「言いたいこと」を、言っている(のか)・・・

大切な事とは、なにか。いつも、自分に聴いて確認するんだ。大切なものとは、なんだろうかと。自分にとって大事なのは?


言葉はいらないくらいあって、情報は毎日更新され、雑多な騒々しいニュースを聞きかじり、たいてい、それらは気分を沈ませがちで、欲しいのはそんな言葉(情報)なのだろうか、それは、重要そうだが、大事なのか。ほんとのところ、どうなの。


自分が話したいなとふと思った。誰かがなにか云っていて、それに反応するのではなくて。振り回されているように感じるのは何をしていてもよくない。最初はそんなふうに話は始まるのかもしれないけど、その奥になにか、違うことがあるんじゃないだろうか。ぜんぜん関係ないような、自分も知らなかったようななにかが動いてる気配がするから。


他人は、ヒントをくれる。なにか、今の自分にとって大事な知らせ。感覚。それは自分も知っているから、その瞬間、ピンとくる。人だけじゃない、植物だってそう。鳥だってそうだ。大事な情報も、即行き着くのではなく、導かれる感じで、本を読むのもそういう感じかもしれない。だけどそのお知らせだったり、心に残る外のものにばかり、気を持っていかれては間違いで、傾きすぎておかしなときは、吐き気がしたり、体に反応が出てくる。そこに自分がいないか、自分が自分を呼んでいるのだろう。

自分を信じるのは怖くてしんどいが、自分は信じるに値する。

ちょっとした生活のなかでとか、旅をしていてとか、小さなことであっても、あ、やっぱりそうだったんだ、ということ何度も何度もあっても、それでも自分を疑うのだ。自分を信じていいのだ。自分の感じたことを。

どうせなら、楽しんで書きたいな、なにかを、そう感じている。これまでと、違った風に。そうでないと、もったいない、時間や、命。

なにしろ楽しくないけど、やっていた。なんでだろうな。不安だから。さらに、もはや理由はよくわからないけど、やっていた。全部が全部、きれいに説明つかない。楽しくないから、やめたかった。当然。楽しくない理由として、うまくやろうとどこかで思っているからじゃないかと思う。その「うまく」が貧しいし、イケていないのに、「うまく」やることが素晴らしいんだって思ってるという、思い込み。それは枯れていたのに、握りしめていたよ。そのことにも気づかなくて。なんでかな。心が囚われていると、いろいろ、気がまわらないっていうか。

命が感じられたら、ぜんぜん、楽しい。それだけで、よくはわからないけど、理由はわからないけど、楽しくなっているものと思う。

「○○でなくっちゃいけない、わけじゃない。」ってことをまず言いたいかもしれない。例えば、自分の見聞きしたことについて いろいろ思うところあっても、それを書かなくちゃいけないっていうこともないね。もしなんか違う、ずれている、と感じるんだったら… なんで、なんのために、そんなこと書いているのかと思った場合。そもそも、書きたかったことなんだろうか。書かされている感じがして、それがそれでいい、わけではないときがあると思う。

「○○でなくっちゃいけない、わけじゃない。」

(これ、今更ながらアートでも、特に大事なことだけど。。。アートのことばっかり話さないってことが、実際はアートやってて大事なことだったりする。流行の問題もあるけど)


…堅苦しく考えたり、真面目に受け止めすぎると、なんての?すぐ、終わりっていうのか、すでにおそらく、いろいろ煮詰まっている状況思ったとき、短絡的に悲愴になるというか。や、それじゃあ自分はとても生きていけないっていうか。言えることもなんもないし。みたいな。完成されちゃってるよな!?と言ったらいいか。うーん、なんだろう。まあいいかなこれはこのへんで。










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