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【荒井大輔】2019.11.10ツールドおきなわ 140km オープン40位

はじめてツールドおきなわに参戦した。
飛行機輪行も初めてだったので最初は不安しかなかったが、無事トラブルもなく終えることができた。
結論として思っていたよりも楽しい遠征であったように思う。
おきなわをシーズンの最大の目標にしているのはRXはもちろん他の選手でも多いのは認識していたが、なるほど確かにこれは目標になるなという印象を抱いた。

レース前
まず初めて走るコースなので徹底的にコースプロフィールを頭に叩き込むことを行った。
youtubeでオンボード映像を見たり、ルートラボで勝負所の地形やkm数を覚えたり。
「荒井君走ったことあるでしょ?」と言われるくらいには覚えていた。
やはり登りなどであとどれくらいあるか、わかっているのとそうでないのでは大きな違いだと思うので。

自分は他のチーム員と共に金曜日に沖縄入りした。
初めてだが経験豊富な仲間がいるのはとても心強い。
宿なども全部お任せして取って頂いて、そういった生活面での心配が無かったのはレースに臨むにあたって大きかったと思う。
金曜は那覇のドミトリーで宿泊。

土曜日は朝から名護に向かう。
140kmクラススタート地点であるゆいゆい国頭に車を停め、普久川ダムを試走。
映像で何回も見た場所である。
ああ、ついにおきなわにやってきたなあと感無量。
遅くないペースで登ったが、レース時はこれと同等or以上のペースで登るそうで、震える。
レース時の集団によるドラフティングやアドレナリンに期待するしかない。
その後はゆいゆい国頭に戻って車で普久川ダムを登り、学校坂~羽地ダムまで道路の下見。
映像で見てきたので既視感はあるが、やはりというべきかとんでもないアップダウンである。
羽地ダムなどはクルマであるが近づくだけで心拍数が上がる。
川上交差点を左折するときやイオン坂を走っているときは果たしてどんな感情を抱いているだろうかと思いをはせる。
明日は頑張らなくては。
その後名護の会場で受付を済ませ、チームで記念撮影などしたりして夜はスタート地点近くのエアビーで宿泊。

レース当日
スタート地点までは自走で移動。
チーム員と普久川ダムふもとあたりまで試走を行う。
自分はシード権が無いので後ろから追い上げることになるが、ここ(トンネル二つ目)までに前にいた方がいいなど、もろもろを確認。
その後はスタート時間まで作戦会議を行ったり。
松尾さんが司令塔になるので、自分は常に松尾さんの傍にいるようにして、指示があればその通りに動いたり、レース展開の共有を行えればと考えていた。
ここで気づいたがそこまで緊張はなかった。
初めてだし、気張りすぎてもしょうがないと気楽に考えていたのが良かったのだろう。
ちなみに自分の目標としては、個人の成績というよりはチームに何かしら貢献して存在感を出すことにあった。
最後まで残れたらいいが、例年よりメンツが濃いと聞いていて多分難しいだろうなと考えていたので。
なんとなく集団にいて何もしないで消えるよりはよっぽどアシストとして貢献できた方が達成感もある。
それもあり、無理になったらそれはそれで自分のレースは終わりと割り切って臨んだ。

レーススタート
ほぼ最後尾からスタート。
松尾さんもシードが無いので前に上がるのにくっつくつもりでいたが、すぐにはぐれる。
しかしながら多少脚は使ったものの登り口までに難なく先頭付近まで出ることに成功。

そして早速の普久川ダムの登り。
ペースが速い!
ちぎれるほどではないが、初っ端からこんな速いんかとびっくり。
これはいつ脱落になるかわからないぞ、その前に何かしら仕事をしなくてはと覚悟を決める。
下り始めで後ろにいると中切れなどで不利と聞いていたのでしっかり前方でクリアし、下りに入る。
気持ちよく自分のペースで飛ばしていたら後ろが少し離れたりして、
お、下りでは自分にアドバンテージあるなと確認できた。

その後の奥の登り。
ここは勝負どころではないのかあまり言及されることがないが、ここもペースはやくきつかった。
このあたりでチームのクニさんから集団速くてきついねと会話をする。
なんてことの無い会話だがまあまあの安心感を得る。
ここで、いやいやまだまだ遅い方だよと言われていたら心が折れていたに違いない。
自分はそんな状況だが、チーム員全員がずっと先頭付近に位置どることはできていて、逃げの状況(1分ちょい差くらい)も把握できていて何人かでローテ回したりしていた。
脚はつらいが頭は冷静さを保てていた。

