カラオケってDJじゃん
カラオケが嫌いだった
オケの音は軽薄。
スピーカーの音はペラペラ。
チープなムービー。
歌なんて本家と雲泥の差。
自分の家族ではカラオケに行く慣習はなかったし、学生時代に誘われた時にもうまく避ける方法をいつも考えていた。
歌を聞くことは好きだけど、自分で歌うことがすごく苦手で、あの箱は自分の居場所ではないと感じた。
大学生時代に誘われて何度か行った思い出はあるが、今思い返せばアルコールの勢いに任せた、ノリで押し切る楽しさだったなあ、、と思う(別にこれが悪いなんてことは全く思ってない)。
自分が上手く馴染めないがために、カラオケ文化は軽薄なものだと自分の中で決めつけ、それで辻褄を合わせていたんだろうなと、振り返ると思う。
時間がたって
ひょんなことから、4年ぶりくらいにカラオケについて行くことになった。
ちょうどこの4年間で自分はDJを始めていて、いろんな友人のイベントに遊びに行くようになっていた。
現場で回すことも何度かやってみて、現場の空気を読む意味とかも、なんとなくわかるようになってきた頃でもある。
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カラオケって、DJみたいじゃん!!!
めっちゃ自然に思えた。
カラオケをやっと楽しめた気がするし、何しろ文化としてのカラオケの強度みたいな所を感じた。
「嫌い、、」から一気に逆に揺り動かされて混乱しているからかもしれないし、酔いに身を任せる「楽しい」を、文化の強度と勘違いしているからかもしれない。
ただ、今までのものとは違う感覚を持ったので、文章に残しておこうと思います。
カラオケとDJで似ていること
1. 選曲をする
曲選ぶのはわくわくするし、選ばれた曲を聴くのもわくわくする。
次はなんの曲だろうと考えること。
自分が好きな曲を誰かが入れたら、いいね!ってアガる。
これってDJと一緒じゃない?
みんながノレる曲の範囲の中でいかに遊べるか、
雰囲気を壊さないで独自性を出せるか、みたいな。
これも同じ。
DJのスタイルには、2人以上で交互に曲を繋ぐB to B(Back to Back)という回し方がある。
その時の曲選の意識が、カラオケでの選び方に近しいのかも。
選曲の仕方が人数によって変わる現象も、似ていると思う。
人数が増えれば、なんとなく全体で共有できる曲調やカジュアルさが重視されて選ばれるし、
少ない人数だと、共通の趣味やマニアなジャンルの曲になる。
2. グルーヴを維持する
DJは、いかに場にあったグルーヴを作り出すか、そして維持し続けるか、を目的の一つとしてる。
そのために、シームレスな繋ぎをしてみたり、リズムパターンを組み立てたりしてみたりしている。
DJのイベントは、「踊る」という目的を第一に目指すけど、それがカラオケにとっては「歌う(一緒に歌える)」なんだと思う。
3. 演奏者と聴衆者の関係性
歌う人と聴く人で立ち位置に差がない。
そりゃ当たり前だろって言われたらそれまでだけど、結構不思議だなって思う。
コンサートやライブは、「観る」と「演る」がはっきり分かれる。
カラオケやDJイベントは、その場にいる人は全員同じフロアにいる。
立ち位置は変わらない。
歌う人によってその場が向く焦点は変わるけど、そこだけに集中しているわけでもなく自由に時間が過ぎていく。
参加型で盛り上がる、日本の祭り的な雰囲気みたい。盆踊りに主役とかないでしょ。
4. 盛り上げること、シンガロング
テンションの高い人がいてくれると、場はありがたい。飲み会とかカラオケでよく思う。
フロアで楽しそうに踊る人の周辺に、その人のバイブスが波のようにほかの観客に伝わっていく光景をよく目にする。
これも一緒かも。
みんなで歌って盛り上がる連帯感は、イベント後に感じる、フロアで作り上げた謎の達成感とも似ている。
5. 対価を払うこと
カラオケの料金。
イベントのEntrance fee。
払った分の対価を得るために楽しもうとすること。
まとめ
カジュアルとマニアの濃淡によって、アガる曲も場の雰囲気も違う。
でも、場の雰囲気を読んでそれに合わせる行為、ここには同じ価値観がある。
自分から積極的にカラオケボックスに向かうことにはならないと思うけど、良さとか価値とかを少し解れて嬉しい。