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手術と決断

いよいよ小児総合病院に入院する日になった。
それまで海空先生からは、何も連絡無し。
期待することを止めようと心に決めたはずなのに、どこかで会いに来てくれるかもしれないと期待していた。

入院した病棟は、眼科・耳鼻咽喉科・整形外科のフロア。
夏休み中と言うこともあり、整形外科の子たちがたくさんいて、廊下では車いすで追いかけっこをしているようなところだった。
私は15歳という事で個室に入院となった。
一緒に入院になった眼科の患者は、まだ小学校低学年の人懐っこい男の子だった。
小児総合病院は部屋にTVとかはなく、プレイルームと言われるところで1台のTVを仲良く観る決まりになっていた。
私はそこまでTVに執着していなかったので、師長(看護婦長?)さんに確認してCDラジカセの持ち込みを許可してもらい、1日中FMを聴いて過ごした。

入院日は手術前の検査や説明で忙しく、海空先生のことを考える余裕はほぼ無かった。
でも夜になると、眠れなくてイヤホンでCDを聴きながら泣いていた。
そこへ看護師さんが巡回に来て、泣いている私を見つけて声をかけてくれた。
好きだった人にフラれてしまい、辛い時に手術が重なったと伝えた。
看護師さんは私の話を何も言わずに聞いてくれた。
そして私が寝るまで手をつないでいてくれた。
気が付いたら朝になっていたので、たぶん眠れたようだった。
幸い、親には眠れずに泣いていたことを言わずにいてくれたようだった。

無事に外斜視手術も終え、病棟のちびっ子たちと仲良くなり、術後翌日からプレイルームで遊んであげていた。
術後の経過良好で4泊5日の入院生活は終わった。
入院中、海空先生は小児総合病院へ来ることは無かった。
私も残りの夏休み中に、海空先生のこと諦められるように頑張った。
海空先生からの手紙も、普段は開けないような場所にしまい込んだ。

9月に入り、また高校生活が再開した。
高校は文化祭に向けての準備で、ざわめきだしていた。
私のクラスは男子20人、女子13人といった状態。
偶然、クラスで1番人気の男の子と同じ作業グループになった。
そのグループの女子はなぜか私のみだったのが、クラスの女の子たちから一気に反感を買ったらしい。
次の時間以降、私は総スカンを食らうことになった。
その男の子と喋っただけで、この状況って・・・
そんなわけで学校でもプライベートでも独りぼっちになった私。
とうとう伝言ダイヤルで悩みを聞いてくれた9歳年上の人と会う約束をしてしまった。

これは1993年8月~9月のエピソード。
海空先生とのことを、ハッキリさせないまま現在に至っています。
海空先生との話は、一旦ここで中断します。
と言っても、すぐに戻る可能性もありますけどね。

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