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見知らぬひとにいつか

未熟で、取りこぼしが一杯あったり、欠陥だらけだなと自覚する人ほど、理屈ではない直観とか、自分の無視できない強い声に、従うほうがいい。

(つまりそれは自分のことなんだけど。)

感情・情報・理屈・至極「もっとも」らしそうな考えがそこで幅を利かせていても、心の声がはっきり聞こえているような、これは違うとなにかが知らせるようなそういう瞬間があったら、絶対に無視せずそちらの方へ行く。それが結構難しいけどそうできたらすごくいい。その時わからなくても、後でふっと、わかっていくから。

私は無知だけど、人がわかっている気になっていることは、ずいぶん小さくて、半分は、思い込みなんかで間違っているものだろうと思う。言葉に振り回されない、概念で縛りつけない、脳に頼りすぎない、脳は騙されやすい。体に出る痛みのほうが、多くを語ってくれる。

いろんなことを、解釈しすぎるのも、無駄だ。しっくりこない解釈や意味に縛られているとき、それは、重く、時間を食い続ける。その時は失敗作みたいに投げ捨てて、大事な記憶を呼び出したり、外の空気を吸ったりしたほうがいい。一見悪いことに見えても、全く違うことがある。

偏った考えに縛られているだけかもしれないから、気にし過ぎてはだめだ。選択とか決断は感情でしてはいけない。感情とは別問題なのだ。感傷なら、猶更いけない。

大事な記憶は、案外、名前も知らない誰かが、通りすがりに助けてくれたり、親切にしてくれたことだったり、する。意外と、親切な人は、にこにこもしていなくて、どこかぶすっとしているようだったり、微妙にうっすら微笑んでいる程度だったりして、ふざけていないし、”盛って”いなかったなと思ったりする。それか、ちょっと奇妙な風情の人だったりした。そうやって何度も、思い出す人たち、思い出す時間がいる。知らない、人たち。次の瞬間突然、出現したみたいな。


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