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泥棒、痴漢、いじめから見る自己責任とおもいやり

被害者側にも問題がある!という時に使われがちなのが

「いじめられてる側にも責任はあるって言うのか!」

というもの。

被害者側にも問題がある!と一概に言っても

問題が起こる原因やメカニズムは複雑です。

泥棒、痴漢、いじめの3つを例にして、加害者と被害者の構造を見ていきます。

泥棒と鍵

被害者側の例として、泥棒に入られた事を考えてみます。

泥棒に入られたとき、鍵をしっかりしていなかったというのはどうでしょう?

泥棒という行為には

世の中が安全になればなるほど、鍵の必要性を感じなくなればなるほど泥棒にとっては有利

という構造があるように見えます。

鍵をかけなくて良いという世の中が理想ですが、理想に近づくほど泥棒にとっては有利です。

泥棒が存在する限り、他の誰かより鍵をしっかりしておけば、自分は泥棒に合いづらいならば

確かに盗む方が悪いとは言え、自分の財産を守りたいなら鍵を閉めた方がよさそうです。

痴漢と服装

被害者側の例として、痴漢にあったことを考えてみます

痴漢に遭ったとき、露出の高い服装をしていたらどうでしょう?

斉藤章佳の『男が痴漢になる理由』(イースト・プレス)には

痴漢の動機は会社や家庭のストレスからくる認知のゆがみ(思い込み)が多く、行為に及んでいる時に勃起している人は3割程度

だと書いてあります。

こんなに辛いことを頑張ってやっているのだから痴漢ぐらいいいだろうという認知のゆがみからくる。

痴漢の被害は性欲の延長上にあることは少なめであり、服装などは思っているほど影響しない。

というのだとすれば

痴漢にあうのは派手な服装をしていたから自己責任というわけにはいかなそうです。

いじめといじめられっ子

被害者側の例として、いじめらたことを考えてみます。

いじめられっ子についてはどうでしょう?

いじめには、いじめる側にまわれば自分はいじめられない

という構造があるとします。

いじめておけばいじめられないわけですから

真っ先にいじめる、いじめを見たら参加する、いじめられてるならもっと弱いやつをみつけていじめる

というのが自分を守るための正しい行動になりそうです。

いじめとは椅子取りゲームのようなもので、いじめる側というポジションにいかになるか、いかに早く椅子に座るかによって自分がいじめられる可能性をへらすことができる構造があります。

いじめられっ子にならないためにはいじめ側にまわるというのがよくなってしまいそうです。

泥棒、痴漢、いじめと自己責任

3つの例についてみてきました。

同じ被害者でも、被害にあう原因やメカニズムが違って見えたと思います。

それと同時に自己責任の重さも変わってきそうです。

・泥棒の例では、鍵を頑丈にすればするほど財産を守りやすい。
・痴漢の例では、服装が派手かどうかは、痴漢に遭わないにはさほど影響はない。
・いじめの例では、いじめればいじめるほど、いじめには合わない。

被害者にも問題がある!といったときの例としてこれらがあげられたとしても

ほんとうに同じような構造なのか見分ける必要がありそうです。

泥棒、痴漢、いじめとおもいやり

さてこの3つの構造を見た上でおもいやりについても考えてみます。

3つの例にそって、加害者側の目線から被害者側の目線に立ってみましょう。

・あなたが泥棒だった場合。
被害者側を考えたとき、盗まれたら嫌ですからやめようかなと思うのも不思議ではありません。

・あなたが痴漢だった場合。
被害者側の事を考えたとしても認知がゆがんでいる(思い込んでいる)可能性があります。
拒否しないなら相手は喜んでいるんだというケースもありますから、被害者が自力で相手の立場に立っても問題解決にならない場合がありそうです。

・あなたがいじめる人だった場合。
被害者側を考えたとき、それが辛そうであればあるほどいじめられたくないと思い、いじめるを続ける可能性があります。
また、いじめを見ている人の場合。
これも被害者側が辛そうであればあるほどいじめられたくないと思い、いじめに加わってしまう可能性があります。

加害者と被害者の関係性が単純ならば、おもいやりをもって、相手の立場に立ってみれば、自分なら嫌だからやめようとおもうでしょう。

しかし、複雑な関係性がある場合、おもいやればやるほど悪い方向にいってしまう可能性があります。

おもいやりは一概に良いとはいえず、おもいやりさえあればうまくいくというわけではなさそうです。

まとめ

加害者と被害者の関係、構造によって自己責任の重さが変わって見える。

加害者と被害者の関係、構造によっておもいやりだけではうまくいかなそう。

加害者、悪者をとりあえず叩いて排除すれば自体は解決するというわけではないのがわかると思います。

いじめの主犯をただ叩くだけだと、主犯は悪者になり立場が弱くなるので、つぎは主犯をいじめれば自分はいじめられなくなるため、いじめられっこが変わるだけでいじめはなくなりません。

痴漢もただ性欲を抑えるように処置したとしても、ストレスで認知がゆがんでしまっているなら再犯してしまいます。

いろんな要因が絡み合って1つの問題に見えているという難しさがあります。

教室、会社、社会には絶対的な悪者がいて、そいつを倒せばハッピーエンドとはいかない

現実はそうもいかず、小説やショーのような悪を倒せば終わりというわかりやすい設定ではないようです。

ただ加害者を非難するだけでなく、どのようなメカニズムがあるかに目を向けてみるのも大事でしょう。

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