまに自社養成パイロットの試験の面接で、ギャグをぶっこんでくる人もいるらしいです。これはどうですかね?

そういう人もパイロットには向いていないのかなと思います。営業職とかでは『面白くていいじゃん』となるかもしれないですけど、パイロットはそういう仕事じゃありません。

真面目にやらないといけないところでふざけてしまう人は、奇抜さを狙っているだけだったとしてもやっぱりダメです。
どんなに能力がある人だとしてもその人が操縦する飛行機にお客さんや家族を乗せたくありません。

だから性格、能力ともに『この人の操縦する飛行機に家族を乗せられるか』これがパイロットとしての最低限の基準になるんですよ。

逆に言うと、そんなに頭がいい人じゃなくても、素晴らしく操縦の腕がいい人じゃなくても、慎重でちゃんとルールを守る。危ないことは絶対にしない。ちゃんと自分で反省して成長していける。という安心感のある人であればそこはクリアーできるんですよ。

今日はここまでです。短いですがパイロットになれない絶対の基準について説明しました。
パイロットを目指している人はちょっと自分を振り返って、考えてみてください。

それではまた次回!読んでくれてありがとうございました!

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