「黒も白と言っちゃうの」じゃねえよと思った、が…

長い年月の向こうに、大事な人たちがいたことを思い出した、忘れていたわけではないのに、はっきり意識を向けたというのでもないままだった、いつも大事だったのに、半信半疑だったのだ それだけが、「決して消えない光」だというのに。

それは数年前に知っていたある人の、言葉からまたさらに思い出したのだ、その人は、大事な人が落ち込んでいて(自分も大変になるので)励ますときには、「黒も白と言っちゃうの」と言っていたことがあった。またそう云っていると、乗り切れた、ということだったんだろう、

正直、健気だなと これぞ健気だなと思うことだった 別に聴いていて自分は なにも云わなかったけど

時々、ただ、シンプルに信じればいい、長くもない言葉を、日々は、どうでもいいことばかりで見えなくしてしまう 大事な言葉、そんなにたくさんはない (ゴタクはいっぱい あるのんです) 

意味が失わせてしまう、味があって だから、言葉には警戒してしまう、言葉には表情や、声を伴っていてほしい、過ぎた瞬間にあったすべてを、再生する鍵でしかないのに、削って削って、小さくしてしまう よくそういうことがある

大事であり続けたというのは 大事にされていたから、というとちょっと違っている。そういう大事なひとと相対していた時間が、たとえ短いものだったにしても、嘘じゃなかったから、かな。うまいこと言葉にならないのだが、ある角度から、一部だけを言葉にしてみるならば

嘘じゃなかったなら、疑いの余地がないなら、それは信じられるということで、信じられる人が言った言葉だったら、それは、信じていいことだったし、色褪せない贈り物だったということだ。

静かに信じていたらいいのだ。淡々と、当たり前の事になるまで。

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