【ギリ全文】どこよりも早い、イチロー選手の引退記者会見を鬼速タイピングでまとめてみたよ
自分の紹介とこんなことをしている経緯
こんな時間にこんばんは。株式会社INFINITY AGENTSで社長をやっている新井勇作です。DUAL WORKerとしてコンサルタントと福業フォトグラファーの2足の草鞋を履いてます。フォトグラファーとしてもきちんとした写真を撮れるので、ご依頼お待ちしております!! → https://onephoto.jp/
そんな僕の特技の一つが、人が話すのとほぼ同じスピードでできる鬼速いタイピングスキルを利用して、クライアントのMTGの要旨をまとめて、会議終了と同時に整理された議事録にし、各人のアクションアイテムを整理したりすることなのですが、折角なので歴史的な今日の「イチロー選手の記者会見」をテレビを見ながらまとめて見ました。(この裏側では、明日の朝に提出しなければならない、某大手企業の社長スピーチのシナリオ2本を書いています。)
あくまでも、これは自分がイチロー選手が好きなので、ただ聞くよりも記憶に留めるために記録するものです。だから、途中、聞き取れなかったり、勝手に脳内補完している部分もあるのですが、実用には耐えると思いますし、タイミング悪く見られなかった方の参考になれば。という位置付けです。動画を見返したりもしていないので、精度80%程度でお考えください。
以下、記者会見タイピング
ーーー司会、まずはイチロー選手よりご挨拶がございます。
こんなに(多くの記者の人がこんな時間に)いるの。びっくりするわ。
遅い時間にお集まりいただきありがとうございます。
今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符をうち引退することになりました。
最後にこのユニフォームを着て、この日を迎えられたこととても幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので、ここでまた一つ一つ振り返るのは難しいことなので、ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして球団関係者、チームメイトに感謝を申し上げて皆様からの質問があれば、できる限りお答えしたいと思っています。
質疑応答
ーーーテレビ朝日、くさなぎ記者。現役としての選手生活に終止符を打つタイミング。そしてその理由を。
タイミングは、、、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね、、、何日前とはっきりお伝えできないのですけれど、キャンプの終盤に入ったときです。
もともと、日本でプレーする、今回東京ドームでプレーすることが契約上の予定ではあったのですが、キャンプ終盤で結果を出すことができず、それを覆すことができなかったということですね。
ーーーその決断に後悔は?
今日のあの球場での出来事、、、あんなもの見せられたら、後悔などあろうはずがありません。
まぁもちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために
自分なりに重ねて来たこと、人よりも頑張ったなんてとても言えないですけど、自分なりに重ねて来たことは言えるので、これを重ねて来て、かさねることでしか後悔をうまないということはできないのではないか、と思います。
ーーーTBS井上たかひろ。テレビを通じて子供が多く見ている。子供へのメッセージを。
シンプルだな。メッセージか、、、僕が苦手なんだな。
野球だけでなくてもいいんですよね。自分が夢中になれるもの熱中できるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけて欲しいと思います。それが見つかれば、自分の前に見つかる壁も、壁にも向かっていけると思います。それが見つからなければ、いろんなものにトライして。
自分に向くか向かないか、ではなく熱中できるものを見つけてほしい。
ーーーこのシーンが印象に残っているものは?
