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同じ世界を見る練習

 これまで自分のことを、社会不適合レベルの人見知りだなあと思ってきた。じっさい人が数人集まるとほとんど何も喋らずにみんなの話を聞いていいることの方が多いし、その気になれば会話に入れる自信があるかというとそうでもない。あんまり面白い話もできないし、自然な相槌も打てない。とくに異性相手の会話は絶望的で、ただでさえ面白くないトーク力が間違いなく半分以下に下がる。

 このコミュ障っぷりはおそらく19歳ぐらいの、大学入りたての時に同級生から「面白い顔をしているね」と言われたことと、おなじく19歳の新歓シーズンに大学のキャンパスで全く勧誘をされない不遇の日々を過ごしたことが影響しているんじゃないかなと思っている。私はそれが原因で、以来まるまる一年間大学にほとんど行かなかった。でも、私に「面白い顔をしている」と言った彼は多分悪気はなかっただろうし、あんまり恨んでない。今は。

 ただ、このまま他人と気安く話すことができない時が重なると寂しい孤独になってしまうんじゃないかなと思って、最近は街に出たらなるべく周りの人を気にかけるようにしている。この前はいつも使っている駐車場の出口がわからなくて困っていた夫婦を案内し、初心者マークをつけた車の駐車を誘導したりした。でももしかしたらただのお節介だったかもしれない。

 全くわからないなりにコミュニケーションについて考えてみたのだけど、他人と関わるのに大切なのは「同じ世界に入っているサイン」を相手に伝えることなんじゃないかと思っている。よく「人と話す時は目を合わせなさい」と言われるけど、視線が合うというのは同じ世界に入っているサインの典型だと思う。

 でもまあ、同じ世界に入ることすら拒みたくなるような人もいる。たぶん誰にでもいる(拒みたくなるほど人と深く関わったことがない私にはいないけど)し、誰でも誰かには拒まれているんじゃないかと思う。私は今誰に拒まれていて、これから誰に拒まれていくのだろう。

 誰にも拒まれないように萎縮した結果拒まれるのが一番気持ち悪い。それだけは嫌だね。

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