忘れっぽい私(や誰か)のための短い読書 26
…イギリスも世界の覇者であった時代は、同じことをしていました。例えばクルド人に対して、イギリス人はどのような態度をとったでしょうか。
それに関しては、英国の学校では教えない、歴史上のちょっとした教訓があります。それは機密扱いを解かれた文書から知ることができたものです。イギリスは世界一の大国でしたが、第一次大戦の頃には、戦争の影響でその力にかげりが出てきました。内密の秘密文書を見ると、戦後イギリスは、実際には軍隊を撤収してしまったアジアにおいて、いかに覇権を維持するか検討しています。
一つの提案は、空軍に頼るというものでした。空軍は第一次大戦末に登場したばかりでした。その空軍を使って一般人を攻撃しようという考えです。(略)その頃植民地相だったチャーチルは、それでは不十分だと考えていました。チャーチルは、カイロのイギリス空軍からある許可を求められました。その文を紹介しましょう。「頑固に抵抗するアラブ人に毒ガスを使用する」ことに関する許可です。
ここで彼らが反抗的なアラブ人としたのは、実はクルド人とアフガン人で、アラブ人ではありません。しかし、人種差別主義者の基準からすると、殺したいやつはみんなアラブ人です。(略)ここで思い出していただきたいのは、これが第一次世界大戦の時代だということです。当時は毒ガスを使うことは、もっとも残虐な行為でした。それ以上ひどい行動は考えられませんでした。
この文書は大英帝国の各地に回覧されました。インドの植民地政府は反対しました。(略)暴動が起き、民衆は激怒するだろう。(略)本国の人々は当然気にもしないだろうが、インドでは大変な問題になるおそれがあるというわけです。チャーチルはこれに激怒し、こう言っています。「未開の部族民に毒ガスを使用することについて、なぜこのような神経質な反応を示すのか理解できない。毒ガスは未開人に強烈な恐怖を与え、イギリス人の生命を救うだろう。我々は、科学が約束したあらゆる手段を利用する」。
(略)そのあとどうなったでしょうか。正確にはわかりません。というのは、十年前にイギリス政府が、政府の行動をもっと透明化し民主主義に近づけるために、いわゆる「開かれた政治制度」を設けたからです。(略)
しかしこの開かれた政治制度のもとで真っ先に行われたのが、反抗的なアラブ人、すなわちクルド人とアフガン人に対する毒ガスと空軍による攻撃に関して残されていた記録を公文書館から持ち去り、おそらくはことごとく破棄したことです。
ノーム・チョムスキー 監修 鶴見俊輔 リトル・モア
Photo by Museums Victoria on Unsplash
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