あとがき

※加筆修正するかもしれないけど、具合が悪い時があるので、先に公開設定しておきます。

体調を大きく崩してから、約1年10か月。それまでも苦しいことはあったけど、晩年のこの期間は苦しすぎて、その期間以上にとても長いものに感じた。

病気や病院に関する知識が豊富で、受診する病院やその順番を、総合的に考えてくれるコンシェルジュのような人がほしいなぁと思ったけど、そんな人はいないので、具合が悪い中、自分で、病気のことやどの病院に行けば良いか調べるのは大変だった。

消化器系の調子が悪いと、吐き気があったり、下痢をしてしまうこともある。でも一人暮らしだから、自分でなんとかしなきゃいけなくて、外出する時にはエチケット袋を持ち、心配な時には大人用紙おむつを履いて出かけたりしていた。外で人に大きな迷惑をかけてしまうことがなかったのは、不幸中の幸いである。みなさん、私、迷惑な人間でごめんなさい。神様、守ってくれてありがとう。

症状が辛いのはもちろんだけど、それだけでなく、体調が悪いと「また具合悪くなってしまうかな」「外で具合悪くなってしまったらどうしよう」と不安がよぎってしまうものなので、そんな気持ちを抱えながら過ごさなければならないことも、精神的に消耗するなと思った。

お薬を飲んでなんとか対処しながらだけど、2年弱もよくがんばったと思う。一応、腎臓に問題はないようだと確かめてもらえたけど、以前はなかった痛みが生じ始めて、具合悪い期間が長すぎて、体に限界が出始めたかなと思い始めた。

これ以上具合が悪くなってしまったら、今以上に普通の生活が送れなくなってしまう(今も普通の生活は送れていないけど)。入院とか介護されるのはいやだな。そんなふうになってまで生きたくないな。
それは単に「人に迷惑をかけてはいけない」などと、人に遠慮しているから言っているだけではない。
「自分の誇り」「自分の生き方」の問題だ。
きちんと働いて、人や社会の役に立ち、その循環する環の中で生きる。
元気なうちにしっかり働いて、たくさん楽しんで、体が駄目になったら死を受け入れる。それで充分だと思う。

自分は人や社会の役に立てないのに、お金や人手を消費して生きるなんて、私は潔しとしない。
生活保護や補助金の不正受給なんて軽蔑に値する。そんな醜い生き方はしたくない。

SMAの治し方にまでたどり着けなかったのは無念ではあるけれど、まぁ志半ばで体が持たず折れてしまうことがあるのは致し方ない。
とりあえず、これまで書いたFDの治し方や対処法については、他の人の参考になったら良いなと思う。具合が悪くなる前に戻れたら、自分に教えてあげたいことだから。そうすればSMAにもならないで済んだから。

私が死んだ後には、「体と心の苦しみから解放されてよかったね」と思ってもらいたい。苦しみが終わったら私はよろこんでいるから。

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