そしてやってきた2回目の普久川ダムの登り。
ここを乗り越えればレース距離は半分を消化したことになる。
学校坂からが本当のレーススタートと聞いていたので何とかして生き残りたい。
1回目よりはほんの少し遅い気がしたが、既に疲れがたまっていたのでかなりきつい。
登り始めに少しだけ先頭を引く瞬間があったが、このまま皆後ろでおとなしくしてほしいと思ったり。
幸いペースの上げ下げはそこまでなく淡々と進む。
雑賀選手が、ヒルクライマー!仕事しないのかい!的なことを言っていたが、集団のペースがぶちあがるのだけは勘弁してほしいと怯える。
まだ千切れてはならんと順位を下げながらもなんとか気合で耐えた。
その後は下りで順位を上げつつ補給をもらい(初めて!)また少し登るが、このちょい登りがまたきつい。
力で押し切れるくらいの距離なのだが、登坂後で疲労マックスなので歯を食いしばって登る。
学校坂のふもとまでには下りを利用して再度先頭に出れた。

学校坂も先頭で登り始める。
さあ勝負どころである。
きつい区間は6,7分と覚えていたのでその時間をひたすら耐えるのみなのだが、少しずつ順位を下げていく。
登坂直後、目の前でクニさんがチェーン落ちをしていて、まじかーと思うも、またすぐに苦しみに耐えるべく目の前の坂に集中。
もう一切最後まで残るとか考えず、目の前の苦しみを全力で乗り越えることに集中。
もう無理かなと思ったがなんとか遅れずに登りきれた。
明らかに登り後の平地で安息の時間があるので皆もギリギリなのだろうと信じるしかなかった。

学校坂以降はアップダウンが連続するわけだが、体はもう瀕死で、毎回の上り坂で千切れそうになる。
松尾さんの指示で逃げを捕まえるために平地&下りでローテ回したりしたが、これも相当きつい。
今思い出すとあれだけきつかったのによくずっと先頭付近をキープできたなと思う。
おそらく10月の乗り込みとツールドおきなわというレースであるがために耐えれたのだと思う。
頭に入れていた慶佐次の2本の坂も耐えたが、羽地手前の有銘の坂で一人がアタックし、永瀬さんがぐいぐいダンシングで追っていって集団も皆ペース上げているが、自分はついていけない。
30人くらいいたと思うが、そんなに残れるのなら自分も行けるはず!とあきらめないで踏み続ける。
この千切れかけてる瞬間が自分史上一番きつかった。
結構差が開いてああ終わってしまったかなと思ったが、すぐ下りに入ったのでもしや追いつくか?とまだあきらめない。
全力で攻め込んで下り始めようとしたら、前で車が止まっている。
めっちゃ邪魔!と脇をすり抜けようとしたら落車が起きていて結構な人数が地面に投げ出されていた。
すぐに見慣れたジャージも目に入る。
チーム員の永瀬さんとエースのキクさんもその中にいた。
「キク大丈夫かー!」永瀬さんが叫んでいた。
キクさんは相当傷だらけだった。
もう自分の順位は追わないでいいと思ったので二人にかけよるが、ボトルを渡すくらいしかできることもなく。
2人ともなんとか走れはするようでとりあえず自分も側を走る。
永瀬さんもキクさんも相当練習はされていたので、自身のためにも満足いく結果を残してほしいところだったがそれが未達に終わってしまうのかと。。
かける言葉が思いつかなかった。

ここからは無理せずゴールを目指すのみだが、それでもずっときつい。
複数人の集団が追い付いてきたのでそこで皆でゴールを目指す。
羽地の登りは初めて登ったが、これをかかっている状態で登るのは想像ができないと思った。
観客が大勢いるゾーンは特に勾配がきつく、瀕死になりながら登るもロッポンギがんばれ!の声には少し元気を頂いた。
210kmの人もいたが、140km組はSBC、イナーメ、湾岸の方がいてなかなか主要どころのチームが集まってるなと無駄なこと考えたり。
皆でゴールまで回して最後スプリントしてフィニッシュした。

まとめ
はじめてのおきなわの印象は、ただただきつかった。
きついにつきる。
特に今年はレベルが上がっていると信じたい。
ただ、すごいメンツがそろっていた割にはチームとして前でちゃんと動けていたのは良かったと思う。
主観的にはアタックに反応したりみたいな動きをしていなかったので、チームに貢献できたか不安だったが、松尾さんに荒井君良く動けてたと言っていただいたので安堵した。
もちろんキクさんが落車したのは残念過ぎる。
おそらく永瀬さんタカミ―さんキクさんは最後まで残れていたので、その三人でゴールまでいけば絶対スプリントでは負けていなかっただろう。
来年はもっと自分の力をつけて立ち回れるようにしたい。
おきなわは、踏ん張る→休憩の繰り返しのように感じたので、長めのインターバルをやっていこうと思う。
あと、筋肉で登る坂が非常に多いので(松尾さんが言っていたことだが)筋持久力をつけようと思う。
おきなわ。確かに目標にしたくなる。来年に向けて頑張ろう。

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