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自分を生かすも殺すも言葉選びかもしれない。

自分の人生には、言葉と言うものが圧倒的に足りなかったのではないかと思うようになった。

うつ状態を経験し、改善していったのはなぜかと言われると、多分言葉が変わっていったからだと思った。

その言葉とは、心の中で喋っている言葉、無意識で心の中で喋り続けている言葉で、それを変えなくてはと、本気で思ったからです。

昔から読書は苦手で、勉強も苦手で、頭が悪いとはなんとなく分かっていた。大学は美術大学に入った、なぜ美術大学を選んだかと言えば、勉強では大学に入れない、でも絵描いて大学入れるんならいけそうというかなり単純な考えであった、結局それでうまくやってこれてしまった。つまりビジュアルで生きすぎていた感じがする。

うつに陥ったのも、そうやってうまく行き過ぎてきたことのツケが回ってきたのではないかと、今は思っている。

頭の悪さと言葉はどう関係するかはよく分からないけれど、子供ながらになんとなく、言葉と言うものに対して、だんだん興味を失っていった気がする。

自分が言葉を発したところで何か変わることも、経験しなかったし、むしろその言葉をさえぎられることも多かったと感じている。

自分の気の弱さに起因することではあるんだけれど。そこらへんからなんとなく自分の心の中の言葉がゆがんできた、そして外に発する言葉はもう自分のものではなかった気がする。

それが読書とか、書くという個人的な行為としてのベクトルに行けば少しは変わってゆけたのではと思っているが。いまさらなので、これからを考える。

ものは言い様とか言うけれど、本当にそれで、言葉が人生をややこしくする原因であるし、面白くする原因でもあるし、楽しくする原因でもあると思った。

言葉によって感情が刺激され、身体反応にまで出できてしまう、ということをうつによって気づかされた。

これは当たり前なことかもしれないけれど、自分の人生にとっては大発見であった。

こうやって、文章を書いてみると、こういうことが言いたいんじゃないとか、なんかちがうんだよなとか、自分が言いたいこととはなんと無く違うこと書いている気がして、もどかしい気持ちになる。

もっと精度よく自分の気持ち考えていることを言葉に乗せられるように、そして自分の気持ちが良く、体の調子がよくなる言葉を使えるように、勉強して生きてゆこうと考えている。


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