今日を除いてですよね。この後時間がたったら、今日のことが浮かぶのは間違いない。ただ、それを覗くとすれば色々な記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものは大したことではない。それを目指してやってきたんですけど、いずれそれは僕ら後輩が先輩たちの記録を抜いて行くのはしなくてはいけないということではあるんですけど、そのことにそれほどの多くの意味はない。
その点で10年200本続けてきたこと、オールスターでどうたらとかは本当に小さなことにすぎない。
今日のこの、あの舞台を、あの舞台に立てたこととは去年の5月以降、ゲームに出られないということになって、それでもチームと一緒に練習をつづけてきたのですが、それを最後までできなければ、あの舞台に立てなかった。
今日までの記録はいずれ誰かが抜いていくものだあとおもうのですが、去年5月からの今日までの日々は他の誰にもできない。それはささやかな誇り。
近い記憶ですが、どの記憶よりも自分の中ではほんの少しだけ誇りを持てたこと。だと思います。
ーーーテレビ東京、すみ。どんなチームでもどんな状況でも応援してくれたファンの存在。
ゲーム後にこんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、実際にそれがおきて、19年目のシーズンをここで、なかなか日本のファンの方の熱量を感じることは難しい。久しぶりに東京ドームにきて、ゲームは静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として日本の方っていうのは表現することが苦手、っていう印象があったのですがそれは完全に覆りましたね。それを表現した時の迫力というのはとても想像できなかった。
これはもっとも特別な瞬間になりますけど、あるときは自分のためにプレーすることが、チームのためにもなるし、見てくれている人のためにもなると思っていた。でも、NYに行った頃から人に喜んでいただけることが僕の喜びになった。ファンの人の存在がなければ自分のエネルギーは全く生まれなかった。おかしなこと言ってます?
ーーーサンスポ。イチロー選手が貫いたもの、貫けたもの。
野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます?大丈夫??笑
ーーーグリフィーJRが肩の力を下ろしたときに、違う野球が楽しめると言っていたが、、、
プロ野球生活の中でですか?それはないですね。子供の頃からプロ野球選手になるのが夢で、それが叶って。最初の2年18-19歳の頃は。行ったり来たりっておかしい?言ったり行かなかったり?行ったり来たりっていつもいる、みたいな感じだね。どういう風に言ったらいいんだろう。1軍に行ったり、2軍に行ったりしている中でやっている野球も楽しかった。93年仰木監督と出会って、レギュラーになって。この年まででしたね。その頃までは楽しかった。
その頃から番付上げられちゃって。一気に。それはしんどかった。
力以上の評価をされるのはとても苦しいんですよね。純粋にたのしいなんてことは、やりがいがあって、達成感を味わう事、満足感を味わうこと、たくさんありました。(でも、)楽しいか?っていうと、それとは違うんですよ。ただ、そういう時間を過ごしてきて、将来はそういう野球をやりたいな。と思った。
皮肉なもので、プロ野球選手になる夢が叶ってから、そうでない野球をまた夢見ている自分がある時から存在していた。ただこれは、中途半端にプロ野球生活をした人には待っていないもの。
草野球に対して、プロ野球に対してある程度苦しんでいないと草野球を楽しめない。のではないか?と思っているので、これからは、そういう野球をやってみたい。なという風に思いますね。おかしなこと言ってます?大丈夫?
ーーー日テレ、徳島えりかアナ。お疲れ様でした。この開幕シリーズを大きなギフトとおっしゃっていました。私たちが大きなギフトをもらったような気持ち。
そんなアナウンサーっぽいこと言わないでくださいよ。
ーーーこれからどんなギフトをくださるのでしょうか?
ないですよ。そんなの。笑
そんな無茶言わないでくださいよ。でも、これ本当に大きなギフトで。
去年の3月頭にマリナーズからオファーをいただいて、からの今日までの流れがあるんですけど、あそこで終わっていても全然おかしくなかった。
去年の3月に終わっていてもという状況があっても全くおかしくなかった。
それからここまでの状況が信じられないですよ。
本当に信じられないですよ!
国内でアメリカでプレーするために、神戸の球場で練習しているんですけど、その時期は本当に寒くて、、、凹むんですよ。心が折れるんですよ。そんな時も仲間に支えられて練習するんですよ。自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場でひっそりと終わるのかな?と想像していたんだけど、
夢みたいなものですよ。考えていたのだけど、それが、、、
これが僕にとっての大きなギフトですよ。だから僕からのギフトなんてないですよ。
ーーー涙なく野球をされていたのは開幕シリーズが楽しかったのでしょうか?
