「憧れ」への距離

何かに対する「憧れ」は恐らく多くの人の心の中にある。

まだまだ飛躍する「伸びしろ」の多い若者たちならば、「憧れ」の対象も多岐にわたるはずである。

30代もなかばに至った今、SNSを見ていると10代、20代のキラキラした投稿を見ていて、ふと彼女たちと同じ頃の自分の身の回りの「憧れ」の対象を思う。

モテ服、森ガール、ハーフ顔、なんてワードがあったなぁ、と。

モテ服、という言葉はとにかく大嫌いだった。
ファッションセンスは持ち合わせてはいないが、着る物に対してこだわりの強かった自分としては、「自分の好みではなく男性が好きな服を選ぶなんて」という謎の抵抗感と嫌悪感があった。

森ガールは見ている分にはとても可愛いけど、これも「天然キャラ」「癒し系キャラ」を演出しているようなあざとさに、真似するのが躊躇われた。

そして、ハーフ顔、である。
10年前の女性たちは、欧米の女優やモデルは無理だけど、日本人の血が混ざっているハーフの美女たちになら近づけるのではと、ホリが深く見えるメイク、目が多く見えるメイク、色素の薄い肌、髪に拘ったのである。
ファッションもLAっぽいものが流行ったし、雑誌ではしょっちゅうハワイ特集が組まれていた。

で、今。
世の中は韓国っぽメイク、旅行も韓国、である。
SNSに溢れるファッションは、韓国風、モノトーン、淡色系、ユニクロと、正直あまり奇抜なものやハイブランドで固めたものは少なく、「誰でも簡単に手に入れられるもの、基本誰でも似合うもので構成されていること」がバズるインフルエンサーの掟にも見えてくる。
もちろんブームというのはいつの時代にもあるから、それはそれで良い。
しかし一方で「憧れ」がすごく手近になってしまった気がしてしまうのである。

数年前、海外出張用のでっかいスーツケースを新調しに行ったお店で、「今は近いところへ、安く、短期間で行く旅行がメインなので、大きいスーツケースってあんまり売れないんですよ」としんみりと告げられたのを思い出す。

「遠くへの憧れ」「なかなか手にできないものへの憧れ」はもうやめよう、という風潮はあれから加速していっているんですね。

不景気で超高速で変化するこの時代を考えると、ごく自然な流れなんだろうなぁ、としみじみ思った日でありました。

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