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しユうtんぐスtぁaa

A SHOOTING STAR


気になる。気にしなければ済むものだが。さっきからフッ、フッ、と黒いものがモニターの端から出たり引っ込んだりする。気にして見ていると何も現れない。気の所為かと作業に戻るとやはり視界の端になにか蠢くものが見える、気がする。

ヒラサワは電子機器を駆使して音を奏でる音楽家だ。今日も新たな音楽を生み出そうと朝から音を奏で、重ね、揺らし響かせる。絵画のように音を映し出すモニターの背面からなにか生き物のようなものがチラチラ見える気がしていた。
目の疲れか錯覚か。

虫かヤモリでも入り込んだか。
いつもの事なのでさして動じず、部屋から追い出そうと椅子から立ち上がり、モニターの背面を覗き込んだ。
何もいない。
ヤモリならすばしこいので捕まえるのに苦労する。問題は虫だ。アイツらは考え無しにヒト科に飛びかかり無闇に脅かそうとする。いや、断じて虫が苦手な訳では無い。集中している時に飛びつかれると誰でも驚く。そうだろう?
などと独りごちるヒラサワ。
ふぅ、とひとつ息を吐き屈んでデスクの下を覗く。何も無い。天井や壁を見回しても何も無い。見慣れた青い壁と機材と楽器、その他もろもろ。バッタもカメムシもヤモリもいない。
休憩するか、その前にもう少し進めようとモニターに向かって「うぇ」と思わず声がでた。

画面の中に白いタコ、いや、ハリコンがピョコピョコと上下運動している。その顔がどう見てもヒラサワの顔だった。

「…キモチワル」
さあ困った、珍種のウイルスでも仕込まれたか、といくつかの対処法とバックアップを取ったかどうかの自分の記憶回路を脳内に巡らせる。
よく見るとハリコンの顔が怒っている。

「キモチワルとはなンだ、ムカつク」
ハリコンはそう吐き捨てるとヒラサワの顔面に飛びかかった。

「〜〜〜!!」

咄嗟にハリコンを払い、椅子から転げ落ちることは免れたが得体の知れないものに顔面を襲われて不快感がピークに達した。とにかく一刻も早く顔を洗おうと部屋を飛び出した。

自宅の一室の仕事場。ということは部屋から出ても家の中のはず。だがスリッパ履きの足元には土と砂利がある。
知り尽くした空気。知り尽くした景色。目の前にあるのは――

「あれは、中川橋…」

覗いたレンズをズームアップするように、いつの間にか橋の欄干が目の前にあった。
「オレをなゲすてロ。いつモヤっテるだロ。」
ヒラサワは欄干の上でみょんみょんと蠢くハリコンをつまみ上げてひょいっ、と放り投げた、はずだった。
ハリコンは腕を伸ばしヒラサワの胴体をガシリと掴むと地球上の物理法則を無視した力技でヒラサワを放り投げた。
憐れなヒラサワは叫ぶ間もなく宙を舞う。何度も見たはずの景色が上空へ飛び去っていった。

目を瞑ってなるものか、いま起きていることを理解するためにはとにかく目を開けてなくては。その一心でヒラサワは落下した。とことん落下した。橋から落ちたのだから落ちる先は川だ。しかし一向に「ばしゃーん」とも「どかーん」ともならない。かくん、と落下速度が弱まり、右手に傘をさしていることに気づく。いや、傘に擬態したハリコンだ。
ぱっと手を離したヒラサワは着地の体勢をとる。
やった、うまく着地出来た。川底では無く陸地だ。スリッパでどうなるかと不安もあったが落下傘の要領で何とかなった。その前をランドセルを背負った少年がかけてゆく。ランドセルは黒と白のストライプ。
咄嗟にヒラサワは少年を呼び止めた。
「まて、ススム!ススム君!」

名前を呼ばれた少年は振り返り、怪訝な顔つきでヒラサワを一瞥すると逃げるように走り出す。
「待ちなさい、そのランドセル、花火が入ってるだろう?」
息を切らせ追いかけるヒラサワは少年の足を止めるのに成功した。
「なんで知ってんの?」
「それを、爆発させてくれないか、ロケットみたいに噴射させるんだ。」
自分でも何言ってるんだとおもいつつ、もう何年も持ち歩いてないはずのライターをポケットから取り出す。火を点してランドセルの底を炙った。途端にランドセルから物凄い勢いで炎が吹き出し慌ててススム少年のズボンを掴む。
「うわぁぁ!!なに?脱げちゃうからはなして!」
可哀想なススム少年、見知らぬオッサンが自分自身だとは知らずズボンからぶら下げたままぴゅーっ!とロケットのように飛び上がった。

「ぅわぁあああ!!!」

窮地のススム少年は恐怖のあまり叫んだ。ヒラサワも叫びたかったが高所恐怖症などと言ってられない、どこまで飛ぶのか、どこに着地出来るのかを見極めなくてはならない。ふと見回すとあっという間に東京タワーを飛び越え富士山を見下ろし、水平線の丸いことを認識すると月へも届くかと言うところで「ふぇ、ふぇ、」とススム少年が呻き出した。とうとう泣き出すぞ、とヒラサワは宥めようとすると

「ふぁあっっくしょおいいい!!!」

と鼻水を撒き散らす豪快なくしゃみをした。途端に地球に吸い込まれるように落下する。びょうびょうと風の轟音がヒラサワの耳を襲った。寒いのかススムはヒラサワにひしとしがみついている。すると轟音の奥からピアノのような音が聞こえた。辺りを見回すと8分音符が二人の周りをクルクルと回り取り囲んでいる。手近の音符のリーゼントをヒラサワは掴んだ。すると聞いたことも無い、それなのに懐かしいような旋律が聞こえる。

聞いたことも無いのに心地好く、むしろ好ましい音。

「はっ、レコーダー、じゃない、スマフォ!」

慌ててボケットに手を突っ込むが何も出てこない。さっきはありもしないライターが出てきたのに。仕方ない、自分の記憶回路に頼るしかない。別の音符リーゼントを掴むとまた違うリズムの心地よい音が聞こえる。次の音符、また別の音符、と様々な旋律に聞き入った。落下しながら。

「おじさん!墜落!!」

ハッと我に返るヒラサワ、「ハリコン!」となんの疑いも無く召喚するとススム少年のランドセルのフタがパカッと開き大きな落下傘が開いた。

見慣れた町並みを見下ろし、もう見るはずもない傾きかけた家の前に難なく着地した。

何十年も住んでいた亀有の家だ。ススム少年はズルズルと落下傘を引きずっていたが邪魔になったのか、ランドセルをほうりだすとガラス戸をガラガラと開けて手招きする。

「いや、私は帰るよ。またな。」

「おじさん、ちょっとまってて!」

言うなり家の中へ消えると、あっという間に走り出てきた。手には胡瓜。ススムは頭からガブリと齧った。ヒラサワも胡瓜を受け取ってかじる。冷たくほんのり塩の味。ああ、んまい。

「んまいな、ありがとう。」

また遊ぼう、と子犬のようにブンブン手を振るススム少年に苦笑しながら、ヒラサワも手を振り返した。

「頭ちゃんと洗えよ、オオカミ少年。」

ススムの長い髪は風のせいで乱れまくりオオカミ少年ケンのように逆だっていた。ススムは頭を抑えてあっかんべーをする。

はは、と笑いながらヒラサワは家路への一歩を踏み出した。が、目の前にドア。ただいま、と小さく唱えて青い部屋に帰還した。


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