純粋に楽しいという事ではないんですよね。
やっぱり誰かの思いを背負おうということは、それなりに思いことなので。
そうやって一打席一打席たつという事は簡単ではないので、通過れました。
大変でした。疲れました。
やっぱり一本ヒットを打ちたかったし。応えたい、って気持ちがありましたし。僕に感情がないという風に思われるかもしれませんが、そんな事ないんですよ。結果を残して、最後を迎えられたら一番いいな、とおもっていたんですが、それでもあんな風に球場に残ってくれて、、、、。
まぁ、そうしないですけど「死んでもいい」という気持ちはこういうことなんだ。と。死なないですけど。そういう表現をする時っていうのはこういう時なんだ。と。
ーーーありがとうございます。
ーーー朝日新聞、山下記者。最低50歳までは現役とおっしゃっていましたが、もう一度日本のプロ野球に戻ってプレーするという選択肢はなかった?
なかったです。
ーーーどうしてでしょう?
それはここでは言えないなぁ。
本当に50歳までって思っていたし、、、
有言不実行のおとこになってしまあったのですが、でもその表現にしてこなかったらここまでこれなかった。言葉にすること。難しいかもしれないけれど、言葉にすることが目標に近づく一つの方法ではないかな?という風に思います。
ーーー共同通信、小西記者。これまで膨大な時間を野球に費やしてきたと思うのですが、その膨大な時間とどう向き合いますか?
それともこれからの時間のこと?それともこれまでの膨大な時間と向き合うということですか?これからの時間ということね。今はわからないですね。わからないけど、明日も多分トレーニングはしている。
僕じっとしていられないから、それは動き回ってるでしょうね。ゆっくりしたいとか全然ない。動き回ってる。
ーーーフジ、生野アナ。日本人としてメジャーリーガーのイチローを誇りに思っている。生き様で伝わっていると嬉しい事はありますか?
生き様というのは僕にはよくわからない。生き方、という風に考えれば、
先ほどもお話ししましたけれども、人よりも頑張ることなんてとてもできないんですよね。あくまでも、秤は自分の中にある。
自分の秤を使いながら、自分の限界を超えていく。それを続けると、いつの日かこんな自分になっているんだ。っていう状態になって。だから、少しずつの積み重ねが、、、それでしか自分を超えて行けないと思うんですよね。
一気に、一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とやっぱりGAPがありすぎて、それは続けられない。と僕は考えているので。地道に進むしかない。地道にというか、進むしかない、後退しながら、ある時は後退しかしない時もあルと思うので、自分がやると決めたことを信じでやっていく。でも、それが正解とは限らない。それが正解とは限らない。間違ったものを続けていることもある。でも、そうやって遠回りしないと、本当の自分に出会えないとおもっているので、、、。
自分なりに重ねてきたことを、今日の言動も、ファンの方の、、、お気持ちですよね。
それを見たときにひょっとしたらそんなところを見て、いただいていたのかな?と思っています。そうだとしたら嬉しいです。そうでなくても嬉しいです。あれは。笑
ーーー日刊スポーツ、高原記者。シンプルな質問です。現役選手の目から、この世界で監督になったり、指導者になったり、あるいは全く違うタレント、、、、(ごにょごにょして聞き取れず)
あんまりシンプルじゃないですね。爆笑。
ーーーイチロー選手は何になるのですか?
何になるんだろうね?そもそもさ、カタカナのイチローってどうなんですかね。カタカナの元イチローとかになるんですかね?どうなるんだろうね。いや、イチローだしね、僕ね、書く時どうなるんだろうね。
どうしよっかな。何になる、、、、
監督は絶対無理ですよ。これは、絶対がつきますよ。(僕には)人望がない。本当に。
人望がないんですよ、僕。
ーーーそうでもないと思いますよ。
いやー、無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。
ただ、どうでしょうね。プロの世界というよりも、アマチュアとプロの壁が日本の場合特殊な形で存在しているので、今日をもって、、、どうなんでうかね。今日をもって、、、、どうなんだおろうか?今までややこしいじゃないですか。
極端に言えば、自分に子供がいたとして、高校生であるとすると、教えられなかったりっていうルールですよね?違います?あってますよね。そういうのって変な感じじゃないですか?
