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偏執

(「noteのcakes」アカウントにて2019年12月8日に書いたものを転載)

 誰でも一つは変な習性や趣好を持っている。それをフェチとか、偏執とか呼んだりする。自分の場合は、「徹底的に区切りの良い数字」で生活の隅々まで管理しようとすることである。例えば、自分のスケジュールは徹底的に15分間隔で決められている。

5:30 起床
5:30~5:45 コップ一杯分の水分補給/髭剃り/洗顔/歯磨き/トイレ
5:45~6:00 着替え/荷支度
6:00~6:15 自宅から最寄りの駅まで徒歩
6:15~7:00 電車通勤
7:00~7:15 駅から最寄りのカフェまで移動/軽い朝食
7:15~8:15 何かしらの自主学習
8:15~8:30 職場まで移動
8:30~8:45 トイレ/仕事の前準備
8:45~12:00 仕事(途中、15分の休憩を1度挟む。)
12:00~12:30 昼食
12:30~13:00 脳トレのために小難しい計算問題を解く etc.

 15分を最小単位として生活を管理することに、特に強いこだわりがあるわけでもないが、固執はしている。例えば、「着替え」が15分より早く終わっても、残りの時間を何か別のことに費やそうとは思わず、とりあえずキッチリ15分経つまでぼーっとする感じ。いかにも形式張った時間の使い方に思えて、時折自分はなんて退屈な人間なんだと落ち込んだりもするが、それでも辞められないのである。

 あとは「〇〇するために必要な10のこと」のようなリストも大好きだ。11とか9とかじゃダメなのである。10か、5か、100歩譲っても3つに絞って欲しい。そのいずれかにリストが集約されてくれるのであれば、多少強引にまとめてしまっても構わない。例えば、「豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ方法」をまとめた記事において、「近所の豆腐屋で角のある豆腐を買ってくる」や「時速340km/sで走れる脚力を身につける」という項目をリストに含めるのはいかにもナンセンスな気がするが、これらを含めなければリスト項目が8つや9つになってしまうのであれば、入れてしまっていい。それぐらい、10と5と3が好きだ。

 そうそう数字と言えば、自分はプロ野球のピッチャーの勝敗成績にも一家言ある。「○勝○敗」とかいう、アレだ。自分が好きな配分は大きく2つあって、一つは「微妙に負け越している感じ」で、もう一つは「二桁勝利で勝ち越してはいるものの、『最多勝』などのタイトルを獲るまでには至らない感じ」である。

 前者で言えば、自分は「9勝10敗」という成績に究極の美しさを感じる。9勝もしている敏腕投手なのに、シーズンを終えてみるとなんだかんだ負け越してしまっている切なさよ。これほど愛おしく、想像力が掻き立てられる勝敗があるだろうか。味方からの援護に恵まれなかったのか、それとも気分の浮き沈みが激しい人格なのか? シーズン序盤は飛ばしていたのに、終盤になって負け続けてしまったということは寒さに弱い人なのか? 飼っていた犬でも死んで塞ぎ込んでしまったのか? 「16勝6敗」や「18勝3敗」のように圧倒的な好成績は、タイトルは獲れるし、年俸も上がるかもしれないが、こちらとしては「絶好調だったんですね」という感想しか出てこないから、退屈である。

 後者で言えば、「11勝7敗」が好きだ。11勝7敗! なんという「ソツのなさ」だろう! 平均点が50点のテストで75点を獲ったものの、廊下に張り出される「学年成績優秀者ランキングTop10」には永久に載せてもらえない感じを愛している。右投げ投手の「11勝7敗」はいかにも「豪腕だがコントロールに難がある」感が溢れていてオツなものだが、個人的には左腕の「11勝7敗」が一番たまらない。こちらは右投げ投手とは対照的に「コントロール重視の技巧派ピッチャー」という感じがある。ちなみにこれまでの「マイ・ベスト・オブ『11勝7敗』投手」は、2006年の石井一久である。

 ここまで自分の「偏執」について記してきたが、そのうち9割ぐらいは誰にも理解されないだろう。しかし、偏執は他人に理解されないからこそ「偏執」なのである。その人が持つ唯一無二の固定観念と、多数派の価値基準に最後まで屈しなかったフェティシズムの証明なのだから、この場合に限っては「無理解」は最上のトロフィー。

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