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忘れっぽい私のための(適当な)短い読書 37

益章さんをはじめて訪問する人がたいがいそうするように、わたしも途中の雑貨店でテーブルスプーンやフォークを何本か買っていきました。もちろん、両手で無理に曲げようとしても曲がらないほど頑丈なものばかりです。20〜30分も雑談しながらスプーンの柄にさわっていた益章さんが、突然、つぶやくようにこういいました。「来た、来た」。その瞬間、どこかで猫が「ギャーッ」と凄まじい鳴き声をあげ、スプーンが飴のようにぐにゃっと曲がりはじめました。わたしは背筋に冷たいものが走るのを感じ、気がつくとかなりハイになっていました。
〜略〜
益章さんがスプーンを曲げるときの秘訣は、どうやらゴルフと同じく、鮮明なイメージを抱くというところにあるようです。手にしたスプーンを対象として眺めるのではなく、〈それ〉と一体になって、スプーンが曲がるところをありありとイメージするのだそうです。こころのなかでその像がはっきり結ばれたとき、なにかが「来て」、スプーンが勝手に曲がってくれるのだというのです。ありえないような話ですが、彼が「スプーンは曲がる」と心底から信じていることは確かなようでした。
〜略〜
私もその後、何度か曲げたことがあります。そのときはなぜか「固い金属が簡単に曲がるなんてありえない」という思いが消えて、ふだんとはやや別の、空白に近い意識状態になっていたように思います。
〜略〜
さすがに変わったお父さんで、益章さんがごく幼いころから彼の特異な能力に着目し、プロの催眠術師に頼んで益章さんに催眠をかけてもらったというのです。〜略〜 つまり、息子の特異な能力を認めた父親は、その能力が世間では通用しにくいと判断して、無理解な世間から息子の才能の芽をつまれないように催眠で「防御」したというのです。「固い金属が簡単に曲がるはずがない」とか「スプーンが曲がったからどうしたというのだ」といった常識的な批判を受けても、こころのなかに富士山のイメージを思い浮かべれば才能がつぶされることはないという暗示を、催眠によって無意識のなかに植えつけたというのですね。

「ナチュラルハイ」 上野圭一

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