だから、今日をもって元イチローになるので、それは小さな子供なのか、中学生なのか、高校生、あ、大学生なのかわからないですけど、
そこには興味がありますね。
ーーーTBSビビット、ジョージ記者。先ほど引退を決めた時期、キャンプの終盤というお話。そこに至る以前にも引退の2文字がご自身の頭をよぎったり悩んだのは。
引退というよりクビになるのはいつもありました。NYに行ってから。毎日そんな感じです。まぁNYもマイアミもそんな感じです。
NYは皆さんご存知かもしれませんが、NYは特殊な場所です。マイアミも特殊な婆書です。毎日そんなメンタリティで出場していた。クビになることを考えていた。まさにそのときだろう。と思っていました。しょっちゅうでした。
ーーー今回、引退を決意された理由とは?
マリナーズ以外に行く気持ちはなかった。ということは大きいです。
去年、シアトルに戻していただいて、本当に嬉しかったし、先ほどキャンプ前でのオファーがある前の話をしましたけど、そのあと5月にゲームに出られなくなる。あの時もそのタイミングだった。おかしくない。でも、まだ春に向けて可能性があると伝えられていたのでそこも自分なりに続けてこられたんですけど。質問なんでしたっけ?
ーーー今回、引退を決めた理由。
ああ、もう答えちゃったね。笑
ーーー今日の8回で菊池雄星選手が号泣されていて、
号泣中の号泣でしたよ。それ見てこっちはわらけてきましたけどね。
ーーーどんな会話を交わされたのですか?
それはプライベートなんで。遊星が伝えるのは構わないですけど、
秘密。そりゃああそうでしょう。しかもあれは僕から声をかけた場面で。
それをいうような人間は絶対に信頼されないですもんね。バカですもん。
それはダメです。
ーーー共同通信、アレン記者。9年プレーした日本のための日本のファンへの特別な日。アメリカのファンにメッセージを伝えたいのですが。
(アメリカでプレーしたの)19年ですよ。アメリカのファンの方々は最初はまぁ厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは日本に帰れってまぁありましたよ。そのああとの結果を残したああとの評価については、手のひらを返すとも言えますけれど、ただその、言葉ではなく行動で示したときの敬意の示し方は、その迫力はあるな、という印象ですよね。
なかなか(輪に)入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらえたあとはがっちり関係が出来上がる。シアトルのファンとはそれが、できたような、僕の勝手な印象ですけど、(それができた)。
で、まぁNYってのは厳しいところでしたね。でも、やれば、それこそどこんのエリアよりも熱い印象で。マイアミってのは、ラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけど、でも結果を残さなかったら絶対に人はきてくれない。そんな場所でした。
それぞれの場所に特色がありましたし、それぞれの場所で関係が築けた。
アメリカは広いな。ファンの人たちの特徴を見るだけで、アメリカはすごく広いなという印象ですけど。まぁ、やっぱり、最後にシアトルのユニフォームをきて、セイフィコフィールドではなくなってしまいましたけど、姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります。
ーーーバズフィード、吉川記者。先ほどNY行ってから、マイアミに行ってから、クビになるんじゃないか?ということを意識されているという話がありました。きているTシャツがユニーク。心情を表していた?アピールとかあるんでしょうか?好きできていた?
