その場に立ってわかること

離職して1ヶ月程度経つ。

退職するまでは、仕事がなくなるなんて自分が自分でなくなるような不安と焦燥に駆られ、どれほどしんどくても仕事は続けないといけない、心が壊れそうでも我慢しないといけない、となかば強迫観念に迫られるようにしがみついていたが、実際に無職になってみると、その不安は杞憂に終わった。

まずは衣服の詰まったクローゼットの断捨離から始め、ドレッサーの引き出しの整理、保管してきた書類の整理など、まずは気になっていたけど見てみぬふりをしていた収納スペースの整理に勤しむ日々。
特にドレッサーの引き出しは、ダイソーの整理用ボックスやアクセサリーケースがシンデレラフィットし、毎日引き出す度にウットリするような整然としたものになった。

久しぶりに更新した図書カードを持って、図書館で好きなだけ本を借りて、読みたい順に読む。
ここ数年、本を読もうとしても全く集中できず、自分は本も読めなくなったのかと嘆いてきたが、どうやら読めなかった理由は、仕事で集中力を消耗しすぎていたせいであったらしい。

かつて職場にいたフリーター女子が、本は漫画すら読めないけれど、アニメは一日中みている、という話を聞いた私が不思議がっていたところ、当時のパートナーが「流れてくるものをただ受け止めるだけのアニメは受け身だけど、本を読むには読み進めるための意思の力が要るから、アニメはみれるけど本は読めないんじゃない?」と言われて妙に納得したことを思い出す。
(実際には、文章を読むのが嫌いで漢字がほとんど読めない子だったのだが)

離職して最初に1週間は、とりあえず断捨離はしたものの「あとは何をしよう?」としばらくゴロゴロしていたけれど、今は結構「あれもやりたい」「これも気になる」と言う思いが湧いてきて、意外と時間がすぐに経過する。

家族と1週間まるまる一緒に過ごせるのも学生以来のことで、両親にも喜んでもらえるし、「このルートはどうだ、このホステルは安くてオシャレ」なんて考えながらの節約旅の計画も上々だし、英語講座やMicrosoft講座など、オンラインで無料で学べるツールも多く、今のところ退屈はしていない。

「不安じゃないの?」と聞かれることもあり、「ゆっくり眠れるし、意外とすることがいっぱいあるんだ」と答えると、微妙な表情をされることもあるけれど、これが本心なので仕方ない。

案ずるより産むが易し、とはこのこと。
飛び込んでみて初めて、抱えていた不安の多くは自分が作り上げた「こうあるべき」と言う固定観念や「他人からこう思われているかも」と言う妄想によるものだと気づいた。








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