美に課金することへの罪悪感
コロナ禍が終わってマスクを外して陽の光のもとを歩いてみると、自分の顔の変化に衝撃を受けた。
たかが3年、されど3年である。
もはや加齢のせいなのか、マスクのしわざなのかわからないが、明らかに顔が劣化している。めちゃくちゃ落ち込んだまま、ひとたび街に出て、すれ違う人のマスクなしの顔を見てみると、こんなにいろんな顔の人がいるのだなぁと、今更ながら驚くこととなる。
この3年の間に、(友人や家族以外で)マスクをしていない顔をSNSやテレビの中でしか見ていなかった私は、完全にルッキズムに支配されていたのだ。
感覚は徐々に元に戻していくとはいえ、やはり毎日鏡で付き合わせる自分の顔の汚点は直しておきたい。離職期間の今こそ、肌の改善のために医療の力も借りるべきなのではないかと真剣に考え始めたが、今まであまりにも怠りすぎていたため知識がない。
とにかく相場を調べてみようと、価格表を見るたびにちょっとドキドキする。
留学のために離職することも、資格の勉強や留学に何十万円と注ぎ込むことも、苦しくはあったが罪悪感がなかった。
しかしこの、美容のためにお金と時間を投入することへの罪悪感は一体何なのだろうか。
自分のための投資ということに変わりはない。
更に言うと、就職する上でも、仕事をする上でも見た目は実は重要だったりする。
なのにこの罪悪感は何なのだろう。
「離職中に何をやっていましたか?」と聞かれて「留学して英語を勉強しました」「〇〇の資格を取りました」だと胸を張って言えるのに、外見をマシなものにしようとしていたことは全く加点にならない。
例え社会的には加点にはならなくとも、自分に及第点を与えられることを第一優先に、真剣に取り組むこととする。
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