そこは、言うと急に野暮ったくなるから。それは言わない方がいいんだよね。それは見る側の解釈だから。だってそういうものでしょ。
粋って自分では言えないけど、言うと無粋であるうことは間違いない。
ーーー(質問者不明)24時間野球のために使ってきた。そのイチローさんを支えてきたのは弓子夫人。これだけ多くの方がいる中で、イチローさんの夫人に支える言葉は?野暮かと思いますが、こういう日だから。
いやぁ、、、頑張ってくれましたね。一番、頑張ってくれたと思います。
僕はアメリカで3089本のヒットを打った訳ですけれども。妻はおよそ、ホーム前ゲームの時はホームの前はおにぎりを食べるんですね。妻の握ったおにぎりを食べるんです。その数が2800だったんですよ。3000個いきたかったですね。3000個握らせてあげたかったですね。妻もそうですけど、とにかく頑張ってくれました。僕はゆっくりするつもりはないですけど、妻にはゆっくりして欲しいですね。
それと、一弓です。ご存じない方もいるかもしれませんが、柴犬です。17歳と7ヶ月。今年で18歳になろうかという、柴犬です。さすがにおじいちゃんになって、毎日フラフラなんですけど懸命に生きている。
その姿を見ていたら、それは俺、頑張らなきゃなあ、って。ジョークじゃなくて。あの懸命に生きる姿。。。。
2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど。まさか、僕が現役を終える時まで一緒に過ごせるとは思わなかった。これは大変感慨深い。一弓の姿というのは。妻と一弓には感謝の思いしかない。ありがとうございます。
ーーー朝日新聞、記者不明。3月の終盤に引退を決められたと言うことですが、素人が技術のことを聞くのは恐縮ですが、打席内での感覚の変化というのはありましたか?
いる?それ。いまここで。いる?裏で話そう。あとで。
ーーー日本スポーツ出版、新井記者。これまでイチロー選手は決断と戦って来た。00年のポスティングでの移籍、06年WBC参加、、、(メモれず!!)今まで一番考え抜いた決断とは?
これ、順番つけられないですね。それぞれが一番だと思います。
ただアメリカでプレーするために、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、当然自分の思いだけでは叶わないので、球団からの了承がないと行けなかった。まぁ行けないんですね。
じゃその時に、誰を、こちら側、こちら側っていうと敵味方ってのでおかしいんですけど、球団にいる誰かを口説かないといけない、説得しないと行けない。その時に一番に浮かんだのが、まぁ仰木監督ですね。
その何年か前から、アメリカでプレーしたいと言う思いは伝えていたこともあったんですけど、仰木監督なら、美味しいご飯に連れて行って美味しいお酒を飲ませたらうまく行くと思ったら、まんまとうまく行って、これは、これがなかったら何も始まらなかった。
口説く相手に仰木監督を選んだのが大きかった。ダメだダメだといっていたのが、お酒の力でこんなに変わるのか?と、まざまざと見た。
でもやっぱり洒落た人だったと思いますよね。仰木監督から学んだもの、計り知れないです。
ーーー昨日の会見を開いた日が、第1回WBCの優勝日と同じだったのですが、それは運命的な、、、
まぁ聞かされれば、そう思うこともできる、っていう。だけ。
僕は知らなかったですけど。
ーーー日テレ、辻岡アナ。現役時代に我慢したこと、我慢したもの何でしょうか?
(長い沈黙)
難しい質問だな。
僕は我慢ができないん人なんですよ。我慢が苦手で、楽なことを重ねている。やりたいことを重ねているので、我慢の感覚はない。とにかく、体を動かしたくてしょうがないので、こんなに体を動かしちゃだめだ、ってことで体を動かすことを我慢する、というのはたくさんありました。それ以外は自分にとってストレスがないように考えて行動して着たつもりです。
家では妻が料理を考えて作ってくれますけど、ロードに出るとなんでもいいわけなんですよね。無茶苦茶ですよね、ロードの食生活なんて。まあそんな感じなんです。今、聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらないです。
おかしなこと言ってます?
ーーー台湾の中央通信の記者さん。台湾ではイチローさんのファンがいっぱいいる。台湾のみなさまに伝えたいことは?例えば台湾のどこかに行きたいとか。
チェンが元気か知りたい。チェンがチームメイトでしたから。チェンは元気にやってますか?あぁ、元気ですか、そうですか。それはよかった。
今のところ予定はないですけど、でも、以前に行ったことはあるんですよ。
すごく優しい、心が優しい印象です。いいなぁと思いました。
ーーー夕刊フジ、高岡記者。今年、菊池雄星選手がマリナーズに入って、去年はエンジェルスに大谷翔平選手。今、後輩たちに託すもの託したいものってありますか?
