37.ボディポジティブ?

少し前にTwitterでボディポジティブという広告を見て、「これは何か間違っているのではないかな?」と感じた。
「ボディポジティブってどういうことなんだろう?」と思って検索窓に入力したら、「嫌い」「言い訳」「開き直り」「違和感」といったワードが出てきたので、そのように感じる人も多いのだろう。

元々は「自分のありのままの体を愛そう」「自分の体をコンプレックスに思わなくて良いんだよ」といった意味合いで使われ始めたようだ。
たしかに、自分の容姿について「人からあれこれ言われない権利」はあるだろうし、そもそも「自分のことを棚に上げて、人の容姿についてあれこれ言うなんて図々しいことをしない節度」はみんな持つべきであろう。

しかしながら、私が「これは間違っているのではないか?」と思ったのは、「肥満を肯定している」ように感じられたからだ。
肥満は、単なる容姿の問題にとどまらない。
この2年程の間に、肥満は感染症を重症化させやすい「基礎疾患のようなもの」だということが知れ渡り、気軽に「太っていても良いんだよ」なんて言っていられるものではないとわかったはずなのに、コロナ禍を経たあとにそんな主張をしているのは鈍すぎるのではないだろうか?

さらに、肥満は、本人にとって悪いだけではない問題がある。
そもそも「必要以上の食料を摂取する」というのは、人口が増えすぎて食料問題を抱えているこの世界や、これからはフードロスを減らしたいと考えているこの社会にとって、逆方向となる「食べ物という大切な資源の無駄遣い」なので、決して推奨されることではない。
食料だけでなく、医療費も過剰に使ってしまうし、限りある病院のベッドも埋めてしまう。個人の自由ではなく、社会問題だ。

そして環境問題でもある。
肥満の人が「暑い暑い」と言いながら、冷房の設定温度をピピピピピピとものすごく下げることをどうかと思う人も多いのではないだろうか?そんなことしたら地球温暖化が促進されて、ますます夏が暑くなってしまうではないか!と。これ以上夏が暑くなるのなんてみんないやだし、そもそも肥満の人はさらに暑くなってつらくなるのだから、自分で自分の首を絞めているではないか。正しい対処法は「冷房の設定温度を下げる」ではなく、「余分な脂肪を落とす」ことであろう。

先に、単なる容姿の問題ではないと言ったが、内面的な問題から派生しているとも思う。
そもそも必要以上に食べすぎてしまうのは、お菓子やエンプティカロリー的な良くない食品を食べているせいで満足できないのかもしれないし(つまり食育ができていない)、食べる以外に楽しみやストレス解消法がないという、趣味などの文化的活動や交友関係の貧しさがあるのかもしれないし(仕事以外のプライベートも充実させられる社会にしたいよね)、まわりに確認もせず温度を下げるというのは配慮のなさを表しているし(遺伝子による生まれもった“容姿”ではなく、性格や考え方や嗜好、日々の行動が、広い意味での“見た目”を作っている)やはり積極的に肯定することではないと思われる。

なので、本当に必要なのは「太っていても良いんだよ」という呼びかけではなく、「人が太らずにいられる、つまり快適に過ごせる社会」なのではないか?
人工甘味料やトランス脂肪酸のような、体に悪くて太りやすい成分は使わないようにしたり、
労働時間を短くして、さっさとお家に帰って自炊したり、余暇の時間をとれるようにしたり、
太ってしまった人に対しては、からかうのでもなく、「痩せろ」と強要するのでもなく、標準体重に戻るのを(押しつけがましくなく)応援したり、協力してあげるスタンスでいるとか。

単なる「捉え方の問題」として取り上げるのではなく、人が健やかに生きていける世の中に変えていった方が、幸せに暮らせるようになるのではないかなぁと思ったのでした。

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