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他人の目を気にし過ぎて生きてきた

自己紹介でも書いた、私のHSPという性質。
そのうちの一つに「他人の目を気にし過ぎてしまう」というものがあるのですが、
そうなった要因は、私が幼少期に育ってきた環境が大きいかなと思うので、そのことについて書いてみます。

私が育ったのは、田舎の小さな街です。
小学校に入学した時、同学年の児童数は40人にも満たない数でした。
地理的にも、わかりやすく言うと陸の孤島のような場所で、そういう意味では閉じられた世界でした。

自分で言うのは違う気もしますが、私は小学生の頃から勉強はできるほうで、真面目でもあったので、いわゆる優等生キャラでした。

テストの点数も学年トップクラスだったので、先生や親や友達、そしてその友達の親御さんからも褒めていただくことが少なくなく、当時の私は自己肯定感が高かったと思います(勿論当時は"自己肯定感"という言葉も知らなかったですが)。

しかし気がつけば、「私は優等生であることを周りに期待されている」と感じるようになり、無意識のうちに「周りが期待する優等生」を演じるようになりました。

特に親の前ではそれが顕著で、具体的なエピソードを挙げると、学ランの第一ボタンを親の前だけはちゃんと閉めたり、一人称も友達の前では"俺"だけど、親の前では"僕"だったり。

親に「そうしなさい」と言われたわけではないのですが、"親の期待する子"を演じようとするあまり、親の前では素の自分を出せずにいました(今もそうです)。


また、今振り返ってみると、
母は私を褒める時も叱る時も、「第三者がこう言っていた」という伝え方をすることが多かったな、と思います。

「◯◯くんのお母さんがあんたのこと褒めていたよ」
「あなたたちのきょうだい喧嘩は近所で有名よ!」
(叱る時に)「お父さんが怒ってたよ」

また、母は仕事柄、その狭い地域の中では顔が広かったこともあり、いろんな大人が私のことを知ってくれていました。
良く言えば、自分は大人たちに注目されている感覚があったし、悪く言えば、色んな大人たちの目線が自分に降り注いでいる。
当時はそれが当たり前だったので、特に苦には感じていませんでしたが、これらの経験は私が他人の目を気にしすぎてしまう大きな要因なのかなと思います。


こういった経緯があり、その後も「世間や女性が期待する男性」「先輩が期待する後輩」「後輩が期待する先輩」「上司が期待する新入社員」などといったものを演じようとして、自分を苦しめてしまいました。
それだけでなく、周りの人の言動に対しても「もっと周りの目を気にしてよ」「無神経だな」と感じ、イライラしてしまうこともよくあります。

周囲の視線に敏感なこと自体は決して悪いことではなく、それが役立つ場面もいっぱいあるとは思うのですが、気がつくと自分を苦しめるものになってしまいます。
程よい鈍感さや無神経さも必要なのだな、と思いながら生きていますが、なかなか難しいですね。

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