雄星のデビューの日に、僕はこの日を、引退を迎えたのはなんかいいなぁ、と思っていて、もう「ちゃんとやれよ!」という思いですね。
短い時間でしたけれども、すごくいい子で、やっぱりね、いろんな選手を見て来たんですけど、左ピッチャーの先発って、変わってる子が多いんですよ。本当に。天才肌が多いとも言える。アメリカでもまぁ多い。こんなにいい子がいるのかな?って言う感じ。今日ここまで。
でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動してくるわけですけど、
チームはドレスコードがあるんですね、服装もルールが。。。
黒のセットアップ、ジャージでOKという、長旅なので楽なのでOKというルールがある。で、アリゾナをたって日本についた時に流石にジャージはダメだろう、と二人で話をしていた。「イチローさんどうするんですか?」って雄星が言うから、中はTシャツだけど、セットアップで一応ジャケットを着ているようにする。って返したんです。「じゃあ、僕もそうします。」って雄星も言うんですよ。
みんなそうでしたけど、僕もみんなジャージのセットアップ。
「雄星、これやっぱりメジャーリーガーとしてダメだよな。」って話したのに、日本についた時にまさかのあいつ、黒のジャージでしたからね!!
その真相は本人に聞いていないんですけど、ぶったまげましたね。大物だな!と。左ピッチャーは変わったやつ多い。大物だな。
大谷翔平選手はちゃんと怪我を治して。
アメリカの選手に体格で劣らない。あのサイズであの機敏な動きができる。
あれは世界一の選手にならなきゃいけないんですよ。
ーーー日経スポーツ、記者不明。野球への愛を貫いて来た。野球の魅力はどんなところ?イチロー選手の引退を悲しんでいる方に、今後のイチロー選手のいない野球の楽しみ方は?
最初の質問なんでしたっけ。あぁ、野球の魅力ね。。。。団体競技なんだけど個人競技なところですかね。これが野球の面白いところ。
チームが勝てばいいか、っていうとそうではない。本来チームとしてクオリティが高ければ、って思うのですが、個人としても結果を残さないと生き残れない。っていうその厳しさが面白いところ、魅力であると言うこと。
あと、同じ瞬間がないということ。必ず、どの瞬間も違う。
これは飽きがこない。
2つ目は、、、どうやって楽しんだらいいか?
2001年にアメリカに来てから、今の野球と全く違う野球になった。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつある。ような、、、それは選手も現場もみんな感じていることだと思う。これが、今後どうやって変化していくのか。次の5年10年どう変化していくのか。しばらくはこの流れは止まらないと思うのですが、、、
本来、野球というのは、、、、あ、これは言ったら問題になりそうだな、、、、頭を使わないとできない競技なんです。
(ここでCM)
ーーー週間SPA。3089本のメジャーの試合偶然かもしれないけれど、アスレチック戦。オープニングゲームと〜(聞き取れず)
長い質問に対して失礼なんですけど、ないですね。
ーーー文化放送、サイトウ記者。子供の頃からの夢であるプロ野球選手になって何を叶えたか?
成功ってわからないですよね。何を持って成功とするかわからない。
どこからが成功で、どこからが成功でないっていうのは、、、だから、成功という言葉が嫌いなんですけど、、、メジャーリーグに挑戦する、どの世界でも新しい世界に挑戦するのは意味がある。
あえて「成功する」と表現しますけど、成功するからいく、成功しないから行かないという判断基準では後悔する。やりたいならやってみればいい。できると思うからやるのではなく、やりたいならやった方が良い。その時にどんな結果が出ようと、後悔はないはず。
基本的にはやりたいと思ったことに進んで行きたいですよね。
ーーー何を得られましたか?
まぁ、こんなものかなぁという感覚ですかね。いや、それはもっと最初から200本を打てると思ったし、アメリカに来てその次の2年間も93勝して、勝つのがそんなに大変じゃないと思っていたけど、じつは大変だった。その感覚を得たことが大きかった。
ーーー夕刊フジ、記者不明。毎年、神戸に自主トレに行かれるのは、恩返し?
