名前で呼び合い、ありがとうで締めくくった(仮)

先生、という言葉は無かった。敬称も無かった。それでも相手は大きくて深かった。それでも同時にただの人間だった。対等に話す、オープンに話す、それは苦しいことでもあった。自分を、表現しなければならなかった。ほとんどいつも恐怖を感じた。耳障り良い話でごまかそうったって、退屈だという顔を露骨にされる。いろんな弱点を指摘されるのではないかとか、自信の無さを打ち砕かれるのではないかとか、それ以外にも、会話ほど怖いものはないと思うくらい、危険だと意識した。話して分かり合えなかったり、不愉快な態度を取られたり、簡単に消えてなくならないしこりが残ることだってしょっちゅうだった。だからどうなのか。それは別に悪いことではなかった。うまくいかないことは、摩擦のあることは、ぶつかったり腹を立てたり呻いたりすることは、別に、「悪いこと」でもなんでもなかった。

そういった全部が、良かったのだと思う。

会話が時に、激しく光を発する瞬間に至るとき、ずっと上昇気流に乗っているような感覚の残るとき、感情が引き出される瞬間、どうでもいいことと問題になっていることとがクリアーに分かれた瞬間、視界が開け、素晴らしい精神に触れたことの充実感(未完)


もしも何事かお役に立てましたら、ぜひサポートをお願いします☆