「Zoom飲み会」は令和の死語のトップランナーか

コロナ禍で爆発的に流行った「Zoom飲み会」はもう死語なのだろうか?
もしまだだとしても、おそらく遅かれ早かれ「死語辞典」に掲載されることになる気がしている。
そう考えると、コロナのせいで、令和に突入して後の死語辞典の分厚さは加速しそうだ。

私個人としては、効率が良いはずの「Zoom飲み会」が皮肉にも、非対面の不便さを露呈する結果になったような気すらしている。

数名でのZoom飲み会に一度参加したが、結果は惨憺たるものであった。
顔しか映っていないのに目が合わないしボディタッチもできないため、誰から話し始めるのかを探り合う沈黙の時間。
逆に、2〜3人が一斉に「そういえば」と話し始め、その後ひたすら譲り合う瞬間。
数名の中で一部の人だけが共感し合って話を進め、あとの数名は邪魔をしないよう無言だけど、顔は映っているのでとりあえず笑顔を貼り付けて頷き続ける瞬間。

いかに人間のコミュニケーションは身体全体で行われているかがわかり、また、目に見えない「場の空気」が確かに存在していることが証明された瞬間でもあった。

「Zoom飲み会」は無くなったが、未だに「Zoom面談」「Zoom面接」は存在する。

もちろん、面接や面談で、入室するなり頭の先から爪先までねめ回されるのは正直気分が良くない。
だけど、顔と顔だけのコミュニケーションは、なんとも言えず疲れる。
「目が合った」感覚はないのに、「四六時中顔を見られている」感覚はなんとも居心地が悪い。
オフラインでは気にならないような、「素の表情」も目に付くから、始終笑顔を張り付けながらも本来話すべきことにも集中しないといけない。

何よりもやっぱり「手軽に話せる」よりも、(移動時間も含めて)時間を確保して、ちゃんと身支度を調えて、電車に乗って・・・という一見面倒な行程を経た上で話した方がなんだか尊重し合えている感じがする、というのは古いのだろうか。
「働き方改革」(これも私語になりかけてる?)の一つとしてはなかなか良い面もあるんだけどな。

まだまだ「オンライン一択」の世界になるのは難しいのかな、と思う。












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