神戸は特別な街です。恩返しって何ですかね?恩返し、、、
僕は選手としてできるだけ長く、選手を続けたいと思っています(それが恩返し)。それと、税金を少しでも多く払えるように頑張ります。
ーーーハフポスト、記者不明。日米で活躍される選手は甲子園、NPB、メジャー。もっとこういう制度であればメジャーに挑戦できた、もっとNPBでやりたかったとかは?
制度に関して詳しくない。ただ、日本で基礎を作る。将来MLBで活躍するための礎を作るという考え方であれば、日本の野球も悪くない。できるだけ早くというのもありますけど、日本の野球で鍛えられることもたくさんある。
だから、制度だけに言及するのはフェアじゃないと思う。
日本では基礎の部分が鍛えられた。メジャーより日本なら中学生レベルの方がうまい可能性がある。チームとしての連携など、日本の方が高いことがある。メジャーは個人としてのポテンシャルは高いけど、そこには苦しんで諦めた。
ーーーTBS、山科記者。個人的にはAngelsの大谷選手との対戦を楽しみにしていたけど、叶わなかった。今は?大谷選手の今後に期待することあれば。
先ほどもお伝えしましたが、大谷選手は世界一の選手にならなければいけない選手。なお、対戦したかったのは誤解のないように言っておきますが、ピッチャーが僕で、バッターが大谷です。
翔平がどんなメジャーリーガーになるか?そこは占い師に聞いてもらわないとね。投げることも打つこともやるのであれば、ワンシーズごとにピッチャーとホームラン王をとれたら面白い。普通、そんなことは考えることもできない。でも、翔平はそれを想像させる。その時点で明らかに違う。
今年は20勝でサイヤング賞、翌年は50本塁打でMVPとかありえる。化け物ですからね。
ーーー毎日新聞。岸本記者。野球選手でなくなったら嫌だと過去に言っていた。野球選手でない人生に何を想像しますか?
(過去の僕も)僕は嫌だ。って言わないと思うけどね。
野球選手じゃない自分だったら、多分、違う野球選手になっている。
さっき、この話しなかったかな。お腹空いて集中力がなくなってしまって、、、真剣に草野球をやる選手になっていると思います。
今日は、質問にとことん付き合おうと思ったけど、お腹減って来ちゃった。
ーーー司会、時間の都合もありますのであと2問に。
ーーーデイリー、小林記者。プロ野球人生で一番誇れること。
これ、先ほどお話しましたね。小林さんも、、、
完全にさっきも同じ話しましたよね。集中力が。。。
これで1問減ってしまった。。。
ーーー日本テレビ。伊藤記者。小学生の卒業文集「僕の夢は〜」その小学生になんて伝えますか?
お前、(プロ契約時の1年目の)契約金1億円ももらえないよ。って。笑
ドラ1の1億円って遠く及ばなかった。ある意味でそれは挫折。
こんな終わり方なんか、、、最後はキュッとしたいよね。
ーーー質問者、不明。昨年マリナーズ、その前のマリナーズ時代、孤独を感じながらプレーをしている。とおっしゃっていた。NY、マイアミ、孤独感はずっと感じていた?
現在、孤独は全くない。それとは少し違うかもしれないけれど、アメリカに来てメジャーに来て、外国人になったこと。
アメリカでは僕は外国人ですから。
このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、いままでなかったことが現れた。この体験というのは、本を読んだり、情報をとることはできたとしても、体験しないと生まれないので、孤独を感じて苦しんだことは多々ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだよ、と今は思います。
だから、ま、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、エネルギーのある元気のあるときにそれに立ち向かっていく、それは人として大事なことなのではと思うのです。
しまったね、最後。長い時間ありがとうございました。
じゃぁそろそろ帰りますか!!
コンサルタントとフォトグラファーのDUAL WORKer/株式会社INFINITY AGENTS代表取締役/®︎福業フォトグラファーのONE PHOTO代表/働き方改革や複業仕事術、カメラやデザインが中心でです。お仕事のご依頼は y.arai@00agents.jp までどうぞ。