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奇人変人の図鑑

 坂口恭平の『ズームイン、服!』という本が好きで、折に触れ読んでいる。

 十年ほど前に雑誌「POPEYE」で連載されていたもので、一体どこから見つけてきたのか、不思議な生き方をしている人に坂口恭平がインタビューを行い、彼らの服装に着目しながらその魅力を伝えていくエッセイ集だ。そこには長い海外放浪の末に猟師になり、『僕は猟師になった』を書いた千松信也や、インディーズアパレルブランド『途中でやめる』のデザイナー・山下陽光など、今ではちょっとだけ有名になった人たちも登場する。

 この本で紹介されている人たちは、みんな自分の興味関心に導かれるようにして、思いのままに生きている。結果的に社会で広く言われているレールからは遠く外れた生き方になっている人も多い。その辺りは坂口恭平氏の審美眼が一役買っているという気がする。

 本の中に登場する「マレビト」たちは、社会的な地位とは遠く離れた居場所で楽しそうに生きているように見えて、それが僕がついこの本を開いてしまう理由になっているのだろう。

 僕も大学を5年かけて卒業し、やっと得た客先常駐型のSEの仕事を半年足らずで辞めた後、1年間のニートを経て、公認会計士受験生という名の肩書きでさらに2年間ニートを続けていて、『ズームイン〜』の「マレビト」たちに負けず劣らずだいぶズレた生き方をしてしまっているのだが、僕の場合は世間のスタンダードに寄り添おう寄り添おうとする気持ちと、とは言っても好きなように生きてみたいというわがままな気持ちとが中途半端に入り混じったところに、社会的ポジションに対する俗っぽい憧れが追撃のスパイスとして効いてしまっていて、なんだかよく分からない恥と虚飾と傲慢と劣等感だらけの人生がいつの間にかできあがってしまっているだけなので、彼らとはだいぶ内情が異なる。

 僕はこの歪な人生観をどうしたら良いものか、未だに途方に暮れているというか呆然としている。自分が何をしたいのかも何がしたかったのかも全く分からない。僕の中では本音が建前のふりをしていて、建前も本音のふりをしている。何をやっていても自分は人生を浪費しているのじゃないかという気がして目の前のことにいつまでも集中できないし、何かを本気で「好き」と言えるほど突き詰めたこともないのだ。

 実際のところ、多分僕の中には情熱や価値観と言えるものが何もないのだと思う。筒みたいに、凧みたいに、僕は自走的な機能も思想も持たずにいつまでもふらふらゆらゆらしている感じがする。

 そんな僕だからこそ、『ズームイン、服!』に登場する人たちがいつまでも眩しく映るのだろう。

 


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